2023年03月08日
地球環境
主席研究員
米谷 仁
「あれ?先日、エジプトでCOP27を開いてなかったっけ...」。タイトルで「COP15」という文字を目にして戸惑った人がいるかもしれない。実は、このCOP15は「生物多様性条約」第15回締約国会議の略称。一方のCOP27は「気候変動枠組条約」の締約国会議を指す。同じCOP(締約国会議)でも、生物多様性条約は気候変動枠組条約に比べ報じられる機会が少なく、存在感も薄いのだ。今回はそんなCOP15の成果と課題についてまとめた。
生物多様性とは...(イメージ)
(出所)stock.adobe.com
そもそもCOP15が開幕したのは2021年10月でCOP27(同年11月)より前。中国・昆明でオンライン形式を併用して第1部を開いたが、新型コロナウイルス感染症の影響で「昆明宣言」を採択したところで中断、延期された。第2部は2022年12月、場所をカナダのモントリオールに移して開いたが、日頃からテレビや新聞のニュースをチェックしている人でも記憶に残っているのは少数派ではないだろうか。
注目度が低い理由はいくつかある。まず、「生物多様性の保全」という課題自体が、「地球温暖化(気候変動)の防止」に比べ分かりにくいのだ。
実は生物多様性条約と気候変動枠組条約は、1992年のリオサミットで署名が開始された「双子の条約」だ。気候変動と生物多様性の喪失は、どちらも人類の生存を脅かしかねない深刻な環境問題だと考えられているのである。
しかし、地球温暖化が夏の高温や熱中症の多発、台風やハリケーンの強大化など日常生活の中で実感しやすいのに対し、「生物多様性の喪失」はそれほど身近な現象ではない。特に日本など先進国では都市部に住んでいる人が多く、野生生物を目にする機会自体が少ないのが現状だ。生物多様性が失われているという危機感を持ちにくいのである。
概念もやや抽象的で分かりにくい。生物多様性条約では①種の多様性②遺伝子の多様性③生態系の多様性―という3つの多様性を保全しようとしている。このうち、種の多様性と遺伝子の多様性まではイメージできるだろう。しかし、「生態系の多様性」と聞いてもピンとこない人が多いのではないだろうか。これは生き物と環境の相互作用を、森や川、干潟といったまとまり(生態系)でとらえ、その多様性を重視する考え方だが、一般の人にはなじみが薄いだろう。
それでもCOP15は、従来に比べると注目を集めた。理由の1つは、2010年にCOP10(名古屋市で開催)で定めた「生物多様性戦略計画2011~2020」と「愛知目標」の達成状況を総括し、次の目標を決める節目の会議だったからだ。
(出所)国連の資料を基に筆者
どのようなことが打ち出されたのか。第1部の「昆明宣言」は、過去10年間で取り組みに進展があったことは認めつつ、「愛知目標」達成には不十分であったことを「深く懸念する」と総括した。
その上で「自然との共生という 2050 年ビジョンの完全な実現に向けて、遅くとも 2030 年までに生物多様性の現在の損失を回復させ、生物多様性が回復軌道に乗ることを確実にするために、条約に沿った必要な実施手段の提供、及びモニタリング、報告、レビューのための適切なメカニズムを含む、効果的なポスト2020 生物多様性枠組の策定、採択、実施を確実にする」との決意が示された。
生物多様性の回復を目指す(イメージ)
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次に注目を集めた理由は「生物多様性の喪失」に対する危機感が、有識者の間では高まっていることだ。例えば、世界経済フォーラム年次総会(ダボス会議)が2022年1月に出した「第17回 グローバルリスク報告書 2022年版」で、「生物多様性の損失」は今後10年間で最も深刻な世界規模のリスクの3位に入った。
なお、1位は「気候変動への適応(あるいは対応)の失敗」、2位は「異常気象」だった。少なくとも世界的に著名な経済リーダーの間では、地球温暖化問題と肩を並べる程度に認知度が高まったと言える。
新型コロナウイルス感染症の影響も見逃せない。このウイルスは野生生物からヒトに感染して拡がったとみられているからだ。近年、イノシシなどの野生生物が人間の居住域に出没して危害を与える例も増えている。こうした人間と野生生物のすみ分けが崩れることで発生するリスクが認識され始めているのだ。
この機運を盛り上げていくには、どんな取り組みが必要だろうか。まず重要なのは、市民が生物多様性の保全に向けて「何ができるか」を明確に示すことだろう。愛知目標でもその第1に「生物多様性の価値及びそれを保全し持続可能に利用するために取り得る行動を、人々が認識する」ことを掲げていた。
環境省も次期生物多様性国家戦略の素案に「わかりやすさの重視」を盛り込んでいるが、認知度の低さを考えると今後も最優先で取り組むべき課題と言える。
地球温暖化防止については、既に多くの市民が日常の生活の中で節電やリサイクルに取り組んでいる。その半面、生物多様性については、何をすればよいのか、何をしてはならないのかが、あまり知られていない。
実際には野生生物が生息する環境を破壊しない素材の使用や、失われた自然を回復するための支援などが求められている。一部は温暖化防止の対策とも重なるので、それらの効果を周知することが重要だ。
自然の大切さを身近に感じてもらうことも課題だろう。例えば、後述する「昆明・モントリオール目標(COP15で示された目標)」には「30by30(サーティ・バイ・サーティ)」が盛り込まれた。2030年までに生物多様性の損失を食い止め、回復させる「ネイチャーポジティブ」というゴールに向け、陸と海の30%以上を健全な生態系として効果的に保全しようとする目標だ。
陸と海の健全な生態系(イメージ)
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その実現手段として「OECM(Other effective area based conservation measures=その他の効果的な地域をベースとする保全手段)」が示された。政府が指定・管理する国立公園や鳥獣保護区域などではなく、NPO(非営利組織)や企業などが主体になる、民間版「ミニ自然保護区」である。具体的には河川敷や公園、工場の敷地など小さな自然を保護する取り組みだ。これなら都市部の住民でも日常生活の中で自然を身近に感じ、保護活動にも参加できる。
例えばOECMを全国1718市町村に最低1カ所ずつ認定すれば、すべての小学生が校外学習で地元のOECMを訪れることができる。
子どもたちが「なぜ近所のきれいなコスモス畑ではなく、地味なススキの野原がOECMとして認定されているのだろう」と考えてくれれば大成功だ。そこから生物多様性とはどういう意味なのか、途上国の熱帯林で何が起きているか、それが自分たちの生活とどうつながるのかを学ぶきっかけになるだろう。
COP15で示された目標の共有も成否のカギを握る。地球温暖化問題に対する「2050年カーボンニュートラル」という目標は、多くの企業に意識されており、一般市民にも浸透しつつある。
(出所)国連の資料を基に筆者
これに対し、20の愛知目標のうち1つでも言える人が何%いるだろうか。愛知目標に代わる昆明・モントリオール目標には、多くの数値目標が盛り込まれた。今後は、これらをどう周知するかが問われる。従来のように「環境省のHPに載せている」「白書に記載している」では不十分だろう。
もう1つのポイントは発展途上国の環境保全を支援していく取り組みの拡大だ。この点は日本がリーダーシップを発揮できる。「熱帯林は生物多様性の宝庫」と言われるが、大半は途上国が抱えている。そして、その多くが日本と関係の深いアジアや南米の国々なのだ。
途上国では先進国以上に多くの人々がその生活を生態系に直接に依存している。裏返せば環境に大きな負荷をかけているわけだ。資金や技術を提供することで、この問題を解決していくことが、先進国に課された使命ではないだろうか。
実は、先進国は途上国の自然環境から多くの利益を得ている。木材や鉱物の輸入だけではない。医薬品の開発に役立つバクテリアの採取など「遺伝資源」も利用しているのだ。それらの利益を途上国に公平に還元し、自然破壊の防止につなげていく必要がある。
自然環境から得る利益(イメージ)
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COP27同様、COP15でも先進国と途上国の間で資金援助や利益配分をめぐって厳しく意見が対立した。途上国に対する資金援助の増額や、先進国が得た利益の「公正かつ公平な配分の確保」などが合意されたが、今や先進国も経済・財政状況は厳しい。
一部では「自国ファースト主義」も台頭しており、日本は利害調整役を果たすべきだろう。また、国民が納得して資金を出すためにも、途上国が置かれている状況について、これまで以上に国民に広報すべきではないか。
これからは企業が果たす役割も重要になる。昆明・モントリオール目標には「ビジネスの奨励と推進」が盛り込まれ、情報開示など具体的な施策についても示された。COP15では、これを義務とすべきという議論もあったと伝えられている。
日本企業の取り組みは進んでいるのだろうか。「経団連生物多様性宣言イニシアチブ」を見ると、水産会社は水産エコラベルの認証を取得し、製材会社や製紙会社は森林認証制度の取得に動いている。食品会社もフェアトレード(公正な取引)や原料の栽培農家に対する認証取得への支援に取り組んでいる。
森づくりや地元の在来種の保護などに取り組む企業も増えている。例えば建設業や不動産業では、生物が生息しやすい環境に配慮した施工や、周辺の自然環境との調和や生物の生息環境の復元・創出を意識したまちづくりに取り組んでいる。こうした各社の取り組みを政府が音頭をとることによって、点から線そして面へとつなげていくことを期待したい。
沖縄本島北部のみに分布する固有種ヤンバルクイナ
(写真)遊佐昭紀
さらに、最近ではTNFD(Task force on Nature-related Financial Disclosure=自然関連財務情報開示タスクフォース)に対する企業の関心も高まっている。TNFDは、TCFD(気候関連財務情報開示タスクフォース)の生物多様性版で、2019年1月のダボス会議で構想が示された。22年3月にはフレームワークのドラフトが公表されており、23年9月の最終版策定に向けて作業が進んでいる。
このタスクフォースを支援するTNFDフォーラムには、世界で約850の企業・団体が参加しており、日本からも金融・保険や製造業などから80以上が名を連ねる。
TNFDでは、Locate(自然との接点の特定)→Evaluate(依存関係と影響の評価)→Assess(リスクと機会の評価)→Prepare(自然関係のリスクと機会への対応を報告)の頭文字をとってLEAPと呼ばれる評価プロセスが提唱されている。第一歩のLocateは、企業が自社の事業が直接・間接に自然資本とどう関わっているかを明確にする作業になる。こうした取り組みが広がれば、企業も自社の事業と生物多様性の関係について意識するようになるはずだ。
企業が生物多様性を意識することは、岸田文雄政権が提唱する「新しい資本主義」の実現にも寄与するだろう。従来の資本主義は利益の最大化を優先し、生物多様性を減少させてきた。これに対し、生態系などを「自然資本」と捉え、企業が生態系の維持・回復に取り組みながら食や健康といった人間生活に不可欠なものを生み出していくモデルが求められているのではないだろうか。
自然保護区のヨセミテ国立公園
(写真)遊佐昭紀
米谷 仁