2017年01月05日
所長の眼
所長
神津 多可思
1978年に翻訳が出版されて日本でもベストセラーとなった「不確実性の時代」という本があった。カナダ生まれで米ハーバード大学の名誉教授となった社会経済学者ジョン・ケネス・ガルブレイスの著作である。経済学史を振り返りながら、「今日は昔のように確信を持って経済を語れない時代になった」というようなことが書いてあったように記憶する。大学生だった私も一生懸命読んではみたが、当時は内容に得心がいったわけではなかった。
他方、米シカゴ大学の教授だった経済学者のフランク・ナイトは、「リスク」と「不確実性」は違うものだと主張した。リスクは何らかの形でそれが起こる確率を具体的に想定できる事象に付きまとうものであり、不確実性とはそうしたことが全くできない事象についてのことだという区別である。
「リスク」という英語は、しばしば「テイク」という動詞と一緒に使われる。本当の確率分布が分かっているか否かはともかく、数量的にどの程度の危険を冒しているのかを意識した上で「やるか、やらないか」を決められる。だからこそ、「リスクを取る」という表現もできる。賭けがまさにその典型である。
しかし「不確実性」となると、「テイク」はできない。単にそれに直面するだけだからだ。そうではあっても、私たちは未来に向けて色々と決断しなければならない。それではどうするかと言えば、「えいっ、やーっ」といわば清水の舞台から飛び降りるような事態になる。したがって、論理立てて自分の判断を説明することは難しい。
昨年は自分も含め、多くのリサーチャーやエコノミストが、英国の欧州連合(EU)離脱をめぐる国民投票と米国の大統領選挙の結果を読み誤った。上述の区別に則れば、予測するに当たってリスク分析的なアプローチをしたところ、実際にはこれらは不確実性の事象であったと言うこともできるだろうか。
もちろん、事後的にはいくらでも筋道を付けた説明は可能である。しかし、こういうことが続くと、結果を正しく予想する上で事前の合理的な説明にあまり信を置けなくなり、感覚的な議論が飛び交うことにもなりかねない。
2017年の世界を展望すると、米国のトランプ新政権の出方、欧州の政治、中国経済の行方等々どうなるか分からないことが山積している。それらはリスクなのか。それとも40年の時を経て、いよいよ本当の「不確実性の時代」が来るのか。良い年になるよう、心から願わずにいられない。
神津 多可思