2019年05月27日
地球環境
研究員
野﨑 佳宏
「マリー・アントワネット」は日本でも知名度の高い王妃の一人であろう。高貴な家柄と美貌を誇り、フランス国王ルイ16世の元に嫁ぐ。贅沢の限りを尽くし、国民に愛想を尽かされ、フランス革命で処刑された―。学生時代、世界史でそう学んだように記憶する。
もっとも筆者の記憶が鮮明なのは、漫画「ベルサイユのばら」を読んだからだ。フランス革命の混乱の最中に国王一家が捕まった際、その恐怖と心労でマリー・アントワネットの髪が一夜にして髪が真っ白に...。老婆のような姿への変貌に仰天したことを思い出す。
その彼女が放った有名な一言がある。貧困にあえぐ国民を見てルイ16世に対し、「パンが無ければお菓子を食べればいいじゃない」―。それから200年以上経って、マリー・アントワネットが現代に蘇ったとフランス国内では話題になった。
マクロン大統領が、その人である。一体どういうことか。大統領は京都議定書に代わる新たな地球温暖化対策である「パリ協定」が2015年に採択されたことを受け、脱炭素経済への移行による雇用創出を宣言。2040年までにガソリン車とディーゼル車の販売を停止する方針を表明。その一環として、2018年に燃料税を大幅に引き上げ、電気自動車への買い替えを進めようとしたのだ。
エッフェル塔(パリ市内)
(写真)中野 美蘭
ところが、市民がこの燃料税増税に反発し、「黄色いベスト運動」と呼ばれる抗議デモが頻発。一部が暴徒化する事態に陥ると、マクロン大統領は「軽油やガソリンを買うおカネがなければ、電気自動車を買えばいい」と言い放ってしまった。これが、先述のマリー・アントワネットによる「お菓子発言」になぞらえて批判を浴びたのた。
確かにマクロン発言の軽率さは否めないが、世界が直面している問題の根深さを鑑みると、あながち的外れではないかもしれない。
パリ協定は温室効果ガスの排出を削減し、21世紀末までに産業革命前と比べて気温上昇を2度より十分低くすることを目標に据える。2018年12月、ポーランドで開かれた国連気候変動枠組条約第24回締約国会議(COP24)で、参加国はこのパリ協定を実施していくためのルールブック(実施指針)について大筋で合意。これにより、先進国も途上国も区別なく、共通のルールの下で温室効果ガスの削減を目指すことになった。
では、これで世界は安泰なのかというと、決して手放しで喜べる状況ではない。
COP24に先立つ2018年10月、科学者の集まりである「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」が、地球温暖化の気温上昇を産業革命以前と比べて1.5度に抑える必要性を「IPCC1.5℃特別報告書」の中で指摘した。パリ協定で決定した2度目標では不十分であり、1.5度に抑えなければ洪水リスクや熱波に見舞われる可能性が増大すると警告を発したのだ。
COP24では、IPCCの警告を受けて1.5度にハードルを上げるメッセージが出されるかどうかが注目された。しかし、結果は2度のまま。2019年11月にチリで開催されるCOP25の課題として持ち越された。各国の対策は完全に後手に回っているのだ。
一般に気候変動対策は、「緩和(mitigation)」と「適応(adaptation)」の2つに分類される。専門用語でなじみがないかもしれないが、緩和は温室効果ガスの排出削減と吸収の対策を行うこと。一方、適応は既に気候変動によってもたらされている悪影響をいかに防止・軽減するかという対策を指す。
気候変動対策「緩和と適応は車の両輪」
(出所)環境省
従来、COPなどでの気候変動対策の議論は緩和が中心だった。例えば、スウェーデンやスイスなどは温室効果ガスの排出量に応じて課税する「炭素税」を導入した。しかし、静観を続ける国も多い。各国が足踏みしているうちに、世界各地で極端な高温や低温、降水量などを記録するなど異常気象が頻発。気候変動の影響は既に現実のものになってしまった。
だから今、適応に注目が集まるのは、緩和だけでは到底間に合わない段階を迎えたことが明白になったからである。緊急対応としてその重要性がクローズアップされている。
adaptationを直訳した適応という言葉の分かりにくさ、伝わりにくさは、日本でも政府の審議会や政府主催のシンポジウムでもしばしば問われてきた。「もっと分かりやすい言葉はないのか」―。広辞苑を引くと、「その状況にかなうこと」とあるが、気候変動問題を語る時の「適応」とは、より危機的で切実な意味で「生命を守るための対策」と考えるべきかもしれない。ただし、適応は対策が難しく、各国は頭を抱えている。
前述したマクロン大統領が増税方針を示した燃料税も炭素税の一種。すなわち緩和と捉えることができる。しかし、指導者が「地球の将来のために必要だ」と唱えたところで、今日明日の暮らしをしている黄色いベスト運動のデモ隊にとっては、耳に入るべくもない。
ところが、将来を担う若い世代は別である。今、地球温暖化に対する大人たちの無策や無関心を痛烈に批判する、スウェーデン人少女が世界中から注目を集めている。彼女の名はグレタ・トゥンベリさん、16歳。
トゥンベリさんが彗星のごとく登場したのは、COP24の場だった。各国の政治家に「あなたたちは子どもたちを愛していると言いながら、子どもたちの未来を奪っているのです」と訴えると、会場は静まり返った。
また、2019年1月に開かれた世界経済フォーラム年次総会(ダボス会議)では、出席した各国のリーダー陣に対し、彼女は「あなたたちにパニックになってほしい。家が火事になっているのと同じように行動してほしい」と警鐘を乱打した。
筆者は大人の世代の一人として、トゥンベリさんを悲運のヒロイン「ジャンヌ・ダルク」にしてはならないと思う。気候変動問題では既に、「世代間の公平性」が問われている。今、やるべき事をしなければ、将来ツケを払うのは若い世代である。ところが、大人の世代に比べると政策に関与できる力は圧倒的に小さい。この不公平な現実をわれわれ世代が直視しないでよいのか。大人の責任は重い。
大人の責任は重い(イメージ写真=北海道・摩周湖)
(写真)中野 哲也
野﨑 佳宏