価値創造へ「認知能力」の質を上げる

《この記事で分かること》

Q 価値創造に向けて経営学の視点から企業に求められるものは。
A どの情報にどの程度「注意」を向けるかによって戦略的な意思決定の質や行動が決まり、組織行動や業績が変わる。注意する対象が重要。
Q 注意を向けるべき具体例を挙げると。
A 製造ライン稼働率を7割以下にして残りを粗利の高い新製品を投入するために取っておく。注意を稼働率や生産性ではなく、将来の粗利に向けるという企業行動が挙げられる。
Q 企業行動を変えるには、リーダーの役割が重要になる?
A 新市場や事業の可能性を模索して成長シナリオを描く。価値創造に結びつく注意力を獲得するため、リーダーシップ教育も新ステージへの移行が必要。


 先行き不透明な状況が続くいま、不確実性を前提とした価値創造が企業経営に欠かせない。では何から始めればよいのか。ネットワークや働き方を実証的に研究し、その知見を大手新聞社への寄稿などを通じて社会に発信してきた京都大学経営管理研究部の若林直樹教授に実例を交えながら経営最前線の課題を聞いた。一問一答は次の通り。

インタビューに答える若林教授【10月16日、東京都千代田区の京都大学東京オフィス】

「アテンション・ベースト・ビュー」とは

――新たな価値創造が多くの日本企業の課題。経営学から何かヒントは。

 企業は世の中の全ての変化や技術について認知できるわけではない。限られた認知資源(注1)を何に振り向けるかが重要であるとする「アテンション・ベースト・ビュー」(注2)という考え方に注目が集まっている。これは、企業が市場や環境など無数の情報の中から、どの情報にどの程度「注意(アテンション)」を向けるかによって、企業の戦略的意思決定の質や行動が決まるという経営戦略の理論。企業が認知資源を適切に使うと、組織行動や業績が良くなると考えられている。

経営環境の変化に注意が向いているか

――「注意」する対象が重要なわけだが、具体例は。

 先日、大阪に新規オープンした外資系のホテルを招待されて見学した。1泊20万円以上し、ラグジュアリーでゆったりとしていた。インバウンド需要の増加を見込んだ上で200万円くらいの予算感で旅行に来る人たちの需要を注視している結果だろう。1泊20万円以上は、このホテルの注意が市場機会と粗利に向いていることを反映している。

 近くに日系の1泊2万円以下のホテルもあった。こちらは内部オペレーション、中でも稼働率と生産性の引き上げに注意が向いている。朝食はビュッフェにして人件費を削減する。シーツの交換スピードを上げる。シーツを交換する人もレセプションに立てるようにする。こういった取り組みを通じた生産性の向上が評価される。

 前者の外資系ホテルは稼働率といった指標も見ているが、朝食の待ち時間などが発生しないように稼働率6割以下を目安と見ている。従業員の役割を絞り、(部署によっては)日本語が話せない人でもよいという割り切りができている。

 両者を比較すると、前者は経営環境の変化に注意が向いているのに対し、後者は既存リソースをベースにした生産性向上に注意が向いている。利益を獲得し、成長しているのは前者です。

生産性の罠(わな)

――なぜ、自社リソースに基づく生産性に注意が向くのか。

 日本は、生産性を高めるのが好きな傾向がある。生産性は現場マネジャーが達成しやすい目標だという背景もあり、自分たちのリソースの中の創意工夫で引き上げ可能という側面がある。しかし創意工夫ではなく、生産性を高めるために人や生産設備をリストラしてしまうと利益率が高くなる一方で売り上げは落ちていくリスクがある。

 特に製造業では、生産性や稼働率といった数値が重要業績評価指標(KPI)としてよく用いられる。しかし、この数値を極限まで高くすることが利益や成長につながるのかどうか。再考の余地があるかもしれない。

 例えばアイリスオーヤマの大山健太郎会長は、どんなに売れている製品があったとしても、製造ラインの稼働率は7割以下と決めているという。残りの3割は新製品の投入とヒット時の増産に使う。一般的に新製品のほうが粗利は高いので稼働率をあえて最大値まで上げないで、その分で粗利を獲得する機会に備えている。

 新製品がもたらす粗利を意識せずに生産性ばかり考えてしまうと、将来の売り上げが落ちていくことに気付かない。生産性の追求を思い切ってあきらめて初めて、利益獲得のチャンスが得られる場合がある。

新たな視点を持つ人に共感できるか

――企業の成長に結びつく価値創造に必要なことは。

 「今の経営環境で何をKPIとすると会社を成長させられるのか」と常に考え直すのが非常に重要。新しいことに取り組む際、当面の生産性や短期的なROI(投資収益率)に注目していると大きなマーケットの変化に注意が向かない。成長を促すKPIを設定できる企業文化に変えていく必要がある。

 まず、マーケットの変化に気付ける、マーケットの価値観を感じ取れる人材を組織内に持つことが、その第1歩となる。例えば、トップマネジメントが新たな視点を持つ人に共感できるかどうか。役員のダイバーシティー(多様性)は重要。女性がターゲットの市場を攻めていくのであれば女性役員は必要だ。さらに、組織の中核となるリーダーの行動は注意力の獲得に密接に結びつく。伝統的なリーダーではなく、創造性を高めるリーダーを育てていかなくてはいけない。

インタビューに答える若林教授【10月16日、東京都千代田区の京都大学東京オフィス】

軍隊が前提のリーダーシップ論

――リーダー教育が重要ということか。

 実は、これまでのリーダーシップ論や教育は、必ずしも価値創造に結びついていない。伝統的なリーダーシップ論は、米ミシガン大学などが1940年代のアメリカ軍組織を意識して行った産学共同研究が出発点となっている。徴兵制によって何万人という若い未経験な人が集まる中、短期間でリーダーを育てるにはどうしたらよいか。決まった手順や規律が重視される環境で、リーダーは命令をきちんと伝えて部下を動かす。その中で部下のモチベーションを高める方法を中心に議論されてきた。

――では、現代はどのようなリーダーが求められるのか。

 イノベーションや価値創造を活性化するリーダーシップに関する国際的な研究が近年進んでいる。日本ではまだあまり注目されていないが、創造性を高めるリーダーの行動やプロセスが明らかになってきている。

メンバーの力を引き出す

 例えば、米オクラホマ大のマイケル・マンフォード教授らの研究では、アイデアの創造・実現につながるテーマをリーダーが選択した上で、複数の視点を持った人を集め、創造性を意識するような働きかけをメンバー全員にすることが重要と指摘されている。

 また大きな創造性を育むには、必要となる技術や専門技能をチームだけで賄えないことが多い。その場合、社内関連部門や他社から技術などを提供してもらわなくてはいけない。その交渉をリーダーが成功させれば、創造性の活性化に大きな影響を与える。価値創造に結びつく注意力を獲得するために、リーダーシップ教育も新しいステージへの移行が必要となる。

ジョブ型の弊害

――制度面で検討すべきは。

 今、日本ではジョブ型雇用の導入が進んでいるが、ジョブ型は担当領域が決まってしまう。例えば、会社としては、これまで手がけていなかったアイスクリームがもうかると分かっても、社員のジョブは決まっているのでアイスクリーム事業の組織を作れないといったケースが考えられる。会社の方針と社員に与えられたジョブの間で融通が利かない可能性がある。

 成長が見込まれる産業や事業で、その領域の専門性を高めたジョブ型の人材が生産性や稼働率を追求すると事業拡大につながるだろう。一方で、成長が望めない成熟した産業や事業では逆効果になる可能性がある。将来性を見極めないまま生産性の向上に注意を向けると、既存の枠組みや成功体験を基にした判断をして新たな事業機会に対する注意がおろそかになるリスクが生まれてしまう。

 中長期的な成長を目指すのであれば、新しい市場や事業の可能性を模索し、そこで成長するシナリオを描くことが必要だろう。それには、会社全体のポートフォリオを見渡し、中長期的な企業成長につながる事業機会や成長分野に対する注意力を持つ中核人材すなわちタレント人材を次世代経営者として育てなくていく必要があるだろう。

リーダーシップの再検討を

――最後に日本のリーダーへメッセージを。

 成功体験は脈々と受け継がれるもの。ずっと生産性を見てきた、品質に問題が起きないようにしてきたという組織文化は意思決定に大きな影響を及ぼす。それだけに、新しい価値の創造に悩む日本企業にとって、限られた認知資源の活用やリーダーシップの再検討は重要な意義があると思う。

 組織が注意するべき領域の幅や深さを再検討し、新規事業機会や有望な成長分野を認知(認識・把握)できているのか。新しい価値創造に向けて組織の創造性を高めるリーダーシップを発揮できているのか。改めて考えてみてはどうだろう。

インタビューに答える若林教授【10月16日、東京都千代田区の京都大学東京オフィス】

 
〔略歴〕
若林 直樹(わかばやし・なおき)氏
東京大学大学院社会学研究科博士課程修了、京都大学博士(経済学)。東北大学、京都大学助教授を経て、同大学経営管理研究部教授。専門は組織行動論、人的資源管理論、ネットワーク組織論。

注1=「認知資源(Cognitive Resources)」は、人や組織が注意や思考・意思決定をする際に使う「頭のエネルギー」のこと。認知心理学や経営学では、このエネルギーは有限であるとされている。
注2=「アテンション・ベースト・ビュー(ABV=Attention-Based View)」は、米イリノイ大学のウィリアム・オカシオ教授が1997年に提唱した戦略組織論の考え方。2021年までに経営学を中心とした国際学術雑誌に1425本の論文がこの理論に基づき執筆されるほど注目が集まっている。

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田中 美絵