2017年03月21日
所長の眼
所長
神津 多可思
衣食足りて礼節を知る。これは「穀物が蔵に満ちれば礼節を知り、衣食が足りれば栄辱を知る」というのが元々の言葉のようだ。中国の春秋時代、斉の国の恒公に仕えて名宰相とうたわれた管仲の言葉である。
確かに生物としての私達は、恐らく先ず食べ物を確保するはずだ。次に着る物、そして住むところだろうか。それが充足してなお余裕があると、必ずしも生存に必須ではないが、生きることをより豊かにしてくれるモノ・サービスも手に入れようとする。
管仲の時代から約二千七百年を経た今、モノの消費についての飽和が言われ、新しく拡大する市場はサービスへと動いている。その中でも、情報通信技術の発展を背景にデジタルサービスの需要が拡大している。
ところで、それらモノやサービスの価格は、長い目でみれば需要と供給がバランスするように決まると考えられる。その需要と供給のバランスをとるということを、供給の側からもう少し考えてみる。仮に限界的に需要が増えた時、それに応じる際の供給側のコストは、やはり限界的に必要な原材料や、場合によっては限界的に増強する生産設備から発生するはずだ。それらのコストに見合うだけの価格を払わなければ、その限界的な需要は供給相手を見つけることができない。そして往々にしてその限界的な生産コストは、それまでのコストよりも高くなることが多い。
かくして、限界的な需要者は一番高い価格で買わざるを得なくなることが多い。そういう人がいる以上、他の同じモノあるいはサービスの価格もその高い方に引っ張られる。高く買ってくれる人に供給は向かうからだ。このように、需要と供給のバランスをとるように価格が決まるということは、実は限界的な生産コストが価格決定において重要であることを意味する。
さて、上述のデジタルサービスだが、その限界生産コストは限りなくゼロに近い場合が多いように思われる。電子書籍などの購入を考えてみれば分かりやすい。さらに人工知能(AI)などの進歩もあって、デジタルサービスを模倣することはますます容易になりつつある。そうなると、企業間の競争で特定のデジタルサービスの価格はこれまで以上に急速に低下し、その行きつくところは場合によっては「タダ」になる可能性さえある。
このように、衣食が足りて成長市場がモノからサービスへ、特にデジタルサービスへとシフトするような環境にあっては、新サービスを売り出してもその価格がすぐに低下し、利益が出なくなる蓋然性が高いのである。その中で企業活動を続けていく上では、新しい需要への鋭敏な感性と不断にアイディアを生み出す創造性が不可欠となる。衣食足りて礼節を知るわけだが、デジタルサービスに携わる者にとっては誠に大変な時代を迎えた。
神津 多可思