AI時代こそ、価値多層性の実現を(下)

 すさまじい技術進歩を遂げている人工知能(AI)とどのように関わるべきか、一般社団法人・京都哲学研究所(KIP)の出口康夫共同代表理事(京都大学「人と社会の未来研究院」特定教授)に聞いた。インタビュー前半で出口共同代表理事はAI時代にこそ、人や組織それぞれにとってアイデンティティーと存在価値の確立が不可欠と強調。これを踏まえて後半では、価値多層性の重要性、提唱している生き方「WEターン」の詳細、人が目指すべきAIとの共存の在り方などを明示した。(共執者 研究企画室長 帯川 崇)

 インタビュー後半の一問一答は次の通り。

「WEターン」という生き方

―― アイデンティティーの確立に向けた道筋に対する考えは?

 注意すべきは、唯一の正しい価値は存在しないということだ。価値の座標系は多元的で多層的なのだ。このような価値の多元性や多層性を踏まえつつ、おのおのの個人や組織、社会が「自らの存在理由」や「向かうべき方向性」を見定め、「価値の提案力」を身につけることが求められている。

 社会の行末についての予想は、あくまで短期間に限って可能である。中長期予想はそもそも不可能なのだ。中長期に関しては、「こうなるだろう」という予測ではなく、「こうなるべきだ」という「進むべき方向性」、「あるべき未来」を示すこと、言い換えると何らかの価値の旗印を掲げることしかできない。

 私自身は、「I(私)」から「WE(われわれ)」へのターン、すなわち「WEターン」という旗を立てている。この「WEターン」の出発点は、「人は1人では何もできない」という「根源的できなさ」の認定にある。このような、そこから逃れることができない「できなさ」を見据えることで、われわれはすべてのことを「WE」の一員として行っていること、常にWEとのそのメンバーに支えられて生きていることが前景化される。「WE」という衣装を脱ぎ捨てても存在しうる「裸の私」など幻想にすぎないのだ。

出口康夫・KIP共同代表理事

「良いWE」「悪いWE」

―― 日本社会では「個」が弱い。個の確立が必要と言われることも多いが。

 WEターンは、「I」の否定は意味しない。そもそも「I」がなければ「WE」は「WE」でなくなってしまう。それは「You」や「They」になってしまう。その意味で「WE」にとっても「I」は不可欠でかけがえのない存在であると言える。

 一方、すべての「WE」が「良いWE」であるわけではない。「良いI」もいれば、「悪いI」もいるように、「良いWE」もあれば、「悪いWE」もある。「悪いWE」の典型例は1人の人間、一つの価値観が「WE」の中心を占有し、それ以外の「WE」のメンバーがその「中心占有者」の利益に一方的に奉仕させられている「全体主義的WE」だ。特定の明確な個人や価値観ではなく、正体がつかみづらく、顔の見えない「雰囲気」や「空気感」が中心を占有している「WE」、すなわち「のっぺらぼうのWE」もまたあしき「全体主義的WE」に他ならない。

 このような「全体主義的WE」では、どうしても個が弱くなってしまう。個の弱体化を防ぐためには、「I」を「WE」から切り離すのではなく、「I」を含んだ「WE」そのものを全体主義的ではない、「より良いWE」にしていく必要がある。そもそも「I」は「WE」から切り離せない。「WE」全体を良くしていかないと、個の弱体化も防げないのである。

 中心を占有し、自由と豊かさ謳歌(おうか)する中心占有者と、そうでない周縁者の間に分断が生じている「WE」もまた、「あしきWE」の一例だ。トランプ現象の背後にある米国の分断社会や、テック右派が思い描く寡頭制もまた、このような「あしきWE」に他ならない。またSNS上でのささいな発言が社会的袋だたきを引き起こす「炎上」も「のっぺらぼうのWE」の現れだとも言える。

多元化・多層化の重要性

―― 良いWEターンはどのように実現する?

 哲学者だけでは「良いWE」を実現することはできない。企業、国・地方など行政、NPO・NGO、メディア、教育関係者など多種多様なプレーヤーが価値のベクトルを共有することが必要だ。2027年7月に第2回京都会議を開催し、目指すべき「中長期の価値」の提案の仕方、共有の作法を京都宣言としてまとめたい。ポストSDGsを見据え、人間の実存に根差した根源的価値の見直しと、その多元化・多層化の重要性を訴えたいと考えている。

 京都哲学研究所に参画されている経営者の方々は、それぞれ自分なりの理念や志を持たれており、その発言には人を引きつける力がある。京都会議で、そうした方々と接することで「志」が産業界など実社会に次々と「伝播(でんぱ)」し、「良いWE」を目指すムーブメントが起こることを期待している。

―― AI時代の人の存在理由は?

 進歩し続けるAIに背を向けて活用しないという選択肢は、もはやありえない。一方、私は汎用(はんよう)AIが実現しても人間の役割はなくならないとも考えている。科学技術や産業ひいては現代の科学技術文明を支えている大前提として、完全に正しい測定装置などは存在せず、どの装置も必ず何らかのバイアスを抱えており、そのバイアスは複数の測定装置から得られた測定結果の間のバラツキとして初めて可視化されるという考えがある。

AIとは異なる人が気付く

 同じことは世界の認知についても言える。人間であれAIであれ完全に正しいバイアス・フリーな認知者など存在しない。人間には人間特有の人間バイアスがあり、AIはAIバイアスを抱えているはずだ。例えばAIは、世界を過度に平均化して捉える認知バイアスを抱えている可能性がある。

 人間とは異なった知性であるAIの登場によって、人類史上初めて人間バイアスを可視化できる機会が訪れつつある。一方、人間が認知活動から引退し、すべてをAIに任せてしまうと、今度はAIバイアスから逃れられないことになる。

 人間とAIが共に認知活動を続け、お互いの違いを明らかにすることで初めて、両者のバイアスを白日の下に晒すことができる。お互いのバイアスを曝(さら)け出すためには、人間がAIに比べて優れていたり、AIが持っていない能力を保持していたりする必要はない。人間がたとえAIより劣っていたとしても、人間的知性がAIと異なっている限りバイアスの可視化と除去が可能であり続ける。その意味で、人間の役割は不滅なのだ。

「暗黒啓蒙(けいもう)」に陥らない

―― より良きWEターンにAIを結びつけるには何が必要か。

 AIと人間は、これからも共同で「良きWE」を目指すべきだ。既に述べたように、「WE」の「良さ」という価値は多様で多元的で多層的だ。したがって多層的な価値を組み込んだ多様なAIが必要となる。米国西海岸の価値観だけでなく、多様な価値を体現する多様なAIがネットワーク化され、その間で対話が行われるようなシステムが望ましい。

 また単に利便性や効率性を追求するだけでなく、倫理的な良さも含めた多様な価値観を内在化したAIを作ることも重要だ。設計段階から多様な価値を弾込めしたAIを作成し、社会に実装することにはそれなりのコストがかかる。しかし特に次の世代、自分たちの子供や孫の養育や教育に関しては、少々コストが掛かっても効率一辺倒ではないAIが必要だと考える人も多いのではないか。

 多種多様な価値が実現されるべきだという点から言っても、一握りのエリートが大衆を上から目線で指導する寡頭制、テック右派が言う「暗黒啓蒙(けいもう)」に陥ってはならない。そのような社会はあしき「全体主義的WE」につながるからだ。

〔略歴〕
出口康夫(でぐち・やすお)氏
1962年生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程修了、96年博士(文学)。同大学大学院文学研究科教授を経て、2026年4月から京大「人と社会の未来研究院」特定教授。京都哲学研究所設立時の23年7月より共同代表理事を務める。新たな価値システム「WEターン」を提唱している。近著に「これからの社会のために哲学ができること」(光文社)、「AI親友論」(徳間書店)、「What Can't Be Said: Paradox and Contradiction in East AsianThought 」(Oxford UP)、「 Moon Points Back 」(Oxford UP)など。

《インタビュー要旨》

 出口康夫・京都哲学研究所共同代表理事のインタビュー要旨は以下の通り

・AIの普及、進化によって人や企業など既存の組織は不要になるのではないかという「アイデンティティー・クライシス(自己同一性の危機、喪失)」が広がっている。あらゆることの存在意義が揺らいでおり、社会でどのような価値観を共有するか問われている。

・日本は戦後、米国を中心とする国際的な価値観を受け入れていれば、民主的で平和な社会を実現できると信じてさまざまな具体的な対応をとればよかった。しかし今後は、日本自身がアイデンティティーを確立することが必要になる。

・アイデンティティーを確立にとって重要なことは、人は社会なしに生きられないことを前提に、多様な価値を互いに多層的に認め合うことが大切になる。全体主義や抑圧主義、一部の指導者が大衆を導く寡頭制に陥ってはならない。

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小林 辰男