2017年07月05日
中国・アジア
HeadLine 編集長
中野 哲也
毎日、東京には大量のヒト・モノ・カネが出入りする。その三つに必ず付随するのが情報であり、その流通量も膨大になる。その情報の発信源は今でも原則としてヒトである。ただし、将来どうなるかは分からない。モノ自体が発信源となるIoT(モノのインターネット)やAI(人工知能)が実用化段階に突入したからだ。実際、企業決算やスポーツ記録などの定型的な記事では既に、AIが人手を借りずに「執筆」を始めた。
とはいえ、今のところはヒトが大半の記事を書いている。単にキーボードを叩くだけで記事が出来るわけではないからだ。その前に取材という、ヒトがヒトから情報を入手して分析する人間臭い行為が必要なのである。記者やジャーナリストと呼ばれるヒトが東京に集まり、情報の洪水の中からニュースを発見して発信する。
東京の情報を求め、外国からも記者やジャーナリストがやって来る。その多くが仕事の拠点とするのが、東京・有楽町にある日本外国特派員協会(FCCJ)。香港衛星テレビ東京支局長の李海(りかい)さん(35)もその一人だ。流暢な日本語を武器にニュースを追いかけ、政治から経済、科学、文化までカバーする。超多忙な中でも時には東京を離れ、地方に隠れている日本の美しさも掘り出して発信している。
李さんは1982年に中国四川省眉山市で生まれた。蘇軾(そしょく)あるいは蘇東坡(そとうば)と呼ばれる、11世紀に活躍した政治家の出身地。文人として「唐宋八大家」、書家では「宋の四大家」、さらに「北宋代最高の詩人」と称され、マルチな才能を発揮した大人(たいじん)である。
李さんは一人っ子政策の下で生まれ、教員の父と専業主婦の母によって大事に育てられたという。日本語が堪能だった叔父の影響で幼い頃から日本に興味を持ち、「ドラえもん」や「一休さん」といったアニメ番組をテレビで見ながら成長する。地元で日本人に出会う機会はまずなかったが、いつの間にか日本が「一番身近な外国」になっていた。地元の大学で日本語を学び始めたが、それに飽き足らず、日本留学を決断する。
2001年に来日して日本語学校で猛勉強を重ね、香川大学法学部を経て名古屋大学大学院へ進学。ホームステイを通じて言葉と文化を吸収し、大相撲名古屋場所の記録係としてアルバイトができるほど溶け込んだ。「中国の法律用語の多くが日本語に由来する」ことを知り、19世紀末に日本に亡命して和製漢語を中国に導入した政治家でジャーナリストの梁啓超(りょうけいちょう)の研究に没頭する。文学博士号を取得し、300ページを超える「日本亡命期の梁啓超」(桜美林大学北東アジア総合研究所)を日本語で出版した。
李さんはとにかく勉強家だが、座学だけでは満足しない。「人と会って話すことが趣味」と笑いながら、「伝播中華文化、傾聴世界声音」(中華文化を広め、世界の声に耳を傾ける)をモットーに東京を駆けめぐる。ネット時代になっても、いやだからこそニュースの目利きとして記者の仕事はますます重要だと思う。そういう意味で李さんのような若き国際ジャーナリストの台頭は頼もしいし、21世紀の蘇軾や梁啓超としてマルチな活躍を期待したい。
(写真)平林 佑太 PENTAX K-50
中野 哲也