タイが直面する「未富先老」

〔目次〕
1.急速な高齢化と所得格差
2.「制度なき高齢化」
3.現場の実態~農村から都市まで
4.タイは「予告編」にすぎない
5.日本との共通点と違い
6.アジア全体の構造問題

 タイは65歳以上人口が約15%に達し、既に高齢社会(*参照)になっている。そのタイは経済成長しているとは言え、1人当たり国内総生産(GDP)は現在、約8000ドルで日本の約6分の1、米国の約10分の1にとどまっている。年金や介護の備えが整わないまま、急速な高齢化の波が押し寄せ、国民一人ひとりが豊かになる前に老いていく。タイ政府は人口急増への懸念が高まっていた1970年代、「子どもを多く産むと貧乏になる」と国民に呼びかけた。その産児制限政策が半世紀後に新たな危機を招いたとも言える。こうした事態は中国で早くから顕在化。「未富先老」と呼ばれ、高い関心が寄せられている。未富先老はタイや中国だけの問題ではない。ベトナムやインドなどアジアの途上国共通の課題であり、経済的に関係が深い日本にとっても対岸の火事ではない。

 今回はタイが直面している未富先老に焦点をあて、その課題を検証する。
*高齢化社会=65歳以上の割合が 7%を超えた 社会、高齢社会=65歳以上の割合が 14%を超えた社会、超高齢社会=65歳以上の割合が 21%を超えた社会

1.急速な高齢化と所得格差

 タイは1950年代から人口急増が社会問題化していた。そうした中で1960年代後半、人口抑制を目的とした「家族計画プログラム」が米国際開発局(USAID)の支援の下で始まり、70年に国家政策として本格化した。

♢家族計画プログラムの功罪

 多産を戒めるタイ政府のスローガンが社会に浸透し、70年から90年代初頭までのわずか20年余りで女性1人が生涯に産む子どもの数の平均である合計特殊出生率は6超から2以下まで急速に低下。「最も成功したプログラムの一つ」と学術的に評価されるほど効果的だった。

 その後、合計特殊出生率は人口維持に必要な2.1の約半分である1.2(注1)まで下がっている。人口1000人あたりの年間出生数を示す出生率は2025年に9.27と過去最低水準を記録しており、どちらの指標も少子化の深刻さを浮き彫りにしている。

 その結果、2025年には15歳未満の子どもの人口が950万人となり、60歳以上の1360万人を初めて下回るという歴史的な転換点を迎えた(注2)。

今や国が「老いすぎ」

 高齢化のスピードも際立っている。2004年に65歳以上の割合が7%を超える「高齢化社会」となり、14%を超える「高齢社会」を経て、33年には21%を超える「超高齢社会」になる見込み。タイはわずか29年間で高齢化社会から超高齢社会に至る見通しで、これは日本の37年(1970年〜2007年)、フランスの150年超(1950年以前〜2021年)を大幅に上回るスピードである。

高齢化社会から超高齢社会になるまでの年数。タイ・中国・ベトナム・インドは将来見込み(出所)国連の世界人口推計(2024年)

 平均寿命は77歳と1960年の51歳から急速に延びており、かつて人口爆発に悩んでいた国が今や「老いすぎ」という全く反対の危機に直面している。

 課題の本質は高齢化の速さだけではなく「順序」にもある。タイが高齢化率14%を超えて「高齢社会」入りした2022年時点の1人当たりGDPは現在よりも低く、約6900ドルだった。これは米国が同じく高齢社会に達した14年時点の約5万5300ドルの8分の1にすぎない。

 年金や介護といった制度を整備するための時間も財源も十分でない中で社会が老いていく。これがタイの高齢化が抱える「未富先老」問題の核心である。

.制度なき高齢化

高齢者の半数は貯蓄ゼロ

 高齢者の経済状況は厳しい。タイの高齢者(60歳以上)の約45%は貯蓄が全くなく、44%は貯蓄が20万バーツ(約100万円)以下にとどまるなど、合わせて約9割が老後に備えた十分な貯蓄を持たない。政府の老齢手当(OAA)は月600〜1000バーツ(約2900〜4900円)と低額で(注3)、生活を賄える水準にない。老後の所得保障が不十分な中、就労を続けざるを得ない高齢者が少なくない。

 所得格差も深刻である。世界銀行の報告書「Bridging the Gap: Inequality and Jobs in Thailand (格差是正:タイにおける不平等と雇用)」によると、2021年のタイの所得ジニ係数(所得格差の度合いを示す指標。0に近いほど平等、100に近いほど不平等)は43.3%と東アジア・太平洋地域で最も高い水準にあり、上位10%の富裕層が国富の74%超を保有する。バンコクの1人当たりGDPは北東部農村の6.5倍以上に達しており、高齢化の痛みは貧困層に集中している。

♢非正規雇用は年金の対象外

 社会保障をめぐる制度面の課題も多い。タイの年金制度は、民間正規雇用者を対象とする社会保障基金(SSF、年金・医療など対象)と公務員向けの政府年金基金(GPF)を軸に設計されている。雇用契約を持たない自営業者や農業従事者、非正規労働者は加入義務の対象外とされてきた。しかし労働者の52%がこうしたインフォーマル雇用(社会保険や労働法の適用を受けない就労形態雇用)であり(注4)、制度の恩恵は正規雇用者にしか届かない。

 農村の自営業者・農業従事者の多くは年金制度の外に置かれてきた結果、年金を主な収入源とする60歳以上の高齢者はわずか約5%にとどまり、4分の3以上が就労または子どもからの仕送りに依存している(注5)。この構造は現在も変わっていない。

 こうした中、政府は2026年1月、社会保障基金に納める保険料の上限を引き上げるとともに年金支給額の上限も併せて上げた。年金で生活できる層を増やすのが狙いだ。

 また同年10月、従業員の退職時や死亡時に給付金を支払うための雇用福祉基金(EWF)導入など制度改革は動き始めているが、いずれも正規雇用者を対象としており、非正規労働者への対応は依然として不十分である。

♢介護人材が深刻な不足

 日本や欧米など外資の工場誘致により経済発展したタイは、ミャンマーやカンボジア、ラオス、ベトナムなど近隣国から410万人の移民労働者が流入し、労働力全体の10%超を占める(注6)。その70%がミャンマー出身であり、建設・農業・製造業・食品加工などの労働集約的産業の担い手となっている。2060年までに約1440万人の人手不足が見込まれる中(注7)、移民への依存はさらに高まる見通しだ。

 ただ、移民労働者は主に低賃金・単純労働の分野を担い、専門性が求められる介護分野への就労は限定的である。介護人材は確保が難しく、国際労働機関(ILO)は2037年までにタイ国内で25万人超の在宅介護労働者が不足すると警告。また、30年までに農村部だけで介護士約5万人が必要と試算されているが(注8)、充足の見通しは立っていない。

 訓練された専門介護士が不足し、無資格の地域ボランティアが実質的に介護を担う状況が続いている。

♢低所得者には手が届かない

 施設面でも課題が山積している。公立の無料・低コスト老人ホームは全国でわずか25施設(2026年7月25日付ウォール・ストリート・ジャーナル)にとどまり、現在の入居者は全国で約1万9490人にすぎない。

 民間老人ホームは2018〜23年に年平均25%増加し、25年時点で708施設に達した(注9)。しかし、月額の入居費1万〜2万バーツ(4万9000〜9万8000円)の施設が43%を占め、低所得の高齢者には手が届かない水準にある。また、外国人・富裕層向けには月7万5000バーツ(36万6000円)以上の高級施設も増えている。

 タイは国民皆保険だが、施設介護費用を対象外としており、制度面の偏りが問題を深刻化させている。

.現場の実態~農村から都市まで~

♢農村部:家族介護の崩壊

 若者の都市流出により農村には高齢者だけが残り、高齢者が高齢者を介護する「老老介護」が常態化しつつある。介護の担い手の中心は家族で、チェンマイ北部の調査では約47%が子ども、約45%が配偶者で占められる(注10)。

 「昔からずっとこうやってきたんです。母は祖母の面倒を見て、それから祖父の面倒を見ました。そして今、私が両親の面倒を見ています」。認知症の母と高齢の父を介護しているタイ中部の女性(57)は、こう語る(2026年7月25日付ウォール・ストリート・ジャーナル)。この女性は近隣の高齢者22人の世話も担っている。

 介護者の多くは中年以降の女性(娘または妻)であり、介護負担による就労制約を抱えるケースが少なくない。公的な介護保険制度が未整備のまま家族に依存する構造が続いており、少子化と都市への人口移動がその基盤を急速に掘り崩している。

♢都市部:孤立する高齢者

 バンコクでは一人暮らし高齢者が急増し、地域コミュニティーが唯一の安全網となっているケースが多い。慈善団体が提供する無料の食事に並ぶ列の約3分の2が高齢者という現場報告もある(2026年7月25日付ウォール・ストリート・ジャーナル)。「貯金できるほどのお金は一度も持ったことがなかった。持っているお金は全て家族のために使っていた」。バンコクのレストランで働き、体力の限界から退職した71歳の女性は食事無料提供の列に並びながら、そう振り返る(同)。

 人工知能(AI)や遠隔医療で孤立高齢者を支えるパイロット事業が一部で始まっている(注11)ものの、デジタル格差が壁となり普及は限定的だ。

タイは「予告編」にすぎない

 高齢化のスピード自体が深刻な課題で、「未富先老」はタイが抱える固有の課題ではない。経済発展する中、社会保障の整備が進まないまま、急速な高齢化を迎えるという状況はアジアの途上国に広く共通している。

♢中国:最も深刻な隣人

  「一人っ子政策」(1980〜2015年)を実施してきた中国は、高齢化社会(2000年)から超高齢社会(2034年見込み)まで34年というスピードで高齢化が進む見通しだ。2025年の新生児数は792万人。中華人民共和国の建国以来、最低水準を記録した。都市労働者向け公的年金基金は35年頃に枯渇する可能性を中国社会科学院が警告しており(注12)、国際通貨基金(IMF)の試算では24〜50年にかけての高齢化でGDP成長率が年約2%ポイント押し下げられ、年金支出がGDP比で約10%ポイント増加する見込みだ(注13)。

 こうした中で「未富先老」への懸念が高まっている。高齢化を踏まえて中国政府は2025年1月、約70年ぶりに定年年齢を引き上げた。男性は60歳から63歳、女性は管理職が55歳から58歳、同じく一般職は50歳から55歳へ15年かけて段階的に引き上げる計画だが、問題の根本的解決には程遠い。

♢ベトナム:1015年の猶予

 ベトナムは2015年に高齢化社会に達し、2053年には超高齢社会になると推計されている。この間38年で急速に高齢化が進む。製造業ブームで経済成長しているが、出生率は急低下している。25年に「二人っ子政策」を撤廃したものの効果は未知数だ。今から高齢化に向けた制度整備を始めれば間に合う可能性はあるが、農村部の非正規労働者問題はタイと同じ構造を抱えている。

♢インド:規模という問題

 インドの超高齢社会到達は2065年と見込まれている。時間的余裕はあるが、現在14億人という人口の高齢化は天文学的な財政負担を生む。ケララ州の60歳以上人口比率は16.5%でタイの19.5%に近づきつつあるほか、タミルナド州の13.6%など南部諸州は全国平均の10.1%を大きく上回っている。

 いずれもタイの水準にはまだ達しておらず、高齢化の進展は州により異なっている(注14)。それでも、巨大な人口を持つインドの高齢化は中国と並ぶ大きな課題となっていくのが確実だ。

日本との共通点と違い

 急速な少子高齢化、出生率の低下、非正規労働者の無年金、介護人材の不足と外国人労働力への依存。これらの課題は日本とタイに共通する。しかし決定的な違いがある。

♢時間的な余裕

 日本が「国民皆年金」を実現した1961年の1人当たりGDPは約560ドルと、現在のタイよりはるかに低い水準だった。それでも制度の枠組みを先に作り、その後の高度成長で充実させた。タイは当時の日本より豊かな段階にありながら、制度整備が進んでいない。

 日本が「超高齢社会」に達した時の1人当たりGDPは約3万6000ドルでそれまでに制度を整備する時間的な余裕があった。タイは制度が整備される前に高齢化が到来しており、この「順序の違い」が問題の深刻さの根底にある。

♢移民政策

 日本は2027年4月から育成就労制度を本格導入し外国人介護人材の受け入れを拡大する予定。25年6月時点で特定技能の在留外国人は33万6196人に達し、介護分野が外国人在全体の第2位を占めている。ベトナム・インドネシア・ミャンマーが主な人材の供給国だ(注15)。

 タイは地理的に陸続きの近隣国から多数の移民を受け入れやすい環境にあるが、介護分野への就労は限定的で根本的な解決にはなっていない。外国人の活用が今後の課題となるだろう。

アジア全体の構造問題

 タイが直面する「未富先老」は一国の問題ではなく、社会保障の制度整備が進まないまま高齢化を迎えるアジアの途上国に共通する構造的リスクの典型である。年金・介護・移民・財政など複数の政策課題が同時に噴出するこの問題に近隣国や国際機関、民間がいかに連携して対処するか。その処方箋を描くことが、今、アジアに求められている。


 《おさらい》

Q 「未富先老」とはどういう現象か。
A 国が十分に豊かになる前に高齢化してしまう現象。1970年代の人口抑制政策が奏功しすぎたタイでは、1人当たり国内総生産(GDP)が日本の約6分の1にとどまる段階で、65歳以上人口が全体の約15%に達している。

Q タイの高齢者を支える年金・貯蓄はなぜ機能していないのか。
A 高齢者の約9割が十分な貯蓄を持たない一方、年金制度(SSF)は正規雇用者しか対象とせず、労働力の約52%を占める非正規労働者は加入対象外のため、年金を主な収入源とする高齢者はわずか約5%にとどまる。

Q 介護を支える人材は足りているのか。
A いいえ。国際労働機関(ILO)は2037年までに在宅介護労働者が25万人超不足すると警告している。近隣国からの移民労働者は多いものの介護分野への進出は限定的で、無資格のボランティアが実質的な介護を担っている。

Q タイが直面する「未富先老」の問題は日本とはどう違う?
A 中国やベトナム・インドにも共通する構造的リスクであり、タイはその「予告編」にすぎない。日本は貧しい段階で年金など制度の枠組みを整えてから豊かになったが、タイは制度整備をする前に高齢化が到来した。


注1 世界銀行(World Bank)「世界開発指標(World Development Indicators)」合計特殊出生率(出生数、女性一人当たり)-タイ。
注2 タイ地理情報・宇宙技術開発庁(GISTDA: Geo-Informatics and Space Technology Development Agency,2025)の推計。The Nation Thailand「Thailand's Elderly Population Surges Past Children, GISTDA Reveals」(2025年)で報道。https://www.nationthailand.com/news/general/40054741
https://data.worldbank.org/indicator/SP.DYN.TFRT.IN?locations=TH
注3 The Nation Thailand「TDRI says 30-year savings system still leaves elderly Thais poor, urges auto-enrolment(2025)」。タイ開発研究所(TDRI: Thailand Development Research Institute)報告書に基づく。https://www.nationthailand.com/news/policy/40068643
注4 タイ国家統計局(NSO: National Statistical Office of Thailand)労働力調査(2023年)。
注5 世界銀行(World Bank,2021)「タイの年金制度(Pension Provision in Thailand)」。
注6 国際移住機関(IOM: International Organization for Migration,2025)タイ。https://thailand.iom.int/migration-outlook-country
注7 世界銀行(World Bank,2021)「タイにおける高齢化と労働市場(Aging and the Labor Market in Thailand)」(2020〜2060年で労働力人口が約1440万人減少すると推計)。Shock report: Shrinking labour market in Thailand - Tom Sorensen
注8 タイ保健省(Ministry of Public Health)・コンケン大学(Khon Kaen University,2021)による農村部の看護師・介護士需要試算。
注9 ExpatFocus「Elderly Care in Thailand(2026)」。https://www.expatfocus.com/thailand/guide/thailand-elderly-care
注10 チェンマイ大学(Chiang Mai University)等の共同研究「Caregiver Burden and Associated Factors for the Respite Care Needs among the Family Caregivers of Community Dwelling Senior Citizens in Chiang Mai, Northern Thailand(2021)」。
注11 Imkome et al.「Ai-Aun Chatbot: A Pilot Study on the Effectiveness of an Artificial Intelligence Intervention for Mental Health Among Thai Older Adults」Nursing & Health Sciences(2025)。https://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1111/nhs.70093;「Mobile Health Clinics and Telehealth Outreach in Thailand: A Focus on Elderly Care and NCDs」Journal of Multidisciplinary Healthcare(Dove Medical Press)。https://www.dovepress.com/mobile-health-clinics-and-telehealth-outreach-in-thailand-a-focus-on-e-peer-reviewed-fulltext-article-JMDH
注12 中国社会科学院(CASS: Chinese Academy of Social Sciences)「年金基金アクチュアリー報告2019〜2050」。
注13 国際通貨基金(IMF: International Monetary Fund,2026)「中国における人口高齢化と年金改革(Population Aging and Pension Reforms in China)」。
注14 インド統計・計画実施省(Ministry of Statistics and Programme Implementation)「インドの高齢者2021(Elderly in India 2021)」。
注15 出入国在留管理庁(Immigration Services Agency of Japan)「在留外国人統計」(2025年6月末)。

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芳賀 裕理