「理系」「文系」の枠を超えよう

 私は高校2年生の時に「理系」を選択した。小学生の頃に見た科学番組や、中学生の時に行った「科学万博つくば'85」に刺激を受け、漠然と科学に憧れを抱いていたためだ。そして、当然のように理系の大学、大学院で学び、ある化学メーカーに技術者として就職した。「理系の学生だから理系の仕事を選ぶ」ことに何の疑問もなかった。

 その後、電機メーカーに移り、当時は次世代テレビの最先端技術と言われた有機ELディスプレーの開発に携わった。私は研究開発の楽しさに没頭し、「文系」の知見に触れる機会はほぼなかったように思う。

 やがて、有機ELはおろか主力の液晶テレビも含め、日本のディスプレー産業は韓国勢などの攻勢で競争力を失い、相次ぐ工場閉鎖など冬の時代を迎えた。私はこのタイミングで技術職というキャリアを捨て、別の分野で社会人第2幕をスタートさせることを決断した。

 「研究開発は十分やり切った」という思いがあったことが最大の理由だが、さらに言えば「会社の度重なる経営判断の誤り」に対する不満や、「技術職としてビジネスを成功に導けなかった」というじくじたる思いが、心の底にわだかまっていたのも事実である。

求められる「開発の先」への理解

 縁あってリコーに転職し、現在は理系の技術とは畑違いの「経済社会研究所」で組織運営全般を担っている。経理・人事・法務・総務など業務運営の司令塔であり、典型的な「文系」の仕事である。これらの業務に関する研修や自己学習は新鮮だった。理系人生では無縁だった内容ばかりで、ちょっと不謹慎かもしれないが面白かった。

 また経済社会研究所であるため、マクロ経済や企業経営、データ分析などについて学ぶ機会もあり、経済ニュースを表面的にではなく、原因や背景、今後の見通しを含めて、立体的に捉えられるようになったと感じている。

 思えば、世の中はすべからく、理系と文系の両要素から成り立っている。興味や知見が一方に偏れば、全体像は見えにくくなる。かつて私が心血を注いだ研究開発の先には製造現場があり、在庫管理や配送、販売、アフターサービスを含めた幅広いビジネスの世界が広がっている。「開発の先にある業務」への理解を欠いていては、消費者、ひいては世の中に役立つ開発はできないと考える。「あの時、文系の視点を持てていたなら」と、今更ながら悔やんでいる。

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視野の広い人材の育成を

 理系から文系に転向して分かったことを踏まえて、一つ提案したい。いろいろなことを吸収できる「柔らか頭」のある高校生の段階で、進路を「理系」「文系」に分ける日本の教育制度には問題があるように思う。杓子(しゃくし)定規なコース分けは、幅広い視野を持った人材を育成する芽を摘むことになっていないだろうか。

 むろん、理系の若者の中にも文学や歴史に興味を持つ人はいるし、数学や物理が得意な文系学生も多い。ただ、学校に「あなたは理系」「あなたは文系」とレッテルを貼られたことをきっかけに、「理系だから国語ができなくてもよい」「文系だから数学なんて使わない」などと自分自身の可能性を狭めてしまう学生が少なくないとすれば、もったいない話である。

 「理系」「文系」の枠を超えてビジネス全体を俯瞰(ふかん)し、打開策を見いだす。そんなハイブリッドな若者が増えれば、もはや「衰退過程」に入ったとも言われる日本経済の再起動を実現できるのではないか。その第一歩が、「文系理系の枠にはめない教育」ではないかと、思えてならない。

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帯川 崇