消えた国境線
(【尾灯】写真) RICOH Quarterly HeadLine Vol.27 2020 春
沖縄本島最北端の辺戸岬(へどみさき、沖縄県国頭村)を訪れると、水平線の上に細長い島影が霞んで見えた。その与論島(よろんじま、鹿児島県与論町)と、辺戸岬との間の海上には北緯27度線が横断する。太平洋戦争末期の1945年3月、米軍は沖縄・慶良間諸島に上陸。総指揮を執ったニミッツ米海軍元帥は、北緯30度以南の沖縄と鹿児島県奄美群島における日本政府の行政権を停止した。ニミッツ公布と呼ばれるが、事実上の占領宣言である。1953年、奄美が日本に先行復帰すると、北緯27度線が日本と沖縄を分断する「国境」となった。古代から沖縄と奄美は琉球弧(=九州南部から台湾まで弧状に連なる島々)の同胞だったが、国境27度線が「結びつきを断ちきり、両者のあいだに深い亀裂を入れ、激しい憎悪と敵対の感情を惹起した」(「国境27度線」原井一郎・斉藤日出治・酒井卯作、海風社)。1972年、沖縄の施政権が米国から日本に返還され、ようやく国境27度線は消えたが…。詳しくは原井氏らの労作をご一読いただきたい。(N)