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「掛け算」で予測する感染拡大・終息時期

=「1とのわずかな差」が劇的な違いに=

2020年04月30日

新型ウイルス

客員主任研究員
松林 薫

 なぜ多くの人が新型コロナを「甘く見た」のか?

 新型コロナウイルスが世界の社会・経済を蝕(むしば)む。日本では2020年4月7日に発令された7都府県対象の緊急事態宣言が、16日には全国へと拡大された。東京五輪・パラリンピックを筆頭にイベントは軒並み中止、商店や飲食店も長期休業を余儀なくされる。一方、感染者数の急増に伴い「医療崩壊」のリスクが高まり、自粛とトレードオフの関係にある「経済崩壊」の可能性さえ排除できない。

 事態がここに至ると、「新型ウイルスの危険性は季節性インフルエンザと変わらない」と嘯(うそぶ)く人はほとんど姿を消した。だがつい3カ月前は、日本を含め多くの国が中国・武漢での悲劇を「対岸の火事」としか見ていなかった。そして自国で感染者が急増するまで、貴重な時間を無駄にしてしまったのだ。

 ではなぜ、新型ウイルスの怖さを見抜けなかったのか。さまざまな要因が挙げられるが、本稿では「人間の認知能力の限界」に焦点を当てて考えてみたい。その意味で参考になるのが、2019年のベストセラー「FACTFULNESS(ファクトフルネス)」(ハンス・ロスリング、オーラ・ロスリング、アンナ・ロスリング・ロンランド著、上杉周作、関美和訳、日経BP社)である。

図表FACTFULNESS(ファクトフルネス)
ハンス・ロスリング、オーラ・ロスリング、アンナ・ロスリング・ロンランド著、上杉周作、関美和訳、日経BP社

 この本の趣旨は、「10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣」という副題に分かりやすく凝縮されている。著者はメディアが世の中の悪い面ばかりに焦点を当てるため、人々が「世界は分断されている」「世界はどんどん悪くなっている」といった悲観論に傾きがちだと指摘する。しかし、客観的なデータを調べれば、実は事態が改善に向かっている分野は少なくないという。

 本書は人々が過度に悲観的な見方をしてしまうケースを次々に挙げていく。興味深いのは、逆に「人々が事態の深刻さに気付きにくい例」として、著者のエボラ出血熱に関する経験を紹介している部分だ。

 「エボラが見つかるなり、世界保健機関の研究者たちは感染データをまとめた。そのデータをもとに、10月末までの予想感染者数がはじき出された。これによると、新規感染者の数は「1、2、3、4、5」と直線的ではなく、「1、2、4、8、16」と倍々に増えている。(中略)この傾向が続けば、エボラの被害はとんでもないことになる。倍々ゲームを甘く見てはいけない。」

 著者はエボラの危険性に気づき、対策の必要性を訴え始める。しかし一方で、「世界もわたしも、エボラの規模と危険性に気づくのが遅すぎた」と反省している。著者はその原因を、人間が抱える「グラフが直線を描くと思い込んでしまう本能(=直線本能)」に求める。

 どういうことか。簡単に言えば、人間は足し算には強いが、掛け算は苦手だということだ。例えば、「毎日、30人ずつ新規の患者が発生する」という感染症Aがあるとしよう。わたしたちはその感染拡大のスピードを難なくイメージできる。発生から100日目には、感染者は累計3000人になっているだろう。

 それでは、10日間の発生件数が「10人、11人、12人、13人、15人、16人、18人、19人、21人、24人...」という、感染症Bについてはどうだろう。日を追って徐々に拡大ペースが加速することは分かるが、100日目の患者数の規模はイメージできるだろうか。

 実は感染症Bは、1人の患者が翌日までに平均1.1人に病気をうつす。もちろん現実にはそんな感染症はないが、仮にあったとしたら感染者数の伸びはパソコンの表計算ソフトで簡単に予測できる。参考までに計算式を下記に示す。

図表感染症Bの計算式

 特効薬発見や免疫獲得など感染拡大の抑制要因がないとすれば、100日目の新規発生数は12万5000人、累計は137万8000人になるはず。累計3000人の感染症Aと比べて、いかに急速に拡大するかが分かるだろう。

図表(出所)リコー経済社会研究所

 それどころか、感染症Bの患者は4カ月目(121日目)に累計1000万人を超える。これは東京都の人口に匹敵し、言うまでもなく「感染爆発」である。145日目には1億人を突破。あくまで計算上の話だが、半年と少し(190日目)で世界のほぼ全人口(約73億人)が感染してしまう。しかし、グラフで分かるように、当初の増え方を見ただけでは数カ月後に待ち受けている「結果」をイメージするのは難しい。「掛け算の増え方」は人間の直観を超えるのだ。

 その一方で、人類は自らの頭脳が抱えるそうした限界を、早くから自覚もしていたようだ。それは「掛け算の増え方」に注意するよう戒める言葉や説話が、世界中にあることからうかがえる。「ねずみ算」という言葉もその1つ。豊臣秀吉と、彼に仕えた曽呂利新左衛門の逸話を思い出す人も多いだろう。ちなみに筆者は、この物語を小学生の算数の時間に教わった覚えがある。いくつかのバリエーションがあるが、大筋はこんな話だ。

 あるとき、秀吉が新左衛門に褒美(ほうび)をとらせることにした。何がいいかと聞くと、新左衛門は「今日はコメを1粒、明日は2粒、明後日は4粒...と、ひと月の間、毎日、前日の倍ずついただけませんか」と申し出た。秀吉は「お前は欲がないな」とほめた。

 しかし、これを続けるとどうなるか。エクセルで計算すると、30日目には5億3687万粒になり、1日目からの合計は10億7374万粒。と聞いてもピンとこないが、コメ1粒の重さが0.02グラムだとすると21トンを超える。米俵が1つ約60キロとすると358俵になってしまう。新左衛門の企みに気付いていれば、秀吉も「欲がない」とは言えなかっただろう。仮にこれを60日間続けると、230億トンを突破する。世界のコメの生産量(年間4億8000万トン程度)の50年分に近い。

 それでは現下の「見えざる敵」はどうなのか。新型ウイルスについてはさまざまな推計値があるが、世界保健機構(WHO)は「1人の感染者が平均1.4〜2.5人にうつす」としている。この感染力(=基本再生産数)はその国の医療体制や生活習慣などによって変わるため、今の日本でどうかは不明だ。

 いずれにせよ日本では、2020年1月に最初の陽性者が確認されてからも、3月半ばごろまでは楽観視する向きが少なくなかった。感染者数の伸びが比較的緩やかに見えたからだろう。その背後では、前出「ファクトフルネス」が指摘する「直線本能」が働いていた可能性は否定できない。「中国とは違う」と思い込んでいた欧米で感染爆発が起こり、日本の大半の国民はそれを目の当たりにしてから、新型ウイルスの脅威を真剣に受け止め始めたのではないか。

 さて、「直線本能」がもたらした失敗を自覚したとして、わたしたちは当面の危機をどう乗り越えればいいのだろう。今度は「掛け算の減り方」がポイントになる。

 感染症Bの場合、新規に発生する感染者数が1日1万人に達した段階から終息させるには、どうすればよいか考えてみよう。先ほどの試算とは逆に、1人の患者が病気をうつす人数を1未満に抑える必要がある。対策としては、「患者を隔離する」「マスク着用など感染拡大リスクを減らす行動をとる」「治療薬やワクチンを開発する」などが考えられる。

 仮に、感染力を1.1から0.9人に抑えられたとしよう。この0.9を新規発生数の1万人に掛ければ、翌日の新規発生数を計算できる。2日目9000人、3日目8100人、4日目7290人...となる。さほど鈍化しないと感じるかもしれない。しかし、実際にこのペースが続けば、89日目には新規発生数が1人を下回り、感染は終息する。

 このような仮定を置いて計算すると、見えてくることがある。わたしたちが今、どんな戦いをしているかという「現実」である。先に示した感染症Bのケースでは、数値が1をわずかに上回る1.1でも感染爆発が起きた。逆に減少するケースでは、1をわずかに下回る0.9でも意外に早い終息が訪れる。感染症の世界では、この一見「ちょっとした差」が劇的な違いをもたらすのである。もちろんこれは架空の感染症のシミュレーションに過ぎない。しかし、感染症が流行・終息するメカニズムの本質をとらえるには十分だろう。

 日本では現在、新型ウイルスの陽性者の新規発生数は高止まりするものの、横ばいに移行する兆しも見える。このデータが信じられるなら、1人の患者が他人にうつす感染力の平均値が徐々に下がり、1に近づいているのかもしれない。裏返せば、わたしたちの戦いは非常に大事な局面に差し掛かっている可能性があるのだ。

松林 薫

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