不確実性にどう向き合うか<コラム>
数年前に流行した「VUCA=Volatility(変動性)、Uncertainty(不確実性)、Complexity(複雑性)、Ambiguity(曖昧性)」という言葉を見聞きしなくなった気がする。筆者が鈍感なだけかもしれないが、世の中が余りに不確実になり、この言葉の新鮮味が薄れてしまったのかもしれない。
円高、バブル崩壊、取り付け騒動
筆者が社会人になった1983年以降を振り返ると、1985年9月のプラザ合意後、円高がどこまで進行し、日本経済がどこまで落ち込むか予測が難しい中で、人々が不安にかられていたことを思い出す。筆者が勤務していた愛媛県で、ある造船会社が破綻。同社と関係が深かった金融機関の経営問題に発展し、その後、預金保険制度が発足以来初めて発動された。
ただ、円の急騰が止まり、為替相場の水準感が見えてくると、日本企業は円高への対応を本格化し始め、円高不況は比較的短期間で終息。日本はバブル経済の狂乱に突入した。
「どこまで円高が進むか分からない」という不確実性は人々を不安にさせる。他方で、さらなる円高化の動きが落ち着くと、たとえその水準が企業経営にとって苦しいものだとしても、対応を図ることができる。「確実だが苦しいこと」より「不確実であること」の方が、対応が難しいわけだ。
1990年代のバブル経済崩壊後は、株価や地価がどこまで下落するか分からない不確実性が日本を襲った。90年代後半には金融機関の破綻が相次ぎ、97年11月に多くの預金者が金融機関に列を作る取り付け騒動が各地で起きた。市場、経済、そして金融システムの安定性に関する不確実性が高まり、人々の不安が最高潮に達した瞬間と思う。
情報の非対称性
この時、「情報の非対称性(一方の当事者と他方の当事者の間で情報の量や質に偏りがある状態)」の問題の難しさと大事さを思い知った。筆者が勤めていた日本銀行は、早い段階から金融機関が抱える不良債権問題の深刻さを把握していた。1993年7月に金融システム問題を所掌する信用機構局に異動した際、最初の仕事は「危ない金融機関リスト」の更新だった。海外の金融当局や格付け機関からも、「情報が不確実な状況では、人々は最悪な状況を想定して行動する。勇気をもって情報を開示する方が、不安を抑えることができる」との警告を受けていた。
しかし、公的資金の活用を含むセーフティーネット制度が不十分な中で情報開示を進めることは、難しい判断だった。上記の取り付け騒動後に公的資金導入が本格的に進む中、不良債権の情報開示も大きく進展し、金融システム不安は沈静化した。ここでも、「確実だが苦しいこと」より「不確実であること」の方が、対応が難しかったわけだ。
リーマン破綻で思い知った怖さ
この情報の非対称性を逆の立場で実感したのが、2008年の国際金融危機の時だ。米金融大手リーマン・ブラザーズが破綻した時、日本は3連休の最中だった。その前の金曜日、「多分リーマンは救済されるだろう」との妙な安心感を抱いていたことを覚えている。3連休の途中で事態は急変し、金融庁のカウンターパートとの携帯電話を使ったやり取りが頻度を増す。そして、「救済は無い」と分かった瞬間から必死に対応を始めた。月曜日が祝日だったことは不幸中の幸いだったものの、情報の非対称性の怖さを思い知った。
この国際金融危機では、証券化商品やデリバティブ取引の実態が把握できないことが、市場関係者の不安感を増幅した。その後、金融機関の資本や流動性増強策に加え、こうした商品や取引の実態解明に向けた努力が重ねられ、危機は収まっていった。ここでも「不確実性」と「情報」がカギを握ったわけだ。
これまでにない不確実性に直面
トランプ米政権発足後、世界はこれまでにないほどの不確実性に直面しており、打ち出される政策に一喜一憂する日が続く。大統領選挙の際の公約が全て実施されると考えれば、不確実性は小さいかもしれない。ただ、実際には公約とは異なる政策もある。政策に対する他国や市場の反応を機械的に予測することも難しい。次の大統領選挙の結果次第では、4年後に政策が巻き戻される可能性もある。
残念ながら、この不確実性に関して情報の非対称性を解消することは難しい。月並みな言い方になるが、①インテリジェンスを駆使してさまざまな可能性を想定しておく②最悪のケースも含め対応策をあらかじめ用意しておく③いざという時に対応策実行の要否を即座に決定できる備えをしておく―くらいしか、不確実性への対応が思い浮かばない。
ただ、この無力感を味わっているのは恐らく筆者一人ではない。それだけが救いだろうか。
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早﨑 保浩