2022年08月03日
所長の眼
所長
早﨑 保浩
米中新冷戦、コロナ危機、そしてロシアによるウクライナ侵略。予想もしていなかったショックに、世界そして日本は次々と見舞われた。グローバル化の流れは止まってしまうのか。エネルギー価格高騰の中で気候変動対応はどう変わるのか。この局面を日本はどのように切り開いていけばよいのか。長年国際的な舞台で活躍してきた氷見野良三・前金融庁長官と行った対談を、3回にわたり掲載する(2022年7月5日実施)。
早﨑保浩:トランプ氏が米大統領に就任した2017年以降、米中新冷戦、コロナ危機、そしてロシアによるウクライナ侵略と、予想もしていなかったショックに見舞われた。そうした中で最近、「ロシアのウクライナ侵略は『グローバル化の終わり』を告げるのか」というレポートを出された。
氷見野良三氏:海外の論壇でも「グローバル化は終わるのか」というテーマが盛んに取り上げられている。日本ではグローバル化は世界の流れで、それにどう合わせるかという発想が主流だった。しかし、金融庁時代にかかわった金融分野でも「西側世界であれば自由に商売ができる」という時代は変わりつつあった。例えば国際的な銀行グループの資本や流動性を母国と現地で奪い合うような動きや、海外支店設置への制約・現地法人化要請などの動きが勢いを増していた。
そこで2019年に日本がG20議長国になった際、日本が主導して「市場の分断」をテーマに掲げ国際機関が提言をまとめた。それでもグローバル化の減速に抗することはできなかった。特定の国が絶対的な力を持っている状態から、2大国が拮抗する状態への移行過程にあるとすれば、これからも今まで同様にグローバル化が進むと単純には言えなくなっていると感じる。
(提供)ニッセイ基礎研究所
氷見野 良三氏(ひみの りょうぞう) |
早﨑:2021年リコーに入社し、初めて製造業の世界を経験しているが、日々状況の混乱を感じる。1つはコロナ禍による工場閉鎖、半導体不足、コンテナ船輸送の遅延など物理的な混乱。もう1つは米中対立の影響だ。中国製品を米国に輸出できるかなど、慎重な対応が求められる。数年前までなら自由貿易を前提にシンプルに行えたことが、できなくなっている。
物理的な混乱は今後解消されるかもしれない。しかし、安くて良い物を1カ所でまとめて製造し、販売すること自体が難しくなっている。グローバル化の流れが本当に終わってしまうのか、仮にそうだとして企業はどう行動すれば良いか、極めて大事な問題だ。
氷見野:企業や当局は判断を行う際、メリットとリスクやコストを比較する。一度でも問題が起きてしまうと、比較の際にリスクを無視することは難しくなる。経済制裁やコロナ禍によるサプライチェーンの混乱などは、今後も意識され続ける。これまでグローバル化のメリットが圧倒的という認識だったが、リスク要因が考慮されて人々の判断が変わっていくのではないか。
早﨑:ロシアのウクライナ侵攻後、ロシアに制裁を科す西側と、ロシア寄りの姿勢を示す国々に分かれた。ただ、その中間の国もたくさんある。G20議長国のインドネシアやインドなどだ。つまり、世界は二極化でなく三極化しているイメージを持っている。
日本の場合、ロシアを含む極との付き合いは難しいが中間の極とは付き合える。それらの国との間では信頼関係が構築され、グローバル化に近い状況が維持される、という可能性は考えられないだろうか。
氷見野:グローバル化と言うと、財・サービスの貿易、資金の流れ、人の移動などを思い浮かべる。しかし、ある意味で最も影響があるのが、人々の「脳内」のグローバル化だ。米ソ冷戦終了後、世界では自由・民主主義・市場経済を重視する「ワシントン・コンセンサス」的な理想が共有された。
今回のウクライナ侵略で感じたのは、一面ではこの脳内のグローバル化がさらに進んだということ。シリアやジョージアで起きたことを知る人は限られていたが、ウクライナで起きていることは、映像を通じ世界中の人に共有された。ゼレンスキー大統領の映像は国際世論を動かしている。その意味でのグローバル化は大きく進んだ。
他方、ロシア制裁に関する国連決議を見ると、棄権した国の人口が世界の総人口の半分にもなる。西側メディアで通念ができると、世界中がそれで染まるもののように思っていたが、今回、さまざまな国の世論が必ずしもシンクロしているわけではないことが明らかになった。国際世論だと思っていたものの外に広大な世界があることが明確になった。先ほどの三極で言えば、脳内のグローバル化がすごく起きているとも言えるし、意外と起きていないとも言える。
そうした中、日本は発信力が課題だ。日本で何か問題が起きた時、ゼレンスキー大統領並みに国際世論を動かす発信力を持てるだろうか。
演説するゼレンスキ―大統領
(出所)ウクライナ政府の公式HP
早﨑:ゼレンスキー大統領は、いつ自分が殺されるか分からない中で、各国のことを考えながら発信し続けている。それでもウクライナに対する関心は薄れつつある。
氷見野:一瞬であっても世界の認識を変えた影響は残る。スウェーデンの環境活動家、グレタ・トゥンベリさんも、注目を集め続けているわけではない。しかし、ある瞬間には彼女のメッセージが非常に広い範囲に刺さった。この影響は消えないだろう。
その点、私が関わってきた金融規制の面だけとってみても、日本には世界の言論市場での競争力があるスターがいない。国際金融規制は、かつてバーゼル銀行監督委員会の密室内で議論されていた。しかし金融危機後、発信力を持つ人たちが世界の論壇でさまざまなアイデアを出し合い、その影響下で規制作りが行われるようになった。
アジアでも例えば韓国のヒュンソン・シン(国際決済銀行チーフエコノミスト)、インドのラグラム・ラジャン(元インド準備銀行総裁)らが、グローバル論壇で活躍している。日本ほどの国力でスターが不在なことは際立つ。規制当局の国際会議で日本人が議長職を占める例は増えており、この点は進歩だ。ただ、国際世論や世界の論壇に訴える力は弱い。しかし、今や、国際世論まで動かせないと、国際会議の中の議論だけでは主張は通らない。
ではどうするのか。これまで我々は、国際秩序の消費者、お客さんとしての意識が強かった。問題点を指摘し、「それが正されることを願う」と日本語で言っても始まらない。消費者ではなく運営者の視点でものを考え、発信していく必要がある。その点、我々シンクタンクの責任も重い。
早﨑:過去10年間で日本が最も成功した例としては環太平洋連携協定(TPP)を思い出す。米国が離脱したにもかかわらず、11カ国をまとめて枠組みを作り、今では英国や中国、台湾も加盟を希望している。先ほど言った三極構造のうち、三極目の国も加盟している。日本でも三極のうち2つをまとめる機会ならあり得るかもしれない。
TPP(イメージ)
(出所)stock.adobe.com
早﨑 保浩