2023年12月20日
中国・アジア
主任研究員
高橋 利明
香港は1994年にGDP(国内総生産)が中国の約4分の1に達し、高い経済力を背景に世界でも有数の金融センターだった。しかし、中国本土への吸収によって地位が低下し、経済的な一体化が進んでいる。そうした中、本土政府が新たな経済産業施策を打ち出すなど香港側も努力した。そうした香港に対して、日本企業にも投資の動きが出ている。
1898年に今の深圳市の南にある新界が英国管理下に入り、香港がほぼ現在の形になった。英国は香港に銀行や大学などを整備し、発展に寄与した。
日本統治時代(1941年12月~45年8月)も外から見る限り大きな変化はなかったが、実際には憲兵に監視される社会であったとされる。
第2次世界大戦後、再び英国統治となった香港は、中国本土との関係が事実上切れ、人・物・金の移動がほぼなくなる時期を経験する。
4地域で構成される香港(出所)外務省資料から作成
香港と中国が別の国として歩んでいた中、1966年に毛沢東が起こした文化大革命は76年のいわゆる四人組逮捕まで続き、中国経済が混乱、疲弊したのは明らかだった。その後、80年代になると農村部を中心に郷鎮企業と呼ばれる集団所有制企業が発展。90年代に入ると、鄧小平が主導した改革開放の成果が表れ始める。外国からの投資を受け入れ、民間企業が躍進したのだ。
2000年代からは産業が急速に発展し、輸出が急ピッチで拡大していく。中国が内政の安定と対外関係の安定的な発展を手にした時期である。
中国は1997年に返還された香港に対しても「金の卵を産む鶏であれ」という姿勢を崩さず、香港を"活用"した。当時の香港は人件費や不動産の高騰が、持続的な成長を阻害する要因になっていた。
これを打開するため、中国政府は工業化を進めていた沿海地域南部の華南地区に香港の工場を移転させる施策を打ち出した。人件費高騰などに対処しながら、香港の競争力を維持するのが狙いだった。近年も香港の出生率が1.0%を下回ったことを受け、本土から年間1万5000人の移住を認めた。労働力人口を維持しながら、香港経済の立て直しを図るのが狙いだ。
工場を華南地区に移転した香港は、国際貿易や金融、物流、情報センターとしての機能を維持しながら、ハイテク産業の育成に舵(かじ)を切った。2001年に香港政府は香港科技園公司(サイエンス・テクノロジーパーク)を設立したのに続き、03年には香港島西部に數碼港(サイバーポート)を造っている。
サイエンス・テクノロジーパークはイノベーションと技術開発を促進するために香港政府が立ち上げた。約1400社のスタートアップ企業が独自技術を研究している。またサイバーポートは香港政府が支援し、子供向けの起業家精神プログラムや人材交流などを通じてスタートアップを後押ししている。
数多くのスタートアップ企業がこうした地区でさまざまな最先端技術の研究を行っている。85%が香港企業で、日本貿易振興機構(ジェトロ)は日本企業の誘致に力を入れている。
中国本土の急速な発展を受けて香港の地位低下が進む中、2003年6月、中国本土と香港は関税撤廃と省単位の協定である「中国本土―香港間の経済貿易緊密化協定=Mainland and Hong Kong Closer Economic Partnership Arrangement (CEPA)」を締結。物に関する関税が撤廃され、香港のサービス業と小売業者が優先的に中国本土の市場へ参入することが認められた。海外からもCEPA原産地証明書を取得して関税撤廃の恩恵を受けられる。
日系では、ミキモトが香港で加工した真珠を中国本土に輸出、カドカワが香港で合弁企業を起こし中国本土でシネマコンプレックスを展開している。
CEPA概要(出所)香港工業貿易局資料より作成
金融センターとしての香港の役割も変わっていく。2014年に香港と上海証券取引所が株式相互取引制度(ストックコネクト)で結ばれ、海外から香港経由で中国本土への投資が可能になった。16年には深圳証券取引所とも結ばれた。
それでも、中国の名目GDPに占める香港の割合は大きく低下した。2022年の香港の名目GDPは、中国の2.0%。24.2%を誇った1994年と比較すると、落ち込みの大きさは歴然としている。GDP金額ベースでも、北京、上海、広州、深圳に追い抜かれている。
中国と香港との名目GDP規模の比較(出所)IMF, World Economic Outlook Database, 2023を基に作成
地位が低下していた香港に対するテコ入れを目的に2020年10月、中国政府の提案を受けて「大湾区=Greater Bay Aria(GBA)」が設けられた。
大湾区は香港特別行政区とマカオ特別行政区、広東省の広州、深圳、珠海、仏山、東莞など2区9市で構成。総面積は約5万6000平方キロメートル。2020年の総人口は8600万人超。独データサービス会社スタティスタによると、22年の域内総生産は2兆2900億米ドル。今後の年平均成長率を7.7%と見込み、25年までに総生産が2兆6000億米ドルを超えると試算している。
金融、観光、教育をメインに都市同士で補完しあいながら最大の相乗効果を生み出し、2035年までに世界的なベイエリアの完成を目指している。
GBA代表都市(出所)GBA
香港政府は新規ビジネスを対象にサポート体制を拡充している。前述した香港サイエンス・テクノロジーパークやサイバーポートなどの受け入れ施設を充実させ、研究者としての外国人の受け入れや産学共同の研究を推奨する。
香港における外国企業の拠点数(出所)香港政府統計処「香港域外企業の在香港拠点に関する調査報告」各年版よりジェトロが作成
近年は日米の企業よりも中国本土からの参入が多く海外勢の拠点数は伸び悩んでいる。中国の優秀な頭脳と香港のサポート体制が今後の新ビジネスに道を切り開くと期待されている。ジェトロ香港は「日本も参入をしてほしい」と呼びかけ、新型コロナ感染症の流行時にも卸売り、小売り、飲食など多くの日系企業が進出している。
逆に香港からも2022年3月にライスヌードル店「譚仔三哥(タムジャイサムゴー)」が新宿中央通りにオープン。現在、吉祥寺や恵比寿にも店舗を展開している。今後も、こうした民間企業の相互進出の拡大が期待されている。
日本企業による香港でのビジネス展開事例(2021年11月~22年8月)(出所)各社資料からジェトロが作成
経済を左右する行政・統治の歴史を少し振り返ってみたい。1997年7月1日の香港行政法成立に伴い、中国海運大手「東方海外貨櫃航運公司=Orient Overseas Container Line Ltd.(OOCL)」の社長だった董建華氏が初代香港行政長官に就任した。
OOCLはかつて中国政府の援助で経営危機を乗り切ったことから、董氏は中国政府寄りという見方もあったが、香港や台湾とも融和を図った。その後、3代の行政長官を経て2022年7月、元皇家香港警察局長であった李家超氏が第5代の行政長官となる。
この間、香港は2度の民主化デモを経験している。1度目は雨傘革命と呼ばれ、普通選挙の実施を訴える学生らが2014年9月に香港特別行政区政府に対して抗議活動を展開した。2度目は19年10月の逃亡犯条例改正に反対する市民デモで、同年6月に行われた。
歴代香港行政長官(出所)在香港日本大使館の資料を基に作成
香港のデモは主に制度に対する抗議で、香港が中国であることを否定するものではなかった。とはいえ結果的に中国に対する批判などに対し言論統制を受けた。
本土による統制が強まった中、第5代行政長官に就任した李氏は、「政府への反乱などを禁じる国家安全条例の制定を推進する」と改めて強調し、香港市民への引き締めを図っているが、歴代の行政長官は中国政府の意向を踏まえて、香港経済の発展には従来通り力を入れている。
公安に関する引き締めを強化している李家超氏もマニフェストで①地域ボランティアの支援など政府のガバナンス強化②土地収用や整備の加速化など、より多くの住宅・より良い生活の提供③テクノロジーセンターの発展など香港の競争力向上④医療や看護システムの改善など思いやりと包容力のある社会の構築と若年層の発展支援-の4大政策を掲げている。
2023年2月6日、中国本土から香港に入る際の制限が完全撤廃され、同年4月29日には海外からの入国に対しての規制も撤廃された。新型コロナウイルス感染症が流行する前の生活に戻りつつある香港には海外からの観光客が戻り、人口が増加に転じている。
香港は中国の制度の中でもがきながらも現実に対して柔軟に順応し、かつての香港に戻りつつあるようにも見える。中国が共産主義を維持しながらも、香港に繁栄がよみがえることを願いたい。
香港の繁栄(イメージ)
高橋 利明