AI時代こそ、価値多層性の実現を(上)
AI(人工知能)のすさまじい技術進歩は経済成長を加速させるとの期待がある一方、人がAIに代替されるのはないかという不安も広がる。AIは最先端のイノベーションが生む「光と影」を象徴しており、変革の波に乗れる人と乗れない人との間の格差はさらに広がるのではないかと懸念される。陰の部分として世界でポピュリズムが広がる要因になるとの見方もある。AI時代に人や組織は社会とどのように関わるべきか。産官学の世界のリーダーが集まり、議論する一般社団法人・京都哲学研究所(KIP)の出口康夫共同代表理事に聞いた。
出口共同代表理事は、AI時代になるからこそ人も組織も社会もそれぞれがアイデンティティーと存在価値を確立するよう訴える。そして、多様で多元的な存在を認め合う価値の多層性を実現し、「I(私)」ではなく「WE(われわれ)」へのシフト「WEターン」が必要と主張する。人は一人で生きていけるわけではないからだ。(共執者 研究企画室長 帯川 崇)
出口康夫・KIP共同代表理事/京都大学人と社会の未来研究院特定教授
インタビュー前半の一問一答は次の通り。
「アイデンティティー・クライシス」
―― 2023年にKIPを設立、25年には世界中から産官学のリーダーを京都に招き、哲学的な議論をした。狙いは?
AIが社会に浸透し出し、「人間のやることが無くなるのではないか」という懸念が広がり、人類の存在意義自体が問われ始めている。AIの進化によって知的専門職の大量失業が起こるだけでなく、人間そのものが不要となる事態が生じ始めている。「人間失業」とでも呼ぶべき「アイデンティティー・クライシス」、言い換えると「存在理由の喪失」がここにはある。
応用倫理学的な個別の問題への技術的な対処のみならず、人間の実存自体が危機に晒(さら)され、その影響は社会のあらゆる面に及びつつある。このような根源的な危機意識を背景に現在、哲学へのニーズが高まっている。AI時代において、企業も個人も社会も自らのアイデンティティーの再定義に迫られていると言える。
KIP共同代表理事の澤田純NTT会長をはじめ、理事にご就任いただいている日立製作所、博報堂DYホールディングス、読売新聞グループ、サムソン電子の経営者の方々も同様の危機感を抱かれ、哲学界と産業界のコラボレーションが始まった。昨年9月には世界18カ国から産官学民のリーダーが集まり、分野・立場を超えた人たちが膝を交えて議論し、貴重で重要な第1歩を踏み出せた。
普遍的な価値観に揺らぎ
―― 経営者が哲学の話とは。
NTTも日立も業態を大きく変えることで国際競争を生き抜いてきた。いずれも電信電話事業や電気電子事業という重厚長大型の産業を起点として国内で発展してきたが、情報インフラを中心とする社会インフラ全般を扱うようになり、巨大なグローバル企業にもなった。ここにも「方向性の喪失」という意味での「アイデンティティー・クライシス」が生じている。自分とは何か、何だったのか。自分たちはこれから何を目指し、どうしていくべきか。業態の変化やグローバル化に伴って、巨大なグループ全体の進むべき方向性が改めて問われている。
その際、利益が上がればいい、株主に順当に配当ができればいいというだけでは、グループ全体のまとまりも維持できない。より大きな資力を持った国際資本によるM&A(企業の合併・買収)の餌食になるだけだ。
また、グローバルな規模でのアイデンティティーの問い直しでは、これまでのように文化や価値観を暗黙裡(り)に共有していた者同士の「言わずとも分かり合える」という内輪の関係はもはや期待できない。文化や言語の違いを超えて共有できるような言語化・概念化が求められているのである。
利益の最大化を目指すだけなら、経済や経営の専門家の門をたたけばよい。しかし利益のみに還元されない新たな方向性を探り、それを明確に言葉として打ち出し、その言葉を支える理論のネットワークも併せて構築するとなると、ことは哲学の領域に近づいていくことになる。このように見てくると、経営者が哲学の話をしだすのも一つの自然な流れとも言える。
欠いていた「独自価値の提案力」
―― トランプ現象の下、社会全体も価値観が揺らぎつつある。
戦後日本は、特に公的な次元ではおおむね米国発、国連発の価値観をそのまま受け入れてきたと言える。例えば、世界人権宣言や持続可能な開発目標(SDGs)といったニューヨークから降ってきた価値のシステムを自明視して、それに合わせて政府や企業経営の大方針を決めていればよかった。しかし2度にわたるトランプ政権の誕生に象徴されるように、普遍的で絶対だと思われた国連的価値観がお膝元の米国ですら揺らぎ始めている。これは一時的で局所的な現象ではなく、その背後には米国を含めた数多くの国々や地域で起こっている社会の分断という、巨大で深刻な構造的問題があると考えるべきだ。
米国のテック産業のリーダーの中には自由主義と民主主義は相いれないと考え、自由主義を優先し民主主義を拒否する「暗黒啓蒙(けいもう)」を唱える「テック右派」も登場している。彼らは、自由な社会を実現するためには、自由を尊重する優れた指導者が国家運営に携わればよく、一般大衆は「消費者」として政治的サービスを受けたり、納税先を自由に選んだりすることで政府に間接的な影響を与えることは許されるが、「有権者」として政府の意思決定に直接、間接に関与する必要はないと主張している。彼らは「愚かな大衆」による民主制よりも「優れた指導者」による寡頭制がベターだと考えている。トランプ政権もまた、民主主義より寡頭制を志向しているように見える。
もちろん戦後日本の大方針であった民主主義や平和主義、さらには人権やSDGsなどの重要性はいささかも揺るがない。しかしそれらを単に「世界の趨勢(すうせい)」として受け入れるだけではなく、自分自身が納得できる価値観として一から鍛え直し、選び直す必要が生じている。またポストSDGsの価値観に関しても、与えられるのを待つのではなく、自分たちの身の丈にあったものを生み出し、世界に提案する姿勢が求められている。
借り物ではない新たな価値観を自ら作り出し世界に発信する姿勢、言い換えると「独自の価値の提案力」としてアイデンティティーを戦後日本社会は欠いていたのではないか。
自ら奉じている価値を問う
―― そもそもアイデンティティーとは何か。
「存在理由」、「進むべき方向性」、「独自の価値の提案力」。アイデンティティーは文脈に応じてさまざまな意味を持ちうるが、それはそもそも「自分とは何か」という問いに対する答えだとも言える。ここで重要なのは「自分とは何か」という問いが単なる事実に関する問いであるだけではなく、「自分はどのような人間でありたいのか、どのような人になるべきか」という「べき」、すなわち規範や価値に関する問いでもあることだ。言い換えると、アイデンティティーを問うとは自らが奉じている価値を問うことを意味する。
結局、アイデンティティーとは自分自身で腹落ちし、自分事としてコミットできている「自前の価値観」に他ならないことになる。価値観とは、言うまでもなく自分が進むべき方向性を示すもの。価値観としてのアイデンティティーは「進むべき方向性」を指し示す2次元ベクトルそのものなのだ。
われわれは自分たちが掲げる価値を座標として、いろいろな物事にプラスやマイナスの「意味」を与えてきた。この「意味」の中には、「自分は何のために生きて存在しているのか」という問いに対する答え、すなわち「存在理由」も含まれる。アイデンティティーは「存在理由」でもあるのだ。
アイデンティティーを確立するとは、自らの身体に価値のベクトルを貫き通すことを意味する。そのベクトルの延長線上に何があるかを見据えることで、社会に対して新たな価値を提案することもできるようになる。この意味で、アイデンティティーとは「独自の価値の提案力」とも重なる。
次回「下」では、価値多層性の重要性や「WEターン」、AIと共存する未来像に関する考えを詳しく聞く。

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小林 辰男