2019年06月04日
所長の眼
所長
神津 多可思
リコーグループは2019年6月を「グローバルSDGsアクション月間」と定めており、今回はその趣旨に沿って筆を執った。
まだ世界経済が先般の世界金融危機に見舞われる前の2000年9月、国連のミレニアム・サミットで「ミレニアム開発目標(Millennium Development Goals=MDGs)」が定められた。新しい千年紀(ミレニアム)を迎えてのことだ。開発途上国を念頭に置き、極度の貧困と飢餓の撲滅など国際社会が2015年までに達成すべき八つの目標が掲げられた。
その後、いわゆるリーマン・ショックを経た2015年9月、再び国連サミットで「持続可能な開発のための2030アジェンダ」が採択された。2015年までの目標であったMDGsに続くものであり、17のゴールと169のターゲットから構成される。そのゴールが、わたしたちが最近よく耳にするSDGs(Sustainable Development Goals=持続可能な開発目標)だ。
その目標の最初の三つは貧困、飢餓、保健を対象にしており、MDGsの継承も感じさせる。しかし、SDGsはMDGsとは違って先進国も含むすべての国を対象としており、国連サミットで採択されたアジェンダの前文では「だれ一人取り残さないこと」(leave no one behind)も強調されている。この二つの目標の間に進展したグローバル化の中で、国際社会が地球全体をより強く意識するようになったという変化をうかがわせる。また、利益や効率性の追求に偏り過ぎた結果、世界経済が国際金融危機に至り、その反省がこの新しいアジェンダを採択した先進国の代表の胸にあったのかもしれない。
ともすれば、SDGsは環境問題やESG投資(=環境・社会・企業統治を重視する投資)との関連で意識されがちだが、このようにその出発点においてはいかに世界全体をより良くしていけるかという問題意識も強かったのだと思う。その観点からすればSDGsと企業活動との関連付けは、わたしたち一人ひとりの日々の仕事が、世界全体をより良くすることとどう繋がっているかを意識することだとも言える。
世界を良くするとなると、遠大かつ迂遠であり、なかなか個人としては実感が湧かない。しかし、ビニール包装一つとってみても、それがグルっと回って海洋生物の生存を脅かしており、そのループの中にわたしたち全員がいる。電気の無駄遣いが化石燃料の消費を増やし、それが二酸化炭素の発生増加に繋がるという連鎖についても同様だ。そういう一人ひとりのささやかな問題認識とそれに基づく行動が、この世界を少しでも良い状態で次の世代に手渡していく上で、実はとても重要なのだ。ということをSDGsという言葉を聞くたびに思い起こしたい。
ビジネスを展開する上での環境や社会への配慮は、短期的にはより手間がかかり、またコスト増にもなって収益最大化に反するようにもみえる。しかし、先の世界金融危機の教訓の一つは、短期的な収益最大化に目が行き過ぎると企業の存続自体が危うくなるということだ。もし、「持続可能な開発のための2030アジェンダ」に世界金融危機の反省も反映されているとすれば、企業がより長期的な視野に立って経営することをSDGsは奨励していることになる。結局のところ、地球環境や国際社会が何らかの理由で崩壊してしまえば、多くの企業もまた存続することはできない。
1990年代初のバブル崩壊以降、日本の経済運営は失敗の烙印を押されることが多かった。しかしここへ来て、民主主義や資本主義の運営でさまざまな新たな困難に直面している欧米社会の知識人からは、「日本は社会の安定を保つ上ではうまくやっているではないか」といった声も聞かれる。そういう良いところが残っているのであれば、それを活かしつつ、企業としても長期的な視点を忘れない「儲け」を考えたいものだ。かつて近江商人は、「売り手よし、買い手よし、世間よし」の「三方よし」を大事にした。今日の企業にとって、SDGsとはまさにこの精神の現代版とも言えるのではないだろうか。
神津 多可思