Main content

なぜトキが絶滅してはいけないのか

=気候変動と並ぶ人類が直面する大問題「生物多様性の喪失」= 

2022年06月30日

地球環境

主席研究員
米谷 仁

【編集部から】リコーグループは2022年6月を「リコーグローバルSDGsアクション月間」と定めました。
当研究所もSDGs関連のコラムを公開致しますので、御愛読のほどお願い申し上げます。

 生物多様性の保全の問題は、地球環境問題の中でも気候変動問題と並ぶか、あるいは人類の存続を考えたときには最も根源的な問題であると言われている。

 ところが、気候変動問題が、大型台風の襲来や熱中症の頻発などを通して身近に感じられるのに対して、生物多様性の保全は、今一つ危機感が湧かないでいる。

 例えば、トキやイリオモテヤマネコ、アベサンショウウオ、ホトケドジョウが絶滅の危機に瀕していると聞いても、それが自分の生活とどう関わりがあるのか、なぜそれらが絶滅すると私たちの生活の基盤を脅かすことになるのか実感がない。

 なぜ種が絶滅してはいけないのか、かわいそうだからなのか、薬の材料などとして将来、人間の役に立つ可能性があるものを後世に引き継がなければならないからなのか...。

 筆者は、1998年に環境庁(現環境省)から在中国日本大使館に初代の環境担当書記官として派遣された。日本を発つ前に、環境庁の野生生物担当者からあるレクチャーを受けた。大まかに言うと「佐渡のトキ保護センターには高齢のキン1羽だけしか残っていない。日本には『トキ絶滅Xデー問題』があるが、日中の野生生物担当当局の関係が良くないので筆者の在任中には動きはないだろう」というものだった。

写真大空を舞うトキ
(提供)環境省

 ところが、外交当局の努力もあって、その年の秋の江沢民国家主席(当時)の訪日時に、日本にトキのつがいが贈られることになった。筆者は担当書記官として日本の外務省、環境庁と中国外交部、国家林業局の間に立って日中間の贈呈文書の調整や「友友」と「洋洋」及び2人の中国人飼育員を日本へ送る段取りなどに奔走した。

 そんなこともあってトキには特別の思い出もあり、その後の日本での繁殖ぶりを感慨深く見ている。

 一方で、環境省が中心になってトキの増殖事業を進めているが、これは地球上の生物多様性保全の観点からどういう意味があるのか、なぜトキが絶滅してはいけないのかについては、恥ずかしながらよく説明ができないまま環境省を「卒業」した。

 トキやイリオモテヤマネコのような種も、イタセンパラ(わが国固有のコイ科の淡水魚)やコミノヒメウツギ(わが国固有のアジサイ科の植物)のような名も知られぬ種も、みな守っていかなければならないのはなぜなのか。ずっと抱えてきた疑問を解消するため、植物学者で東京大学名誉教授の岩槻邦男氏にインタビューを行った。


【インタビュー】

写真(提供)岩槻邦男氏

 岩槻 邦男(いわつき・くにお)
 東京大学名誉教授、兵庫県立人と自然の博物館名誉館長。
 1934年兵庫県出身。57年京都大学理学部植物学科卒業、64年同大学院理学研究科博士課程終了、理学博士。72年京都大学教授、81年から東京大学教授を併任、83年転任、東京大学理学部附属植物園長などを併任。立教大学、放送大学教授、人と自然の博物館館長などを歴任。専門は植物学。

 

 ―生物多様性の保全については、気候変動問題と並んでその重要性が言われて30年以上が経ちます。しかし、国民の関心や危機感は気候変動問題ほど高くありません。この理由について、どのようにお考えでしょうか。

 それについては、私も危機感を持っています。それでも、生物多様性の保全への関心については、環境省の努力などもあって、1990年代と比べると徐々に高まりつつあります。

 (関心が低いのは)「生物多様性」という言葉にも問題があると思います。気候変動問題は「地球温暖化」という言葉が国民に分かりやすく、容易に受け入れられたのに対し、「生物多様性」は分かりやすい言葉ではないため、意味内容がよく伝わらないのです。

 ―トキだけでなくイタセンパラやホトケドジョウなど、日本でも多くの種が、絶滅の危機に瀕しています。しかし、多くの人はこれらの種が絶滅したとしても自分たちの生活とは関係ないと思っています。なぜこれらの種が絶滅してはいけないのか、なぜ国が国費を投じて絶滅の危機に瀕している種の保護・増殖事業をしているのかなどについて、どう説明すればよいのでしょうか。

 絶滅危惧種については、個々の種が問題なのではなくて、絶滅危惧種を生物多様性全体の動態を把握するためのモデルとしてとらえていくというのが、研究者の意識です。

 ただ、生物多様性が危ないと言っても、すぐにはピンとこないと思います。個々の種がどうなっているかを知らせることが、人々に現実を知っていただくことにつながります。「トキやイリオモテヤマネコが生きていけなくなるとかわいそうだ」から始まってもよいのですが、そういう事実から始めて、その積み重ねで生物多様性がいかに危うくなっているかを認識してもらうことが必要です。

 20世紀の後半、生物学では「生きているとはどういうことか」を解析するために大腸菌をモデルとして研究が進んだことはよく知られています。「生きている」は、多様な生物ごとにさまざまに現れる現象ですが、だからと言って、すべての生物を調べないと「生きているとはどういうことか」が分からないわけではありません。極めてシンプルな系で生きる生物(例えば大腸菌)をモデルとして研究することによって、生物界に普遍的な現象についての理解が進みました。

 生物種の多様性が将来、どのように変動していくかを予測するために、すべての種を認知してその動態を確かめて、ということをやっていると、今から何十年、何百年かかるか分からない。それが分かったころには人類が滅亡していることにもなりかねません。そうならないように、生物多様性の動態を議論しようとすると、何かをモデルとして、そこから全体の動態を予測するしかないのです。

 トキという特定の種が絶滅するのが恐ろしいのではなくて、トキの絶滅が生物多様性にどう影響するか、トキという個別の種の絶滅が生物多様性という総体の動態をどのように反映しており、それにどういう災いを及ぼすのかということを説明していく必要があります。

 トキはよく知られ、愛された種であり、人々に説明しやすいという利点があります。トキの保護増殖事業についても、どこまで回復が進んだのかという広報はなされてきました。

トキの個体数

写真(出所)環境省佐渡自然保護官事務所「トキ野生復帰の取組概要」

 しかし、そもそもなぜこの事業をしなければならなかったのか、トキが絶滅するということがどんな意味を持つのか、個体数を回復するにはどういう費用負担や苦労があったのか、その事業は投資効果があることなのかなど、いくつもの問題提起をするための事業としてやってきたにもかかわらず、残念ながらそのことについては広報が十分ではありませんでした。

写真トキの保護増殖事業
(提供)新潟県佐渡トキ保護センター

 ―地球上の1つの種が絶滅する、それがやがては私たちの生存を脅かしかねないということをどう説明すればよいのでしょうか。

 生物の多様性というものがあって、それに人間がどう対応するかではなく、人間自身が生物多様性の1要素であること、人間は1人の個人として生きていると同時に、生物多様性あるいは地球上の生命系の一部として生きているという面があることを忘れてはなりません。

 自分という人間が40兆という細胞の寄り集まりで、個別に生きている細胞の総合体として生きているのと同じように、自分という個体は地球上の生命系、それは人類だけでも70億人、種で言えば1億を超えるかもしれない1つの要素として生きているのだということを認識することが必要です。

 あなたという個体をつくっている40兆の細胞のうちのいくつかが、例えばがん細胞に攻撃されて、あなたの生命が危険にさらされる。それと同じように、人の営為が原因でいくつかの種が滅ぶということは、生命系の生に影響が及ぶ可能性があるということです。

 あなたが一個の生命体として生きていくのに、脳だけを大切にする、心臓だけを大切にするというわけでなく、目や耳、手や足の筋肉も大切であり、そんなものはどうでもいいとは言わないでしょう。それと同じように、生命系そのものが全体として統合的に共生しないと生きていけないということがもっとよく理解されなければなりません。

 ―生物多様性の減少という問題が、気候変動と同じように人類の生存を脅かす問題なのだと広く認識してもらうためには、もっとこんなに恐ろしいことが起きかねないということを具体的に示す必要があるのではないでしょうか。

 生物多様性の危機を分かってもらうには、気候変動と同じように「脅す言葉」で語らないと伝わらないのではないかと、ジャーナリストから言われることがあります。

 けれども、過剰に脅すようなことは科学として正しくないと思っているので、そういうことはしたくありません。

 やはり「絶滅種が増えているという現実がある。絶滅危惧種を明らかにすることによって、それが増えて、ある閾値を超えると生物多様性は崩壊の危機に瀕する。そして生物多様性が崩壊すると人の生活環境はなくなってしまう。だからそこまで進まないように気を付けるのだ」という極めて緩やかな言い方しかできないのです。

 人々に強く訴えるためには、ある一定区域内の生物多様性のうちの何%の種が傷められると閾値を超えて生態系が崩壊するか、といったことが数字に基づいて明示できればいいのですが、それを科学の論理で言えるようになるには、まだ何年もかかるでしょう。

 ―今年は、生物多様性条約第15回締約国会議(COP15)が開催され、日本政府も次期「生物多様性国家戦略」の策定に向けた準備を進めています。そうした場で、人間も地球上の生命系の一部であるという「人と自然の共生」の考え方がもっと強調される必要を感じます。

 「人と自然の共生」という概念は、日本人には説明しなくても分かるのですが、外国人に説明しようとすると、なかなか英語になりにくい。「共生」という概念が欧米などにはないからで、一語でこれを説明する欧米語がないのです。

 今、環境保全に関してよく使われる言葉は「持続可能な開発」です。SDGs(持続可能な開発目標)も「自然を持続的に利用することにより良いものを生み出そう」ということだと思いますが、これは人が自然をどううまく利用するかという発想で、万物の霊長を自称する人間が上から目線で語る言葉だと感じています。もともと日本人が弥生時代から守ってきた人と自然が共に生きる考え方、これが「共生」であって、人が自然をどう利用するかということではありません。

写真トキを通して考える「生物多様性」
(提供)新潟県佐渡トキ保護センター

写真

写真

米谷 仁

TAG:

※本記事・写真の無断複製・転載・引用を禁じます。
※本サイトに掲載された論文・コラムなどの記事の内容や意見は執筆者個人の見解であり、当研究所または(株)リコーの見解を示すものではありません。
※ご意見やご提案は、お問い合わせフォームからお願いいたします。

戻る