2018年01月05日
所長の眼
所長
神津 多可思
元号の最後の年は後世の記述にはほとんど出てこない。明治45年、大正15年、昭和64年...。いずれも新しい元号の元年と重なったからだ。今年も後々は、実質的に「平成最後の年」としてみられるのであろう。
その平成30年はどんな年になるだろうか。最近よく話題になる働き方改革の議論においても感じるが、高齢化が進む中で若い世代と歳をとった世代の感覚の違いが益々はっきりしていくのではないだろうか。
ほとんどの高齢層は、自分たちの経験を踏まえながら、自然体で自分たちの考えを表明しているだけであろう。しかし、世の中の変化のスピードがあまりに速いため、その自然体の考えが若い世代のそれと食い違うことも多くなっているのではないか。
こうした価値観の分断は、何も高齢化を起因とするものばかりではない。グローバル化についても、その恩恵を受けている人とそうでない人がいる。それは世界の先進国で共通する。人工知能(AI)やロボティックスといった新しい技術進歩も同様であり、肯定的に受け止める人もいるし、脅威だと恐れる人もいる。
このように、ともすれば価値観の分断が起きやすい時代に私たちは生きている。そうなると、社会や組織の一体感を保つためには、限界的な利益の増加分を相対的に不利になる層により厚く配分しようとする発想にもなりがちだ。できるだけ高い成長率や、デフレよりインフレが求められるのも、そのほうが調整の余地が大きくて何かと都合が良いからかもしれない。
しかし、私たちは結局、共に生きていかざるを得ない。したがって問題の本質は、価値観が分断しがちな時代において、どうやって袖触れ合う縁を大事にするか。あるいは、社会あるいは組織としてのまとまりを維持していくかということだろう。そのためには、自分の考えを謙虚に見つめ直す姿勢と、自分とは違う価値観に対する感性の鋭さが求められる。
歴史を振り返ると、元号が改まると世相もまた変わるような気がする。次のステージへの準備の年としての平成30年。政治、経済、社会のいずれの面でも、私たちが経験している変化の本質を見極めることが、一層重要な年になるのではないだろうか。
神津 多可思