2020年01月06日
所長の眼
所長
神津 多可思
令和となって初めての年を迎えた。2020年代の最初の年でもある。「十年一昔」というが、英語にもdecadeという10年間を意味する言葉があり、どちらの文化でも一区切りの時間経過と受け止められてきたのだろう。
平成の日本経済を10年区切りで振り返っても、それぞれの10年にある種の特徴が浮かび上がる。言うまでもなく1990年代は、バブルが崩壊してその後始末に追われた。2000年代に入ると、それがようやく終わったところで世界規模での金融危機が起こり、再び大きなマイナスのショックを受けた。2010年代はそのグローバルなバブルの後始末の時期。その過程でバブルによって隠されていたさまざまな構造的問題が表面化し、今日の世界経済の状況は10年前とは様変わりだ。
バブルが崩壊した後で構造的問題が一挙に表面化するのは、1990年代の日本とも共通する。当時の日本経済を振り返ると、欧米先進国へのキャッチアップの過程が終了し、グローバル競争の最前線で新しいビジネスを開拓していくビジネスモデルへと変わる必要に直面していた。その上に、高齢化・人口減少への対応の負荷も重なった。
2010年代の世界経済でも、ベルリンの壁崩壊後のグローバル化と情報通信革命の下で、先進国経済の構造は大きく変化していた。そのスピードは非常に速く、社会の中にはそれに十分対応できない層が生まれた。その層の不満が、金融危機後に反グローバル化の動きとなって顕現化し、英国のブレグジット(EU離脱)や米国のトランプ大統領誕生につながっていったのだろう。
「第4次産業革命」とも呼ばれる新しい技術革新の波に対しても、同様に厳しい目が向けられている。18世紀の最初の産業革命後も、技術革新の結果、仕事を失った職人は機械を破壊するラッダイト運動を展開した。技術の進歩が人間の仕事を奪うとき、その進歩への社会的反感が生まれたのである。
これに対し、19世紀の米国が先頭に立った第2次産業革命においては、電気が動力となり、内燃エンジンが発明された。工場での大量生産が始まり、技術の進歩が工場労働者などの雇用機会を幅広く生み出した。その結果として中間所得層が形成され、社会は安定して経済も成長した。
さて目下の第4次産業革命ではどちらへ向かうのか。新年らしく希望に胸を膨らませるとすれば、新しい技術の下で新しい雇用機会に即応できる人材の教育・訓練が円滑に進み、人々の幸せにフィットした働き方をさまざまな組織が提供できるようになるかもしれない。そうなればまた、新しい繁栄を享受できる。一方で、否定的なビジョンはいくらでも描ける。どちらの道を選ぶかは、今を生きるわたしたちが決めることだ。ぜひ良い2020年代にしたい。
神津 多可思