経済指標と景気実感 ズレの真相は
日本経済は好調なのか不調なのか。政府と日本銀行は、「景気は緩やかに回復している」という見解を示している。確かに企業業績は好調で、国内総生産(GDP)などのマクロ経済統計は堅調に推移している。人工知能(AI)への期待を追い風とした株高や訪日外国人(インバウンド)需要の増加など、景気を巡る明るい材料は多い。だが、国民の多くは好景気という実感を抱いていないようだ。なぜ指標の数値と人々の実感にズレが生じているのか。さまざまな観点から検証する。
緩やかに成長
主な経済指標で日本経済の現状を確認しよう。財務省が発表した2026年1~3月期の法人企業統計によると、全産業(金融・保険業を除く)の経常利益は6四半期連続で前年を上回り、過去最高を更新した。日銀の全国短期経済観測調査(日銀短観)を見ても、26年3月の業況判断指数(DI、全規模・全産業)はプラス18と、1991年8月以来の高い水準となっている。トランプ関税や中東情勢の緊迫などの悪影響を受けながらも、日本経済は全体として堅調さを維持しているように見える。
内閣府は2026年5月の月例経済報告で、景気の現状認識について「緩やかに回復しているが、中東情勢の影響を注視する必要がある」との基調判断を示した。日本銀行も26年6月の金融政策決定会合後に、「中東情勢の影響もあって一部に弱めの動きもみられるが、緩やかに回復している」との見解を示した。
実感は「景気が悪い」
政府も日銀も、景気は緩やかに回復していると見ているが、個人の景気認識はもっと厳しいようだ。日銀は四半期ごとの「生活意識に関するアンケート調査」で、1年前と現在、現在と1年後を比較して、景気が「良くなった」「良くなる」と答えた割合から、「悪くなった」「悪くなる」の割合をそれぞれ差し引いた値を、「現在の景況感DI」「1年後の景況感DI」として公表している。
2026年3月調査で、現在の景況感DIはマイナス45.5だった。3四半期連続で改善したものの、なお低水準だ。1年後の景況感DIはマイナス18.5と現在の景況感よりは高い水準にあるが、回復は足踏みしている。
景況感DIの推移=シャドー部分は景気後退期
(出所)日本銀行「生活意識に関するアンケート調査(2026年3月)」を基に作成
内閣府が毎月公表している消費者態度指数は一般に、50を下回ると景気認識が「慎重、悲観的」だとされる。この数値が今年3月から30台前半まで低下している。消費者の悲観ムードは強い。そうした中、中東情勢を巡る不確実性はあるものの、現在の景気回復局面は戦後最長クラスとされる。では、なぜマクロ経済成長の恩恵を実感できないのか。要因を分析していこう。
実質賃金の減少
まず指摘できるのが、実質賃金の減少である。名目賃金に物価上昇の影響を反映させた実質賃金は2025年、前年比マイナス0.5%と4年連続で減少した。ただ、26年1月に実質賃金は前年比プラス1.4%と13カ月ぶりに増加に転じ、4月まで4カ月連続で前年比プラスとなっている。それでも、景気に対する先行き不安が払拭(ふっしょく)されておらず、消費者マインドの低迷が長引いている。
「物価高で苦しい」
その原因として挙げられるのが、マクロの物価上昇率と消費者のインフレ実感との大きな差である。2026年に入ってから、消費者物価上昇率(総合)は1.3~1.5%で推移している。これに対し、日銀の生活意識調査の回答では、1年前に比べた物価上昇率は平均17.3%と、マクロ統計の上昇率の10倍を超えている。この乖離(かいり)によって消費者が「物価が上がって苦しい」という実感を持っていることがうかがえる。
これを、単なる「消費者の勘違い」と考えるのは適切ではない。物価変動の度合いは品目によって大きく違う。食料品(生鮮食品除く)は近年、前年比8%超まで大きく上昇し、特に主食のコメは一時、前年の2倍以上に跳ね上がった。
2025年度平均の物価上昇率を品目ごとに見ると、食料はコメを含む穀類や菓子類、飲料など上昇率が高い品目が目立つ。一方、家電などの耐久消費財は上昇幅が縮小し、教育費は高校授業料の無償化拡充などの政策効果もあってマイナスになった。このため物価上昇率全体は抑えられたが、購入頻度の低い耐久消費財や、政策支援による無償化などは、物価下落を感じにくい。
購入頻度の高い食料品などの値上がりの印象が消費者の頭に強く残り、物価全般が大幅に上昇していると感じているのだろう。
品目別の物価上昇率と家計への影響度を示すバブルチャート=バブルが右にあるほど値上がり率が高く、バブルが大きい(品目のウエイトが高い)ほど家計への影響度が大きいことを示している
(出所)総務省「消費者物価指数 全国 2025年度平均」を基に作成
行動経済学で考える
景気実感が悲観的になる要因は、経済学に心理学的な視点を導入して分析する「行動経済学」の視点からも説明できる。
ノーベル経済学賞受賞者のダニエル・カーネマンらが1979年に提唱した「プロスペクト理論」によると、「損失の痛み」は「同額の利得の喜び」の2倍ほど強く感じられるという。こうした心の動きを「損失回避バイアス(ひずみ)」と呼ぶ。
例えば、株式投資で100万円の損失を出した心理的な痛みを埋めるには、200万円の利益が必要になる計算だ。これを物価高と賃金上昇に置き換えると、物価高による生活コストの上昇は、同額程度の賃上げでは心理的に相殺されず、生活は苦しくなったという感覚が残ることになる。
カーネマンらは「利用可能性ヒューリスティック」という考え方も提唱した。物事の重要性を判断する際に、頭の中に思い浮かびやすい「身近な事例」や「最近見聞きした情報」を過大評価しやすい心理的傾向のことで、毎日のように目にする食料品の値上がりが「物価の基準」となりがちなことは、先述した通りである。
メディア効果も
日銀の生活意識調査によると、景況感の判断根拠の1位は「自分や家族の収入の状況」、2位は「マスコミの報道を通じて」となっている。個人の景気判断に、マスメディアの報道が大きな影響を与えていることが分かる。値上げや倒産など家計や労働者にとって悪いニュースは、読者・視聴者の関心が高いため相対的に多く報道される傾向がある。これが、景気に対する認識がネガティブに振れる要因となっている可能性がある。
景況判断の根拠
(出所)日本銀行「生活意識に関するアンケート調査(2026年3月)」を基に作成
中小企業の収益は悪化
もちろん、実感のズレの要因をすべて「認知のひずみ」と断ずるのは誤りだ。財務省の年次別法人企業統計調査によると、2024年度の全企業(金融・保険業を除く)の経常利益は前年度比プラス7.5%の増益だが、資本金1000万円未満の小規模企業に限ると、マイナス12.7%と減益だ。
2024年の経済センサスによると、日本企業全体に占める資本金1000万円未満の小規模企業の割合は62%に上る。また、従業者数が100人未満と少ない事業所で働く労働者の割合が68%を占めている。コスト増を価格転嫁しにくい小規模・中小企業の経営者やサラリーマンが多数派を占めることを考えれば、自社の苦しい経営実態が景気認識に反映されるのは無理もない。
消費者はへこたれていない
一方、個人の景気認識が悲観的な割には、実際の消費行動はそれほど落ち込んでいない。個人消費は新型コロナ禍前の水準にほぼ回復しており、旅行・外食・レジャーへの支出も堅調だ。「景気が悪い」「生活が苦しくなった」と感じながらも、外食や旅行を適度に楽しんでいることになる。生活意識調査の景況感DIなどは、あくまで人々の「気持ち」、いわゆるマインドを示す指標であり、実際の消費行動の動きとは区別して考える必要がありそうだ。
客観的で冷静な政策立案を
マクロ統計が示す経済状況と、個人の景気実感のズレは、おそらく解消されることはないだろう。経済政策を立案・実施する際に、国民の感覚や現場の状況をくみ取る努力は重要だ。だが、客観的な指標データと大きくかけ離れた「実感」に振り回されると、本来は不要な経済対策のために財政支出や減税を繰り返すことにもなりかねない。政策当局は、統計の数字には表れない景気の「気」の部分に目を配りつつ、データとエビデンス(根拠)に基づく冷静な判断と、国民への丁寧な説明を怠らないでほしい。

《おさらい》
Q 堅調な経済統計は日本経済の好調さを示しているが、人々の景気認識はよくない。指標と実感のズレはなぜ生じるのか。
A 実質賃金が伸び悩んでいる上に、購入頻度の高い食料品などが大幅に値上がりしたため、消費者には「物価高で生活が苦しい」という印象が強いとみられる。
Q 実感のズレは、消費者の「思い込み」のせいなのか。
A そうではない。日本企業全体の利益は増えているが、小規模企業は減益だ。小規模企業は日本企業全体の約6 割を占め、そこで働く人々が体感している経営の厳しさが個人の景気認識に反映されるのは無理もない。
Q こうした「実感」を、政策にどう反映すべきか。
A 消費者心理が悲観的な割に消費は堅調だ。気持ち(マインド)と実際の消費行動は区別するべきだ。実感に振り回されて巨額の財政支出などを繰り返すのではなく、データに基づく冷静な判断と丁寧な説明が求められる。
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上原 博人