2023年11月28日
内外政治経済
主席研究員
竹内 淳
近年、主要国の間で「エコノミック・ステイトクラフト」と呼ばれる政治手法が多発している。外交的な目標を達成するために経済的な手段を発動する、いわば「経済の武器化」だ。特に最近目につくのは中国による経済的威圧、自分の思いどおりにならない相手に対する経済的な嫌がらせだ。中国は足元でも、東京電力福島第1原発の処理水放出に反発し、日本産の水産物の輸入を全面的に停止している。これがまさに経済的威圧だ。
世界でなぜ、経済的威圧を含むエコノミック・ステイトクラフトが相次ぐのだろうか。そうした手法には効果があるのだろうか。
エコノミック・ステイトクラフトは、米国の政治学者デビッド・ボールドウィンが1985年に発刊した自著のタイトルに掲げた用語だ。同著の発行年が示す通り、随分と以前から存在した。
歴史をさかのぼると、1930年代に海外への進出を目指した日本に対する米英蘭中諸国による「ABCD包囲網」(石油やくず鉄など戦略物資の輸出規制)や、1980年代に当時アパルトヘイト(人種隔離)と呼ばれた人種差別政策を採っていた南アフリカに対して欧米諸国が科した経済制裁などの先行例がある。
かつて、こうした制裁を科す場合には正当性を訴えるためにも国連安保理決議を経るなど国際的な合意を取り付けることが多かった。しかし最近では、自国の論理だけで単独、一方的に発動する事例が増えている。
その最たるは中国である。そこで、以下では中国の事例を中心に説明するが、実は米国にしても経済的威圧を比較的多く発動していることをあらかじめ付言しておく。
エコノミック・ステイトクラフトには「ネガティブ型」と「ポジティブ型」の2類型が存在する。
「ネガティブ型」は、言うことを聞かない国・地域を力で屈服させるべく「相手に経済的損失を与える」行為だ。具体的には制裁、関税、資産凍結などであり、「経済的威圧」とも呼ばれる。
近年、中国が行ったものでは、①オーストラリアが香港、南シナ海を巡り中国への批判を強め、コロナウィルス発生源を巡って独立調査を求めたことに対し、同国産石炭、ロブスター、ワインなどの関税を2020年に大幅に引上げた②リトアニアが中国との協力枠組み「中東欧16カ国にギリシャを加えた中国・中東欧首脳会議(17プラス1)」から離脱し、台湾に代表処を設置したことに対し、輸出入を2021年に制限した―ことなどが挙げられる。
経済的威圧について中国政府は公式には認めないことが多い。表立って輸出入で差別的な行動をとると、世界貿易機関(WTO)の設立協定など国際法への違反に問われかねないからだ。そこで、例えば輸入制限は消費者保護などの名目の下、「通関検査・検疫手続きの厳格化」などにより行われることが多い。
2016年に韓国への米軍の地上配備型ミサイル迎撃システム「高高度防衛ミサイル(THAAD)」を巡って猛反発した際には、国営メディアが世論をあおるかたちで韓国製品への不買運動が盛り上がったが、中国政府は「国民が自由意志で行動をしたにすぎない」との見解だった。こういう場合は、なおさら国際法違反を問うのが難しい。
経済的威圧で相手国の行動を変えられれば願ったりかなったりだが、そうでなくともそれを目の当たりにした第三国が震え上がり、自分に反対しない中立の立場へ向かわせる(黙らせる)だけでも十分に意味がある。いわゆる「フィンランド化」だ(注1)。
積極的に反対する国が少なければ少ないほど、自分たちの権益拡大に向けて好きなことが主張できるからだ。
経済的威圧は自分が被って初めてその理不尽を認識する。
尖閣諸島を巡って日中の対立が高まった2010年に日本へのレアアース輸出が制限されたとき、中国はWTO協定で認められた「資源保護」目的と主張。日本にとって理不尽だったが、米欧諸国には「対岸の火事」に過ぎず、中国への警戒論や非難は国際的に盛り上がらなかった(注2)。
欧州がこうした行為の脅威を認識したのが、上述のリトアニアへの制裁発動だ。
中国からすれば、リトアニアという小国に標的を絞ったつもりだったかもしれないが、同国製の部品を使用した欧州連合(EU)製品も通関手続きを停止した。EUとしては人、モノ・サービス、資本の自由な移動を保証する「域内市場統合」という基本原理を否定された形となり、EU全体で中国への反発が一気に高まった。中国にとっては誤算だっただろう。
「ポジティブ型」は自分に従うよう「相手に経済的利益を与える」行為だ。貿易優遇、投資、援助などが該当する。2013年に中国の習近平主席が打ち上げた、中国、アジア、中東、アフリカ、欧州を陸路と海路で結ぶ現代版「シルクロード」と称される「一帯一路」構想はその最たる例だ。
同構想には、中国からの財政支援などの下、港湾設備や鉄道などのインフラ整備が促進され、経済の活性化につながるとの期待があった。そうした思惑から、中国政府によれば152の国と32の国際機関が参加しているとのことだ。
しかし、その恩恵が中国に偏っているとの不満が見受けられ、最近ではイタリア、フィリピンが離脱の意思を漏らしている。スリランカなどは気付いてみれば借金漬けとなり、港湾インフラなどを中国に差し出さざるを得なくなる「債務の罠(わな)」にはまっている。
経済的威圧が機能するためには、相手国の中に自国に依存している箇所が、チョークポイント(急所)として存在し、それを突くことが効果的であることが必要となる。同時に相手国からの報復があっても耐えられるよう、相手国には依存していないことも重要だ。だからこそ、中国の経済的威圧は小国へ向けられたものが多い。
中国は資源大国であり、レアアースなど中国が世界の産出シェアのほとんどを占める品目が幾つもある。新型コロナ感染症の流行で明らかとなったのは、マスクなどの必需品も世界の生産の大部分を中国に依存しているということだ。中国は「世界の工場」として、海外企業の多くが主力の生産拠点を配置している。
さらに消費大国として多くの国から製品・サービスを輸入している。中国での売上高が全体の相当程度を占める海外企業は多数存在する。
このような調達、生産、販売というサプライチェーンにおいて、中国への依存が高い国ほど、同国からの経済的威圧に脆弱(ぜいじゃく)だ。中国とビジネスを行っている企業の経営が悪化すれば、自国経済を下押しするし、何より中国より必需品が入ってこなければ国民生活にも支障をきたす。
経済的威圧が「相手国の行動を変えさせる」「第三国を黙らせる」といった所期の目的を果たせるとは限らない。そうした行為は相手国での反中感情の高まりを招くだけということも多い。第三国においても警戒、不信感が高まる。
そうなると、中国への依存度を減らすことでリスクの分散化を図る「経済安全保障」の議論にもつながるだろう。それが果たして中国の利益となるのかは甚だ疑問だ。
尖閣諸島を巡って、中国が日本へのレアアース輸出の制限に踏み切った2010年当時、日本は同品目の輸入の9割以上を中国に依存していた。
その後、日本企業は調達先を他国へと広げ、現在では中国からの輸入シェアは6割程度にまで下がっている。国内でのリサイクルも進んだ。並行して省・脱レアアースに向けた技術開発も加速した。
こうした結果、中国からのレアアース輸入量は現在でも2010年当時の水準を下回る状況にある。
どうすれば中国などからの威圧を防ぐ、そして対処することができるのか。一つのアプローチは「相互確証経済破壊(Mutually Assured Economic Destruction、MAED)」と呼ばれる考え方だ。
これは核戦争の抑止理論における「相互確証破壊(Mutually Assured Destruction、MAD)」をもじったもので、どちらかが引き金を引けば即座に相手からも報復を招き、その結果共倒れになるというものだ。そういう認識があれば、互いに経済的威圧の発動を避けるだろうという見方である。
ただしMAEDが成立するためには両国の経済力が均衡し、切っても切れないほどに相互依存が進んでいる必要がある。実際には、そこまでの関係はなかなか見当たらない。
また、経済的威圧の具体的な行為は「核兵器」というよりも「通常兵器」程度の破壊力であることも多く、発動がすぐに全面報復へとはつながらないかもしれない。そう認識されればMAEDは成立しない。
二つめのアプローチは、サプライチェーンにおいて中国など特定の国に依存していないかを点検し、①脆弱(ぜいじゃく)性が確認された場合には取引相手を分散する②外国に依存しない体制を構築する―ことなどにより供給面での安全保障を向上させておくことだ。
こうした考え方に沿って多くの国が既にさまざまな施策を打ち出している。ただし、注意を要する点がある。製造業の国内回帰などに充当される補助金などは経済安全保障の名を借りた自国優遇、保護主義の可能性があることだ。
補助金で国内回帰を強引に進めたところで、部品や原材料まで含めて完全に自立するのは極めて困難だし、資源の無駄遣いになりかねない。むしろ、対外開放を積極的に進めて選択肢を増やし、市場メカニズムを通じた調整が円滑に進む環境を整えることが重要ではないか。
三つめのアプローチは、WTOなど多国間の枠組みを活用し、国際世論に経済的威圧の不当を訴えることだ。
実は、中国は米国と比べて国際的な自由貿易(WTO体制)にメリットを感じていると考えられる。だからこそ、自らの経済的威圧が「WTO協定違反」との裁定が下されれば、是正してきている。
確かにWTOは全会一致方式がゆえに貿易の自由化が進まず、不満を募らせた米国が背を向けているのが現状だ。米国は紛争処理制度で最終審に相当する上級委員会の委員任命をブロックしており、紛争処理が機能を停止している。
そうした状況を悪用し、紛争の相手国が案件の棚上げを狙って上級委員会へと上訴する「空上訴」と呼ばれる行為も発生している。
しかし、こうした状況に対し、52カ国・地域の有志が参加する「多国間暫定上訴仲裁アレンジメント(MPIA)」が2020年に創設されており、中国も参加している。日本も同枠組みに参加しない米国の感触も確認した上で、今年3月に参加を決定している。
WTOだけではない。日本も中国も参加する東アジアの「地域的な包括的経済連携協定(RCEP)」などでも、紛争処理の仕組みは存在する。これらの場を通じて自らの正当性をしっかりと主張することが重要だ。
中国のような大国に自国だけで対抗するのは困難かもしれないが、立場を同じくする国々で団結すれば、一定の抑止効果が期待できるだろう。
先進7カ国(G7)は今年5月、広島サミット後の声明文において、経済的威圧への対応の一環として「経済的威圧に対する調整プラットフォーム」を立ち上げたことを発表している。
同プラットフォームでは、早期警戒や迅速な情報共有、定期的協議を行うほか、経済的威圧の対象となった国・地域、主体を支援するため協調することなどがうたわれている。
続く同6月には、オーストラリア、カナダ、日本、ニュージーランド、英国および米国が共同で「貿易関連の経済的威圧および非市場的政策・慣行に対する共同宣言」を発出している。
さらにEUでは現在審議中の「経済的威圧措置を抑止するための規則」において、EUあるいはその加盟国が第三国から経済的威圧を受ける場合にEUが報復措置を発動し得ることを盛り込んでいる。
こうした多国間の取り組みが信頼されるには、参加者自身が一方的な経済的威圧を行わないことが前提となる。
しかし、米国の動向には懸念もよぎる。近年、米国は「自国優先(アメリカ・ファースト)」の姿勢を強めており、見方によっては一方的な経済的威圧と受け取られかねない措置を連発している。来年の選挙でトランプ氏が再び大統領に就任すれば国際協調に背を向けるリスクも高い。
既に述べたが、各国が自国の都合ばかりを考え、国際的なルールを無視して経済的威圧など好き勝手な行動をとると長期的には誰も得をしない。経済が非効率な分断へと進むからだ。
各国の指導者は互いにしっかりと対話を進め、経済的威圧などの愚に気付いてほしいと思う。これまで世界を繁栄へと導いてきたグローバリゼーションを止めてはならない。
(注1)フィンランドは1948年のソ連との友好協力相互援助条約の批准以来、ロシアへのウクライナ侵攻を契機に北大西洋条約機構(NATO)へ加盟した今年4月までの間、「民主制と資本主義を維持しつつ、ソ連やロシアの意思には絶対反抗しない」との中立外交を維持してきた。
(注2)ただし、2012年のレアアースの輸出制限を巡ってのWTOへの中国提訴には、米国、EUも加わった。
竹内 淳