2021年08月17日
内外政治経済
研究員
館山 歩
「今までに訪れたことのある国の中で、一番面白かったところはどこですか?」―。筆者のような海外旅行好きの間でよく出てくる質問だが、そんな時は迷うことなく「中東のイエメン」と即答する。旅行者にとって、この国ほど不思議な魅力にあふれた国はないと感じるからだ。
イエメン首都サヌアの旧市街(2008年)
(写真)筆者
現在、世界中で新型コロナウイルスが猛威を振るう中、その思い出の国イエメンも重大な危機に直面する。米ジョンズ・ホプキンス大学のデータ(2021年7月30日時点)を基に、筆者が主な国の致死率(=感染者数に占める死者数の割合)を算出したところ、イエメンはワースト1位の19.6%。以下、ペルー(9.3%)、メキシコ(8.6%)と続く。世界平均の2.1%や日本の1.7%と比べると、イエメンは断然高い。
さらに深刻なのは、ワクチン接種率の低さだ。日本経済新聞と英紙フィナンシャル・タイムズがまとめたワクチン接種の延べ回数(2021年7月28日時点)によると、イエメンは人口100人当たり1.0回、195カ国中185位。接種の遅れが批判される日本でさえ65.4回(63位)だから、イエメンの危機的状況は隠しようがない。2008年の旅行中、おとぎの国のような街並みや、現地で出会った人々の素朴さや親切さに感銘を受けただけに、心配でならない。
イエメンの基本情報
(出所)外務省、国連、IMF、ILOを基に筆者
アラビア半島南西端に位置するイエメンは、日本人にはあまり馴染みがない国だろう。紀元前には名高い「シバの女王」が統治したと伝えられ、インドから東アフリカを経て地中海に至る「海のシルクロード」の貿易中継地として繁栄した。アラビア文明発祥の地とされ、欧州の人々は古来、羨望の眼差しを向け「Arabia Felix(幸福のアラビア)」と呼んできた。
(出所)筆者
第一次世界大戦後、イエメンは王国として独立したものの崩壊。その後、南北に分断されたが、1990年に再統合して現在のイエメン共和国が成立した。しかし、その後も政情不安が幾度となく発生し、長らく内戦状態が続いている。このため、海外からの旅行者が入国できた期間も限られていたが、筆者は旅行好きの知人に勧められたこともあり、13年前に訪問した。
首都サヌアの旧市街に足を踏み入れると、日干しレンガで造られた世界遺産の街並みが眼前に広がり、1000年以上前の「アラビアンナイト」の世界が色濃く残っていた。皮肉なことに、オイルマネーで潤う近隣諸国が次々と近代化を遂げたのに対し、石油生産量で劣るイエメンは完全に取り残されたためだ。今ではアラブ最貧国の1つに挙げられるが、長い伝統と豊かな文化が根付いており、親切で誇り高い人々に筆者はたちまち魅了されてしまう。
築400〜500年の建物が立ち並ぶサヌア旧市街
(写真)筆者
10日間の滞在中、物乞いにしつこく付きまとわれたり、レストランや商店でお釣りをごまかされたり、といったトラブルは一度もなかった。これは、途上国の観光地では非常に珍しいことだ。そればかりか、通りすがりの観光客に過ぎない筆者に、無料でお茶を振る舞ってくれ、自宅にも招待してくれた。
日干しレンガ製の高層建築が立ち並ぶ「砂漠のマンハッタン」(城壁都市シバーム)
(写真)筆者
ある朝、ホテルの周りを散策していた時、出会った老人が英語で発した言葉を今でも忘れられない。「わたしは素晴らしい家族と友人に恵まれ、何不自由なく幸せに暮らしている。持っていないのは、せいぜいお金ぐらいのものだ!」―。埃(ほこり)まみれの擦り切れた衣服に身を包みながらも、堂々と胸を張り、真っ直ぐに筆者を見つめる彼の瞳には、自信と誇りが満ちあふれていた。
民族衣装を身にまとい、半月刀(ジャンビーア)を腰に差すイエメン男性
(写真)筆者
山岳都市トゥーラで出会った、「アイラ」と名乗る土産売りの幼い少女も忘れ難い。聞けば5歳だという。「ヤバーニー(日本人)、ヤチュイ(安い)、ワンダラ(one dollar)!」―。汚れた絵はがき、歪んだキーホルダー、小石をつないだだけのブレスレット...。欲しい物は一つもなかったが、その一生懸命さにほだされ幾つか買うと、彼女は大喜び。おもむろに筆者の腕をつかんで歩き出し、街の案内を始めたのである。通り沿いの建物を指差しては、「モチュク(mosque)!」。次に別の建物を指しながら、「チュクール!(school)」。彼女は知っている限りのわずかな英単語を駆使しながら、筆者をグイグイ引っ張っていく。
お土産売りのアイラちゃんが街案内、今年18歳のはずだが...
(写真)筆者
別れ際、お礼にチップを渡そうとしたが、なぜかアイラは頑として受け取ろうとしない。そして「スーラ(写真)を撮ってくれ」と筆者にねだり、バスを追いかけながら手を振り見送ってくれたのだ。なぜチップを受け取らなかったのか知る由もないが、彼女なりの旅行者への「おもてなし」であり、素直な親切心だと解釈することにした。5歳の女の子との一時の交流であったが、忘れられない旅の思い出となった。
それから13年...。イエメンはコロナ禍前から、世界最悪の危機に見舞われている。全人口の8割に当たる約2400万人が何らかの人道支援と保健医療が必要だと言われる。 引き金となったのは、2011年にチュニジアやエジプトに続いて起こった民主化運動「アラブの春」。その余波で政情不安となり、「サウジアラビアが支援するハディ暫定政権と、イランが後ろ盾のフーシ派との対立による内戦状態が続いた」(「世界年鑑2021」共同通信社)。これまでに内戦で推計10万人以上が命を落とし、400万人以上の国内難民を生んだという。
これに加えて厳しい貧困による飢餓に直面し、約1000万人が慢性的な食料不足に苦しむとされる。さらに空爆によって多くの医療施設が破壊され、劣悪な衛生状態下でコレラやマラリア、デング熱などの感染症が蔓延。そこに新型コロナが襲い掛かったというわけだ。冒頭で紹介したように、致死率が極めて高いのは必然とも言えよう。
人道危機は何もイエメンに限った話ではない。世界各地で紛争が起こり、犠牲を強いられた一般市民が悲痛な叫び声を上げる。一方、日本に住むわたしたちには何ができるだろうか。少なくとも、どのような理由で紛争が生じ、なぜ人々が危機にさらされているのかに関心を持ち続けたい。歴史に向き合い少しでも正確な知識を持ち、さまざまな媒体のニュースに目を向け、耳を傾けていきたい。その出発点は旅行者の目線でもよいと思う。無関心こそが、人道危機を一層深刻にしてしまうからだ。
「あの世界遺産の街並みを守れないものか」「アイラちゃんは今も無事だろうか」―。イエメンの内戦が非暴力的な手段で1日も早く終息し、素朴で誇り高き人々は平和と健康を取り戻してほしい。そして、「幸福のアラビア」と羨望の眼差しで呼ばれる日が再び来ることを、願わずにはいられない。
館山 歩