2022年01月06日
前照灯
所長
早﨑 保浩
1967年4月9日、筆者をはじめ日本中の子供たちが悲鳴を上げた。あのウルトラマンが宿敵の宇宙恐竜ゼットンに倒されたのだ。戦闘時間3分という制約の下で、地球を守ってきた主人公が敗れる結末は想定外。信じてきたものが一気に壊された衝撃は今も忘れない。
その後、同様の瞬間を何度か味わった。一つは為替相場。1971年8月15日、ニクソン米大統領が固定比率による米ドルと金の兌換(だかん)停止を前触れもなく発表した。その意味は当時の筆者の理解力を超えたが、子供たちの世界でも「ハン(半)ドルの値段はいくら?」というなぞなぞの答えが180円から半端な154円に変わった。程なく固定相場制は崩れ、変動相場制に移行する。
そして1985年9月22日のプラザ合意を経て円高は一気に進んだ。製造業は効率化と海外展開を進め、日本の競争力は揺るがないように見えた。しかし、結果的に産業の空洞化を招き、雇用の受け皿となった非製造業の生産性の低さを未だに克服できていない。
もう一つは資産価格すなわちバブルの崩壊である。当時英国にいた筆者は1989年12月29日の日経平均株価の最高値を直接知らない。しかし、帰国後の日本は英国とあまりに違った。その狂乱は次第に冷め、資産価格は下がらないという神話に根拠がないことが明らかになっていく。金融システムは崩壊し、危機収束のために公的資金も注ぎ込まれた。借金を恐れた企業はリスクテイク意欲を喪失する。こうして日本の産業界から失われたダイナミズムが回復したとは、今も到底思えない。
直面する新型コロナウイルス感染症も、安心・安全やグローバリズムに対する信頼を壊した。企業はリモートワーク推進やサプライチェーン見直しなど対策を迫られている。それは必須だ。ただ、企業の海外展開やデレバレッジ(=借入圧縮)の例と同様、当面の対応としては有効な方策が、長い目で見ても最善であるとの自信はなかなか持てない。
不確実性が高い環境の下では、対応を一つに絞り込まないほうが良いのかもしれない。例えば、家でもオフィスでも働くハイブリッドワーク化が進む。一つに決めるほうが効率的かもしれない。しかし、リモートワークによる家族と過ごす時間の増加も、オフィスでの交流を通じた創造性の発揮や孤立感の解消もいずれも捨て難い。
経営でいえば、主力工場や主要調達先への依存度を高めたほうが、コスト競争上は有利かもしれない。ただ、そのリスクがコロナ禍で明らかになり、分散の大切さも指摘される。いくつかの選択肢を用意した上で時間をかけて最適解を謙虚に探すことが、短期的にはコスト高としても結果的に最良のアプローチかもしれないと思う。
早﨑 保浩