2023年06月20日
地球環境
編集長
舟橋 良治
人工知能(AI)やロボット、コミュニケーション技術の飛躍的な発展は「第4次産業革命」とも言われています。さらには、地球環境対策や新型コロナウイルス感染症などもあって社会や人々の生活が大きく変化。働き方改革の推進、喜びを感じつつ働ける環境の創造に関心が集まるなど時代の節目を迎えています。これまでも新たな製品やサービスが生まれ、それらの需要が社会や生活の変化をけん引してきました。第4次産業革命を迎えた今、先端分野だけでなく、私たちの足元に起きている新たな動きに着目し、「新しい需要」として紹介していきます。
初回は静岡県で始まり、全国に広がりつつある「やさいバス」。一定地域を定期巡回して、市場を介さずに野菜農家と利用者を直接つなぎ、地産地消や地域社会に貢献。輸送距離が短いため二酸化炭素の排出削減にも一役買っています。
静岡県はお茶、ミカン、ワサビの産地として全国に知られているが、イチゴやレタス、温室メロンなど出荷額で上位に入る農産物が数多くある。手塩にかけて育てた野菜を収穫した翌日には地元のスーパーやレストラン、消費者に届ける。静岡県で産声を上げた新たな流通の仕組み「やさいバス」が全国に広がり始めている。
「やさいバス」を立ち上げた加藤百合子さん【5月11日、静岡県牧之原市=やさいバス提供】
メリットは届ける野菜の新鮮さだけではない。物流コストを削減できるため、農家の収入増にもつながっている。
野菜など農産物は通常、「ハブ&スポーク方式」と呼ばれる物流システムを介して消費者に届けられる。この方式は、商品をハブとなる物流拠点にいったん集め、仕分けした上で各地に運ぶ。米国の大手物流企業が始めた仕組みで、大量の品物を効率よく輸送できる。
しかし、採れた野菜が農家の隣町で売られる場合も、普通は東京など大消費地の市場に運んでから再び地元のスーパーなどに輸送する。収穫から消費まで数日かかって野菜の鮮度が落ち、輸送費もかさむ。
そんな課題の解決に役立っているのが、地域の野菜流通会社「やさいバス」(静岡県牧之原市)。米航空宇宙局(NASA)で植物工場のプロジェクトに参加した経験も持つ加藤百合子さんが2017年に立ち上げた。「研究側の農業ではない、本当の農家の大変さを知って衝撃だった。命を預かっているのに、なぜこうなんだ」と強い疑問を感じたことが、野菜流通の課題に向き合うきっかけだった。
「物流経費が抑えられ、手元に残る金額が2~3割増えた」―。利用する野菜生産者が感謝するやさいバス。その仕組みは「コロンブスの卵」ではないが、意外とシンプルだ。
バス停に見立てた集荷場を片道約35~40キロの配送エリア内に10~15カ所程度設置し、冷蔵トラックが「時刻表」に基づいて巡回する。バス停は新聞販売店や農協店舗など地域によってさまざま。配送エリアは人口40万人以上を目安にして設定している。スーパーなどが注文すると農家が近所のバス停に時刻表に合わせて野菜を運ぶ。その野菜を「やさいバス」が集荷し、指定されたバス停に輸送して置いていき、購入者が取りに行く。
「やさいバス」の仕組み
農家と購入者は、やさいバスが自社開発したアプリを介して取引するのだが、アプリを通じて情報交換が可能。その仕組みは、こんな具合だ。
農家の場合、会員登録をしたのち、販売する野菜の出荷可能数量と期間、1パック当たりの価格を自分で決めて登録する。手数料は販売額の15%がかかる。
野菜の通常の流通システム「ハブ&スポーク方式」の場合、スーパーなどでの販売価格は農家出荷価格の約2倍になっている。長距離トラック輸送や卸売費、大規模な倉庫など流通に多額の経費がかかるためだ。やさいバスを利用して手数料15%を支払っても、ハブ&スポーク方式より2~3割は農家の収入が増えるという。
「バス停」に出荷する生産者【4月25日、静岡県袋井市】
購入者もまずは会員登録をする。その上で、アプリ上にある野菜を注文するのだが、生産方法や農家の情報も記載されており、農家と直接やりとりしながら求める野菜を購入するのも可能だ。いわゆる「顔が見える関係」なため、お互いに安心して取引ができる。
利用料は1ケース当たり385円(税込み)で宅配便よりも安い。複数の野菜を購入しても、ケースに収まる量ならば追加料金はかからない。輸送距離が短いため、二酸化炭素の排出量もその分少なくて済む。輸送距離を商品に明示すれば環境に配慮した姿勢を消費者にアピールできる。
この料金は、やさいバスの配送エリアで取引が完結する場合に利用できる。農家がエリア外にも販売を希望し、その野菜に注文があった際には宅配業者の店舗に運ぶ。一方、エリア外の農家から購入する場合は距離と量に応じた宅配料金がかかるほか、エリア内の場合でもバス停以外への配送は別途料金がかかる。
輸送の仕組みが目新しいやさいバスだが、加藤さんが目指したのは「作る人、使う人、食べる人」が信頼関係に基づいて取引する姿だった。「農家と消費者が顔を合わせず、ただただお金だけ。『キャベツ1個いくら』という情報だけでのやり取り」に疑問を感じていたという。
こうした思いから、東京のレストランシェフに静岡に来てもらって農家と引き合わせるなどし、シェフらが求める野菜を農家に作ってもらう事業を立ち上げ、「ベジプロバイダー」と銘打って取り組んだ。
すると参加するシェフや農家が増えて黒字化したが、今度は物流費の高さがネックになり、解決策を模索。3年かけた準備期間に大手自動車メーカー社員が「(酪農家の間で行われていた)ミルクランを知らないの...?」と共同配送を提案した。
オフィスで働く加藤百合子さん【5月11日、静岡県牧之原市=やさいバス提供】
ミルクランは農家が別々に生産し、配送を共同で行い、輸送コストが大幅に下がる。自動車会社にはサプライヤーから部品を集める手法として知られていた。
これで配送の仕組みは決まったが、加藤さんは「事業が黒字化するか。踏ん切りがつかなかった」という。そんな中、2017年に大手宅配業者でストライキが起き、その結果、宅配料金が大幅に引き上げられた。レストランなどへの配送料を宅配より大幅に低く設定できることが分かり、「これなら、いける」と決断。やさいバスにゴーサインを出した。
しかし、事業が軌道に乗った矢先、新型コロナウイルス感染症がまん延し、各地にロックダウンが広がる。レストランへの野菜輸送は激減して窮地に陥った中、食品スーパーに活路を求めた。
コロナ禍で外食が難しくなると、消費者は良い食品を求めていくつかのスーパーを回り、比較してから買い物をするようになったという。特徴のある品ぞろえが必要になったスーパーの仕入れ担当者は「これからは地産地消。地元と共生が必要で、お客さんにもそういう意識がある」と語る。地物野菜を扱うやさいバスとの取引は渡りに船だった。
やさいバスを利用する千葉県のスーパー店舗【2021年6月=やさいバス提供】
窮地を脱したやさいバスは、今年5月末時点で13都道府県、路線数は約60まで拡大した。参加する農家は計約1800。スーパーやレストランなど購入者は3200強に増えている。
県をまたいだ事業も始めた。夏になると野菜の生産量が減る静岡にレタスを隣県の長野から運び、帰りに静岡の新鮮な魚を運ぶ。名付けて「さかなバス」。加えて、百貨店の食品売り場にテナントとして入居し、農家から集めた野菜を自社販売する事業も始めた。加藤さんは「百貨店では良いものがよい値段で売れ、農家の勇気にもなる。魅力ある野菜を売る」と楽しそうに語る。農業の明るい将来が見えているに違いない。
【編集部から】リコーグループは2023年6月を「リコーグローバルSDGsアクション月間」と定めました。
当研究所もSDGs関連のコラムを公開致しますので、御愛読のほどお願い申し上げます。
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