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習総書記が3期目続投、「永年支配」へ

=今秋党大会で毛沢東時代に回帰?=

2022年01月21日

中国・アジア

主任研究員
武重 直人

 2022年の世界情勢を占う上で、中国共産党の首脳人事は最も注目すべき要因の1つになる。5年に1度の共産党全国代表大会と、中央委員会第1回全体会議(1中全会)が今秋開催、新指導部が決定される。最大の焦点は、党総書記の習近平が続投するか否か。「2期10年」という任期上限の慣例を破り、異例の3期目に入る可能性が高まっている。(敬称略)

 その布石と指摘されるのが、2021年11月の第19期中央委員会第6回全体会議(6中全会)で採択された「歴史決議」(=党の100年にわたる奮闘の重大な成果と歴史経験に関する決議)だ。過去の政治路線や思想について総括し新たな方針を示すもので、これまで毛沢東(1945年)と鄧小平(1981年)の下でしか決議されていない。実に40年ぶりとなった今回の「第3の歴史決議」では、鄧が掲げた「集団指導体制」「個人崇拝の禁止」が削除された。

 果たして習路線はどこへ向かうのか。本稿では共産党の権力継承の歴史と現状を整理した上で、独裁的な体制を築いた毛時代への回帰さえ指摘される習体制の今後を占う。

次期体制発足までの主な政治日程
図表(出所)筆者

鄧が任期制限を設けた理由とは

 中国共産党は国家を指導する立場にあるため、党のトップが中国の最高指導者となる。時代により異なるが、多くの場合、国家主席と軍事統帥権を有する党中央軍事委員会主席を兼務してきた。例外だったのは鄧で、党中央軍事委員会主席にだけ就いて軍を掌握し、党トップは胡躍邦と趙紫陽に、国家主席は楊尚昆に任せた。

中国共産党の歴代最高指導者
図表(出所)筆者

 鄧は君臨中、党トップを「党主席」から「党総書記」に格下げした。総書記は「書記のまとめ役」という意味であり、集団指導体制を前提とした呼称に代えたのである。これは毛の暴走によって引き起こされた文化大革命の二の舞を回避するためだった。

 同じ理由から鄧は、最高指導者の任期を制限する方向に動いた。1982年の憲法改正では国家主席の任期を「2期10年」と明記、党総書記の任期も同様とすることが不文律となった。

 一連の改革を断行したのは、鄧自身が毛による独裁の被害者だったからだ。毛によって3度失脚させられた上、文革時の迫害によって長男が下半身不随に。鄧は最高実力者となった後の1981年「歴史決議」の中で毛の功績と文革の誤りを区別し、文革を党と国に「厳しい挫折と損失をもたらした」と総括、毛時代との決別を明確にした。

 そして鄧路線は、江沢民、胡錦濤へと続く権力継承においても忠実に踏襲される。党幹部引退の年齢制限は、5年ごとの改選時点で67歳以下なら現役続行が可能、68歳以上なら引退とする「七上八下」の原則が守られた。

 新たな党総書記候補者を登用する際には、まず最高指導部の中央政治局常務委員会の常務委員(現行7人=トップ7)に入って経験を積んだ上で、党総書記就任時には上記の年齢制限に抵触せず2期10年務められるよう、慎重に配慮・運営されてきたのだ。

権力継承の仕組みを破壊した習氏

 ところが、習はその仕組みを壊してしまった。習が2期10年の任期を終える2022年秋に後継の総書記を選出するならば、2017年秋の第19期1中全会で上記条件に合致する候補者をトップ7入りさせておく必要があった。

 しかし習は、ライバル派閥はもちろん側近からも有力候補とされた人物を選ばなかった。特に下表にある胡春華、陳敏爾は首相の李克強が率いる中国共産主義青年団派(共青団派)、習派のそれぞれホープとされていただけに、国内外に衝撃が走った。この辺りから3期目以降も続投しようという習の本音が明らかになり始めた。

トップ7入り有力候補
図表(注)年齢は2022年9月末時点、上2人は2017年時点で既に有力候補、自治区や直轄市は省級
(出所)筆者

 さらに翌2018年3月の全国人民代表大会(全人代)では習が憲法改正に踏み切り、国家主席の任期2期10年の制限を削除した。「永年国家主席」となる道を切り開いたのである。前述のように国家主席には通常、党総書記が就く。このため、毛がそうだったように、党トップの座も習が終身務めることが事実上可能になった。

 加えて同年の憲法改正では、前文に習近平の名を書き込み、自らの格上げを図った(下表の青字参照)。「3つの代表」を唱えた江沢民、科学的発展観をうたった胡錦濤の名には触れない一方で、習は自らの名を記すことで毛沢東、鄧小平との同格をアピールしたのだ。

2018年改正の憲法前文(青字が追加箇所)
図表(出所)筆者

 この憲法改正ではほかにも、習の政敵を排除する仕掛けが施された。上述の通り、国家主席の任期制限を撤廃したにもかかわらず、首相の任期制限は撤廃しなかったのだ。すなわち習の政敵である李克強は、首相として2期目を終える2022年3月、確実に退陣しなければならない。

 習の用意周到ぶりはまだある。2018年全人代では、李克強首相率いる行政機構に対し、党の支配力を高める一連の機構改革が行われた。例えば、汚職摘発を担う監察機構では、行政機構側の国家監察委員会と、党機構側の中央規律検査委員会を実質的に一体化させることで、党側が行政部門の抵抗なしに査察や逮捕をできるようにした。

 また、党の政策や方針を政府機関に浸透させる組織(=指導小組)を格上げしたり、新設したりすることで、党の支配力を一層高めた。無論、政敵を封じて習の政権基盤を揺るぎないものにするのが狙いだ。

習氏の「永年支配」物語は最終章へ

 習の永年支配の野望は、彼の長期ビジョンと密接な関係がある。第2次習近平体制がスタートした2017年秋、習は政治活動報告の中で党と国家の長期ビジョンを示した。建国100年となる2049年を念頭に、21世紀半ばまでに「社会主義現代化強国」を完成させ、世界一流の強国となるビジョンを掲げたのだ。さらに、そこに至るまでの中間点である2035年までに、社会主義現代化を基本的に完成させるという中間目標も設定した。

長期ビジョン(2017年公表の抜粋)
図表(出所)筆者 

 2035年時点で習近平は82歳になり、毛沢東が党主席の地位に留まったまま生涯を終えた年齢に並ぶ。習がわざわざ中間目標を置いたのは、それまでは自らが党トップを続ける必然性を示すためとみられる。党内においても、「習が党トップを5期務め、2037年までその地位に留まるのでは」という観測が浮上する。

 こうした観測を誘発するように、共産党は次のような「筋立て」を用意したとみられる。つまり、結党100年(2021年7月)を機に、これまで長く続いた鄧小平時代(=後継者の在任期間を含む)の幕を閉じ、そこからは習近平が始動する新時代の「幕開け」という筋立てである。

 具体的には2021年7月、習は鄧の掲げた小康社会(=ややゆとりある社会)の達成を宣言し、新たな段階を迎えたことを内外に印象づけた。さらに鄧の「改革開放」「先富論」(=豊かになれる者から先に豊かになる)に代わって、習は「新時代」「共同富裕」(=格差解消)を新たなキーワードとして打ち出した。

 習は行動でも示した。電子商取引最大手のアリババ集団や不動産開発大手の恒大集団など大資本家への規制を強め、資本家の活用で市場経済を推進した鄧小平時代からの転換を鮮明にしたのだ。

 その次に注目されそうな動きが、「党主席」の復活だ。このタイミングがいつになるかは分からない。仮に鄧が廃止した党の最高ポストを再び表舞台に登場させ、習が就任するなら、自ら描く「永年支配」のシナリオは最終章を迎えるのかもしれない。

写真「永年支配」物語は最終章へ
(出所)stock.adobe.com

武重 直人

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※この記事は、2022年1月5日発行のHeadLineに掲載されました。

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