2023年02月28日
前照灯
所長
早﨑 保浩
干支(えと)を話題にする時期は過ぎたが、ひと回り前のことが気になってしまう。
2011年―3月11日に日本を激震が襲った。スイスに出張していた筆者は、現実感を持てないまま津波の映像を眺めた。家族と職場の無事は確認したが、事態を把握できずに会議終了直後帰路へ。不思議なほど定刻に成田空港に着陸。辛うじて動いていた京成電鉄各駅停車を使って自宅に戻り惨状を理解した。増え続ける死者数、原発事故の脅威―当時、金融庁に籍を置いていた筆者は政府の無力さと被災地で助け合う人々の強さを知り、海外金融当局からの問い合わせに「日本は大丈夫」と必死に答えた。
1999年―筆者の世代にとって、この年に実際に起きたことよりも、中学生の頃に何度も耳にした「予言」の方が記憶に刻まれているかもしれない。この年、人類は滅亡しなかった。しかし、その2年後の2001年9月11日、予言が頭をよぎった。「空から恐怖の大王が降ってくる」―ニューヨークの摩天楼に2機の飛行機が激突しビルが崩れ去る光景を、予言通りと感じたのは筆者だけだろうか。この後、米国は対テロ戦争へと突き進み、アフガニスタンでの軍事行動を開始する。
1987年―10月19日、株価は大暴落した。このブラックマンデーによる世界の株式市場の損失は、1兆7000億ドルにも達したと言われる。インフレ鎮静化に成功し2カ月前に米連邦準備制度理事会(FRB)議長を退任したボルカー氏を引き継いだばかりのグリーンスパン議長は、いきなり試練にさらされた。株価の回復には2年間を要した。ただ、89年末に史上最高値を記録した日経平均株価がバブル崩壊を契機に下落を続けたことを例外として、ブラックマンデーを忘れたかのように90年代の世界の株価は上昇トレンドをたどった。
3.11、9.11、ブラックマンデー―卯年に絡めるだけでも人類はさまざまな危機に見舞われてきた。自然災害、テロ行為、金融危機などその態様は異なるし、影響も違う。人々は、危機を克服するため、その時々で最善の行動をとった。3.11の被災地には多くのボランティアが訪れ、復興も徐々に進んだ。9.11後のテロとの戦いは泥沼化したが、それでもアルカイダの最高指導部は掃討され、組織の力は低減した。ブラックマンデー以降、世界の金融当局は資本市場の安定化と機能改善に注力し、2000年に始まるITバブル崩壊までの間、同様の事態は回避された。
しかし、一方で傷が完全に癒えたわけではない。3.11の被災地では、人口が減ってしまったままの地域が残り、原発事故の風評被害も消えない。原発のあり方に関する国民的合意もできていない。9.11以降、テロとの戦いに終わりはみえない。西側諸国と他の国々の間の分断も解消されず、安全面の脅威は残ったままだ。2008年の世界金融危機に象徴されるように、金融を起点とする危機は繰り返された。
過去の危機を教訓にしつつ、新たな危機と対峙(たいじ)し続けていくしかないのだろうか。関東大震災100周年の今年、気を引き締めて過ごしたい。
早﨑 保浩