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確実に迫る地球温暖化対策の「分岐点」

=ショート・ショートの巨匠、星新一が半世紀前に予言した未来=

2020年01月28日

地球環境

研究員
野﨑 佳宏

 普段、テレビを見る機会はほとんどないが、年末年始は別。たまたま見たテレビ番組で年末に衝撃を受け、年始に驚愕(きょうがく)した。

 まず衝撃を受けたのは、年末のNHKのドキュメント72時間「密着!"レンタル なんもしない人"」。"なんもしない"サービスを提供するという30歳代男性の発想にたまげたが、その着眼点には感心するほかない。番組は「荷造りするのを見守ってほしい」「犬の散歩に付き添ってほしい」といった依頼に淡々と応える男性の姿を追っていく。依頼主も大きな期待をしないから失望もしない。「いてくれるだけでいい」と納得する。

 「自分も存在してOKという気持ちがより一層強まる。依頼のたびに気持ちが楽になる」と語る男性。常日頃、「なんかしなければ」と追い詰められている筆者とは対極の虚無感が衝撃的。つい感情移入してしまった。

 一方驚愕したのは、元日に見るにはやや重いテーマだった、NHKスペシャル「10 Years After 未来への分岐点」―。数ある課題の中で国連が最重要視しているのが気候変動問題とのこと。「これからの10年が人類の未来を決める大きな『分岐点』になる」と、世界の多くの研究者が口をそろえ、「2020年からの10年は、行動と変革の時代にしなければならない」とするグテーレス国連事務総長の発言を伝えていた。

 年末に"なんもしない"という驚きの生業を目の当たりにした数日後の年始には、"なんもしない"とヤバイことになると警告を受け、まるでローラーコースターのように気持ちがもてあそばされた。

 もちろん世界が"なんもしない"という訳ではない。むしろ、"なんかする"ことで仰天させられる事例もある。実際、筆者は最近、「埋める」話に驚かされ続けている。具体例を挙げよう。

 例えば、原子力発電所の使用済み核燃料から出る核のゴミ、いわゆる高レベル放射性廃棄物である。処分方法として、10万年という途方もない期間、「埋める」ことを真剣に検討せざるを得ない状況に恐れを抱いてしまう。一般の人には、想像の域を超えた話だろう。

 また、別の「埋める」話として上がっているのが、火力発電所などから排出される二酸化炭素(CO2)を分離回収して貯留し、気候変動問題の解決に充てようという技術である。CO2を「埋める」ことで地球温暖化にブレーキを掛けようという発想の大胆さは、筆者の目には人間の身勝手のように映った。それには理由がある。

 「埋める」と聞いて、筆者が真っ先に思い出すのは、ショート・ショートの巨匠、星新一だ。その著作は、中学生になったら読む「大人世界への扉」というのが筆者の勝手な位置付けである。

 当時読んだ印象深い作品の一つに『おーい、でてこーい』(1971年、新潮文庫)という「埋める」話がある。一言で言えば巨大な穴にゴミをはじめ何でもかんでも不要なものを捨ててしまう話だ。ショート・ショートには、最後に想像のつかないオチがある。本作では、穴に捨てたものが時間を超えて吹き出してしまうのだ。作品を通して星新一は、人類の愚かさを暗に伝えようとしているのだと感じた。

 大人になって高レベル放射性廃棄物やCO2を「埋める」という話を聞き、この作品の結末が頭をよぎり、将来、時間を超えて吹き出してきてしまったらどうしようと心配になった。人知を超えた領域にわれわれは手を伸ばそうとしているのではないか―。そんな思いにとらわれて、思考停止になってしまうのだ。

 しかし、立ちすくむだけではいけない。それも理解している。そういう意味で気候変動の問題は、今、手を打たなければ手遅れになるという分岐点が確実に近づいている。何もしなければ、食料や水、土地などをめぐり紛争リスクが確実に高まると主張する専門家もいる。気候変動による経済的打撃によって、貧困層が拡大して社会階層間の不平等や緊張が一層深刻になり、暴力行為を誘発するというのだ。

 今を生きるわれわれは、次の世代に平和な未来を繫いでいく責務もある。いみじくも年末年始の番組を見て発見した「何かしなければ」という自分と、「何もしない、できない」と達観した自分が居る。もどかしさを感じる正月となった。
 
写真

温暖化の影響なのか、例年に比べて積雪は少ない(神奈川県・大山)
(写真)筆者

野﨑 佳宏

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