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なぜ今、「新しい資本主義」なのか

【書評】「グローバリゼーション・パラドクス」(ダニ・ロドリック著、白水社)

2022年06月16日

内外政治経済

客員主任研究員
松林 薫

 岸田文雄政権は6月、「新しい資本主義」の実行計画をまとめた。経済安全保障と並ぶ岸田政権の看板政策で、教育機会の拡充や男女の賃金格差是正などを盛り込んだ。菅義偉前政権では自由競争とグローバル化を志向する新自由主義的な政策が目立った。その意味では180度の路線転換とも言える。

グローバル資本主義は後退

 世界を見渡しても、明らかに潮目は変わった。効率性の追求によって中国依存が進んでいたサプライチェーンは、危機管理の観点から自国回帰が進む。競争政策がもたらした経済格差の是正についても各国で取り組みが本格化した。新自由主義の思想に基づくグローバル資本主義は明らかに後退している。

 背景にあるのは、もちろん新型コロナウイルス感染症の世界的大流行(パンデミック)とロシアのウクライナ侵攻だ。しかし、英国の欧州連合(EU)離脱(ブレグジット)やフランスの黄色いベスト運動、米国のトランプ旋風など、新自由主義に対する異議申し立ては2016年ごろには表面化していた。なぜグローバル資本主義は行き詰まり、「新しい」資本主義が求められるようになったのだろう。

 この問題を考えるうえでヒントとなる本が10年前に出版されている(日本では2013年)。ダニ・ロドリック米ハーバード大学教授の「グローバリゼーション・パラドクス」(白水社、柴山 桂太・大川 良文訳)だ。

写真(出所)版元ドットコム

 この本自体は2008年の米リーマン・ショックを受けて執筆された。米ニューヨークで「ウォール街を占拠せよ」運動が盛り上がった頃だ。それから10年以上が経過したが、改めて読み返すと米中対立の激化や保護主義の復活など、その後の世界の潮流を正確に予言していたことに驚かされる。

世界経済の政治的トリレンマ

 もっとも出版当時、本書の中で注目されたのは著者が提唱する「世界経済の政治的トリレンマ」というアイデアだった。①世界市場を共通の理念とルールに基づいて統合する「ハイパーグローバリゼーション」②自国のことは自国で決める「国民国家」③民意に基づいて意思決定する「民主政治」―は3つ同時に選べない、という関係だ。経済学に詳しい人であれば、為替相場の安定(固定相場制)、金融政策の独立性、自由な資本移動の3つは同時に選べないという「国際金融のトリレンマ」が下敷きになっていることに気づくだろう。

世界経済の政治的トリレンマ

図表(出所)「グローバリゼーション・パラドクス」を基に筆者作成

 各国は、この制約の下で政策を選ぶ。例えば中国はグローバル化と国民国家を選択した。つまり民主主義を放棄したわけだ。貿易の自由化を進める過程で生じる様々な国内の利害対立を、政府の強力な統制によって封じ込める必要があったからである。

 別の選択をした国々もある。欧州では欧州連合(EU)という超国家的な政府を創設することで、ヒト・カネ・モノの流れをほぼ完全に自由化した。地域限定とはいえ、いわば究極のグローバリゼーションだ。

 しかし、そのために諦めたこともある。自分の国のことは国民が決めるという国民国家の原則だ。その代償を思い知ったのが、リーマン・ショック後のギリシャ。債務危機に陥った同国がとれる選択肢は極めて少なかった。EUに加盟していなければ、ギリシャ政府は思い切った財政出動によって景気をテコ入れできたはずだ。通貨ドラクマが下落することで輸出が増え、景気回復に貢献しただろう。しかし、国より上位にあるEUの縛りの下で、独立国家なら当たり前に実行できる政策がとれなかったのだ。

 グローバル化を進めると、民主国家の間でそうした矛盾が顕在化する。国内に誰の目にも明らかな問題が生じているにもかかわらず、それを自国政府が解決できないのだ。移民や海外の安い輸入品との競争にさらされて苦しむのは多くの場合、経済弱者。その不満が一気に噴き出したのが2016年のブレグジットとトランプ旋風だった。

 その流れは今も続いている。例えばバイデン米大統領は5月の日米首脳会談で、岸田首相が期待する環太平洋経済連携協定(TPP)への復帰には興味を示さず、新たな経済圏構想インド太平洋経済枠組み(IPEF)の創設を宣言した。特徴は一律的な関税の引き下げを求めないなどTPPと比べ自由度が高い点だ。逆に、中国がグローバル化時代の申し子ともいえるTPPに加盟したいと申し込んでいるのは皮肉に見える。

 著者は、世界を共通のルール(黄金の拘束服)で縛るグローバル化は、各国が抱える政治的、経済的な多様性と矛盾をきたして行き詰まると指摘する。彼が推奨するのは国民国家と民主政治の組み合わせ。つまり、ハイパーグローバリゼーションの放棄だ。ロドリックはそうした資本主義の方向性を本書の中で「資本主義3.0」と呼んでいる。今風の言葉で言えば「新しい資本主義」だろう。

グローバリゼーションを諦める選択も

図表(出所)「グローバリゼーション・パラドクス」を基に筆者作成

見直される政府の役割

 グローバル化の放棄と聞くと、著者が「鎖国」を唱えていると早合点する人がいるかもしれない。しかしそれは大きな誤解だ。各国が相対で利害調整をしながらルールを定め、貿易を拡大することは可能だからだ。IPEFのように緩やかな共通ルールの下で関係を深める方法もある。それどころか、著者はその方が貿易は拡大するのだと説く。

 本書には、「トリレンマ」の影に隠れてあまり言及されてこなかった著者の発見が示されている。「貿易への開放度が大きい国ほど公的部門が大きい」という事実だ。これは世界市場を活用するには「小さな政府」にする必要がある、という常識に反する。しかし、筆者はさまざまなデータを検討した結果、逆の結論にたどり着く。国の規模などを調整して分析してもなお、「大きな政府」を持っている国ほど貿易が盛んな傾向が見られるというのだ。

 筆者の推理はこうだ。国家が自国の実情に応じてきめ細かな制度を作り上げなければ、貿易自由化は国内経済に歪みをもたらし、やがて保護主義を呼び覚ましてしまう。つまりアダム・スミスの「夜警国家」論に反して、貿易を拡大し経済を「市場に任せる」には、民意を反映した政府の介入こそがカギを握ることになる。

 ロドリックはそうした方向性を「賢いグローバル化」と呼んでいる。ただ、「グローバル」という言葉を使うと混同を招きやすいだろう。グローバル化という言葉が広がる前、我々は著者の言う「賢いグローバル化」を別の言葉で呼んでいた。「国際化」だ。国同士がお互いの事情や制度の違いを認めた上で、国境、つまり「国の際」を意識しながら付き合いを深めていく。裏返せば「新しい資本主義」の時代とは、経済体制やそれに規定される政治や文化の多様性が尊重される時代だ。

資本主義の変遷

図表(出所)「グローバリゼーション・パラドクス」を基に筆者作成

 グローバル化が始まる前、つまり国際化の時代、日本は繁栄を謳歌した。日本的経営は世界的には「特殊」だったが、評価もされた。それが一転し、「世界標準ではない」と批判されたのはグローバル化が本格化した冷戦終結後だ。日本は「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の成功体験に酔い、世界が国際化からグローバル化に舵を切った事実に気づくのが遅れた。今回はどうだろう。我々は新しい資本主義の形を描き、「国際化」への回帰という変化に適応できるだろうか。

松林 薫

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