2024年07月02日
内外政治経済
主席研究員
竹内 淳
米国の大統領選挙を今年秋に控え、バイデン、トランプの両候補の主張が明らかになってきた。気がかりなのは、両候補とも保護主義的な姿勢が目立つことだ。中でもトランプ氏は貿易収支を勝ち負けと捉え、2国間で米国の貿易収支が赤字となっている相手国を「米国から職を奪っている」と非難する。しかし、米国の輸入が増えているのは、米国が豊かになっているからではないか。輸入を減らせば豊かになるというトランプ流の論理は正しいのだろうか。自由貿易とは何なのか。そして、今なぜ自由貿易は批判にさらされているのか考察する。
今をさること80年前。第2次世界大戦が終結する前年の1944年7月、44カ国の代表約400人が米国東部ニューハンプシャー州の片田舎、ブレトンウッズのホテルに集まった。議題は、戦後の国際政治経済秩序のあり方だ。
1929年の世界大恐慌を契機に、列強各国はこぞって関税引き上げや通貨切り下げなど「近隣窮乏化政策」を打ち出した。多くの国で経済が悪化し、国民の困窮が強まる中で台頭したのが、ファシズムや共産主義である。
加えて、本国と植民地が関税同盟を結んで貿易を活発化させる一方、対外的には高い障壁を設けるブロック経済化が進行。領土と権益の拡大に向けてブロック同士の対立が先鋭化して大戦を招いたとの反省は、集まった代表者らの共通認識だった。彼らは、自由貿易の促進とそれを支える国際金融システムの構築を目指した。しかし、採択されたブレトンウッズ協定が決めたのは、後者の中核をなす「国際通貨基金(IMF)」と「国際復興開発銀行(世銀)」の設立にとどまった。
ほどなく自由貿易の促進に向けた交渉も開始され、1948年には「国際貿易機関(ITO)」の創設を定めたハバナ憲章が採択されたものの、米国議会の反対により同憲章は発効しなかった。代わりに、前年の47年に合意されていた「関税及び貿易に関する一般協定(GATT)」が貿易自由化の旗振り役を担うことになった。
GATTは本来、ITO発足までの暫定的な枠組みだったが、その役割を1995年に誕生した「世界貿易機関(WTO)」に引き継ぐまで、実に50年近くを要した。貿易とは、これほど政治的にセンシティブな領域なのだ。
ジュネーブにあるWTO本部
そもそも自由貿易が、目指すべき「共通善」とされるのはなぜなのか。理由をひもとくと、英国の経済学者デビッド・リカルドが19世紀初頭に唱えた「比較優位論」にまでさかのぼる。それぞれの国が他国より相対的に安いコストで生み出せる商品・サービスの供給に特化し、各国が貿易で融通し合えば、全体としての利益を最大化できるという考え方だ。
平たく言えば、それぞれが得意な分野に集中すると誰もが得をする。こうした考え方に基づいて、現代では完成品のみならず、中間財(資材・部品)などの国際的な分業が進んでいる。むろん、その国では作れないものも入手できるようになり、人々の生活が豊かになることも自由貿易の恩恵と言える。
自由貿易によって市場は国境を超えて大きく拡大し、それは投資や研究開発にも波及する。比較優位論を踏まえれば、生産拠点は先進国から生産コストの安い発展途上国へ移り、同時に技術やノウハウも移転する。それらが、イノベーションや生産性の向上をもたらす。自由貿易は、自国が自然災害などに襲われた際に他国からの輸入で必要物資を補えるという点で、リスク分散の機能も有している。
GATTとWTOは、①自由(貿易制限措置の関税化及び関税率の削減)②無差別(最恵国待遇、内国民待遇)③多角(多国間の交渉<ラウンド>)―の三原則に沿って貿易の自由化を進めた(注1)。
成果は目覚ましいものだった。GATTの10回にわたるラウンドを経て、貿易の自由化は大いに進んだ。例えば米国の平均関税率は、1940年代前半には10%を超えていたが、2000年以降1%台へと低下し、トランプ政権による中国などへの関税引き上げを経た今も3%未満にとどまる。
1960年から2022年まで約60年間の世界経済の変化を見てみよう。国内総生産(GDP)対比でみた貿易額の割合を示す「対外開放度」は、16%から50%へと大きく上昇した。実質GDPは8倍以上、1人当たりの実質GDPも3倍以上にそれぞれ増加した。自由貿易の進展と共に世界は豊かになり、市民の生活水準は向上した。貿易だけではなく、資本や人の移動も活発になった。これらの事実は、グローバリゼーションがもたらした大きな成果を示している。
世界の対外開放度と1人当たり実質GDPの推移(出所)世界銀行
ところが近年、世界中で貿易自由化へ逆行する保護主義的な動きが強まっている。政府補助金、輸出促進措置、関税などの貿易制限措置を発動する件数が増えている。国内の特定の産業を保護・振興するため、政府が巨額の補助金を支給する事例も続出している。それらの多くが、GATTとWTOの掲げる「自由、無差別、多角」原則に反している可能性が高い。
かつては中国や発展途上国が不公正な措置を講じ、米国など先進国がそれを非難し、WTOを通じて是正を求めることが通例だった。しかし、現在では米国自らが率先して保護主義的な行為に及んでいる。米国の環太平洋連携協定(TPP)からの離脱(2017年)や英国の欧州連合(EU)脱退(20年)などは、先進国が自国優先に向かっていることを示している。
貿易制限措置の推移(出所)Global Trade Alert
背景には、先進国を中心に近年、国民が自由貿易に不満を募らせている事情がある。自由貿易は、「比較優位」のメカニズムを通じて世界経済の効率性を向上させるが、その過程で「勝者」だけでなく「敗者」を生む。国際分業が進むと、それぞれの国で成長する産業もあれば、衰退する産業もあるのだ。
中国のWTO加盟(2001年)と情報技術(IT)の革新は、予想をはるかに超えるスピードや規模でサプライチェーン(供給網)の移転をもたらした。その中で「勝者」と「敗者」のコントラストがかつてなく鮮明化した。多くの研究によって、過去20~30年間に国家間の経済格差が縮小する一方、特に先進国では国内の所得格差が拡大しているとの分析結果が示されている(注2)。
企業倒産や雇用喪失などの負の影響を受けた人々が、不満や怒りを抱くのは当然だろう。政府には、彼らにセーフティーネットを提供する役割が求められる。さらに重要なのは、産業構造の転換を進めつつ、労働市場改革や職業訓練の充実を図り、衰退産業から成長産業へ労働の移転を促進することである。
ただ、産業・労働構造の転換には時間を要する。このため窮地に陥った「敗者」から、国内の産業を保護するための関税引き上げや補助金交付などの措置を政府に求める声が高まることになる。
国民の不満や不信感は、グローバリゼーションを推進してきたブレトンウッズ機関にも向けられている。米国は、「中国がWTO加盟時に約束した市場開放や不公正な慣行の是正などを行わず、WTOもこうした事態に効果的に対処していない」との批判を繰り返している(注3)。
WTOには、加盟国間の紛争を解決する裁判のような制度があるが、2018年にトランプ大統領(当時)は、「米国に不利な判断ばかりが示されている」と不平を表明した。その後、米国が最終審に相当する上級委員会への委員の選任を拒否し続け、WTOの紛争処理機能は19年12月から実質的に停止している(注4)。
過去にも保護主義のうねりが高まる局面を何度も経験したが、今回はより深刻だと考えるべきだ。
まず、新型コロナウイルスの感染拡大による供給制約や、ロシアのウクライナ侵攻を受けた対ロシア制裁などで、必需品の供給が途絶する事態に直面し、物資の調達を特定の国に過度に依存することへの警戒感が強まった。特に中国が米国に次ぐ経済力をつけ、対立する国などに経済的な威圧を繰り返す事態を目の当たりにし、西側諸国では中国依存のリスクが強く意識されている(注5)。
こうした認識を背景に、中国などに対する関税引き上げや輸出入規制といった保護主義的な措置も、サプライチェーンの強靭(きょうじん)化や経済安全保障の観点から正当化されていった。いわゆるデリスキング(リスク低減)である。
例えば米国は、2017年に通商法232条に基づく国防上の理由で鉄鋼、アルミニウム製品への輸入関税を大きく引き上げた。戦略物資の半導体や同製造装置など先端技術品の輸出管理も強化している。さらに22年8月、「CHIPSおよび科学法(CHIPSプラス法)」を成立させ、半導体の国内製造に527億ドル(約8兆円)もの政府補助金を支給する仕組みを整備した。
WTOはGATT21条に基づき、安全保障を理由とする措置を自由貿易の例外として認めているが、妥当性を誰が判断するのかを巡る見解は定まっていない。米国などが「自国」としているのに対し、「WTO」の紛争処理機能に委ねるべきだとの意見もある。仮に米国の主張が認められれば、歯止めが効かなくなるだろう。
米国にならって、他の国々も保護主義的な措置を次々と発動するに違いない。IMFは、「主要国がある製品に対して政府補助金を導入すれば、他の主要国が同じ製品に補助金を付与する確率は73.8%に上る」と分析している(注6)。
主要国が取り組む地球温暖化対策にも、保護主義の色彩を帯びた施策がいくつもある。EUが2026年に本格適用を予定する「国境炭素調整メカニズム(CBAM)」は、地球温暖化対策が不十分な国からの輸入製品に多額の関税をかける枠組みだ。
中国などは、一国主義や保護主義を助長すると批判する。オバマ政権で米通商代表を務めたマイケル・フロマン氏も、「EUが一方的にルールを適用することで、保護主義に利用される懸念がある」と指摘している(注7)。
さらに厳しく批判されているのが、バイデン政権が2022年8月に成立させた「インフレ削減法(IRA)」だ。電気自動車(EV)や再生可能エネルギー開発に3690億ドル(約60兆円)もの補助金・税控除を用意した。基本的に米国内での生産などが条件で、国内産業を不当に優遇しているとの見方がある。
こうした自国優先の産業政策が意図した効果を上げるかどうかは疑わしい。高関税の影響で、中国から米国への輸出額は減少した。2023年はハイテク機器を中心に前年比2割減少し、対米輸出の国別シェアも前年の首位からメキシコ、カナダに次ぐ3位に転落した。
とはいえ、米国の中国依存度が低下しているとは限らない。中国企業はメキシコや東南アジア諸国連合(ASEAN)諸国への投資を拡大し、それらの国々では中国製部品を使って完成品が組み立てられ、米国に輸出されている(注8)。単にサプライチェーンが迂回(うかい)して長くなっただけと見ることもできる。
関税引き上げや政府補助金は、一時的には対象産業を助ける効果が期待できるが、海外との競争が阻害されれば価格は上昇する。そのコストは消費者や他産業の企業が負担させられる。
「CHIPSプラス法」による補助金を受けて、半導体受託生産最大手の台湾企業TSMCは、米国での工場建設を決めた。創業者モーリス・チャン氏は、「米国での半導体製造コストは台湾より55%も高い」と指摘する。
高い半導体を購入させられるのは、米国のユーザーだ。温暖化対策のため国内産業を保護した結果、EVや再生可能エネルギーのコストが上がり、むしろ普及が遅れて温暖化防止が進まないという皮肉な結果も、十分に考えられる。
自由貿易が危機に直面している割には、世界の対外開放度は右肩上がりとなっている。自由貿易、あるいはグローバリゼーションが減速しているとしても、現時点では後退しているとまでは言えないだろう。
ただし油断は禁物だ。2022年のロシアによるウクライナ侵攻以降、「西側(民主主義)陣営」と「中国・ロシア(権威主義)陣営」をまたにかけた対外直接投資が減少する一方で、同じ陣営内では増加した(注9)。
にもかかわらず、世界レベルで経済のブロック化がさほど進んでいないのは、かつての冷戦時代とは異なり、グローバルサウス諸国が中立の立場を保ちつつ、間に入って貿易で両陣営をつないでいるからだ。両陣営とも、グローバルサウスへの直接投資は増えている。
懸念されるのは、グローバルサウス諸国に対してどちらの陣営につくのか態度を鮮明にするよう、踏み絵を迫る動きが強まることだ。そうなれば、経済のブロック化が進む恐れがある。
資源の効率的な利用による生産性向上や技術移転など、自由貿易やグローバリゼーションの恩恵は失われよう。IMFのギタ・ゴピナート副専務理事は、「世界が2陣営に分断され、相互の貿易が行われなくなれば、世界のGDPの2.5~7%が失われる」との推計を紹介している(注10)。
世界分断という最悪の事態を回避するため、われわれにできることは何か。
第一に、自由貿易は社会を豊かにする手段であり目的ではない。恩恵が公平に行き渡らなければ、自由貿易への不満は高まり続けるだろう。自由貿易の負の側面を克服し、恩恵を最大化するには、各国が経済格差の解消や産業構造の転換を着実に進めねばならない。
第二に各国は、関税、政府補助金、輸出入規制など自由貿易を阻害するような産業政策について、目的、対象、期間、コスト、効果、貿易相手国への影響といった点を明らかにし、政策の透明性を高める必要がある。各国が互いに疑心暗鬼に陥ることを避けるうえでも、情報開示は欠かせない。
信頼できる情報がなければ、その政策が国際的に許容されるかどうかの議論すらできない。西側諸国が「中国は不当に外国企業を差別している」と疑い、中国は「批判は当たらない」と反論している。この水掛け論を脱する第一歩は、客観的なデータの検証である。
第三に、安全保障の確保や地球温暖化の防止、自然保護、公衆衛生といったさまざまな政策課題への対応と自由貿易の推進を両立させる戦略を立てる必要がある。GATT/WTOは安全保障に関して自由貿易の例外を認めてきたが、その範囲や認定方法はあいまいである。加盟国間で議論を深め、合意形成すべきだ。
WTOなどブレトンウッズ機関は、危機の回避に向けて必要な支援を行わねばならない。IMFと世銀は、各国の経済政策にアドバイスし、必要に応じて金融支援を行うべきだ。WTO、IMF、世銀が協力すれば、各国のデータの透明性向上にも寄与できるだろう。
孤立主義vs自由貿易(イメージ)
何より重要なのは、これらの機関が、世界の国の代表が集まって話し合う「場」としての機能を十分に発揮することだ。各国が対立する国の声に耳を貸さず、一方的な主張や措置を続ければ報復合戦に発展し、最終的には誰も得をしない。建設的な議論が展開できる環境を提供してもらいたい。
「われわれは、国益を守るために最も賢く効率的な方法は、国際協調、すなわち共通善の実現に向けた連帯した努力だと理解するに至った」
ブレトンウッズ会議に米国を代表して参加したヘンリー・モーゲンソー・ジュニア財務長官の言葉である。第2次世界大戦という人類最大の惨禍を経て得られた先人の教訓である。再び対立と分断の危機が強まる今こそ、ブレトンウッズの原点に立ち返り、国際協調の未来を切り開きたい。
(注1)②の無差別の原則を構成する二つの要素のうち、「最恵国待遇」は、特定の相手国に関税の引き下げなど最高の条件を付与した際は、他の加盟国にも同様の条件を適用する決まりだ。「内国民待遇」は、国内において輸入品と国産品を同条件で扱う義務のことである。
(注2)David Lodge et al., "The Implications of Globalization for the ECB Monetary Policy Strategy", ECB Occasional Paper No. 263, September 2021.
(注3)米通商代表部(USTR)は、2001年の中国WTO加盟以降、同国のWTO協定順守に関する報告書を毎年米国議会に提出することが義務付けられている。今年2月には22回目となる2023年分の報告書が公表された。その中で、米国が問題視する中国の経済政策などが詳細に記述されている。
(注4)WTOの紛争処理機能を巡っては、上級委員会が停止していることを利用して、一審に相当する紛争処理小委員会(パネル)で敗訴した国が、上級委へ上訴することで意図的に判断の棚上げを狙う「空上訴」が相次いでいる。
(注5)経済的威圧行為を含む「エコノミックステートクラフト」については、拙稿「主要国に広がる「経済の武器化」:威圧、嫌がらせに対抗する」(2023年11月28日、リコー経済社会研究所のホームページに掲載)を参照されたい。
(注6)Evenett, S., Jakubik, A., Martin, F., and Ruta, M., "The Return of Industrial Policy in Data", IMF Working Paper No. 001, January 19, 2024.
(注7)Froman, M., "A Way Forward for Global Trade", IMF Finance and Development, June 2023.
(注8)メキシコの通関統計は、作為的かどうかは別にして、中国からの輸入を過小計上しているとささやかれる。キャサリン・タイ米通商代表はメキシコ政府に対し、米国への鉄鋼とアルミニウム製品の輸出急増に関連し、「メキシコによる第三国からの輸入について透明性が欠如している」と批判している。
(注9)Shekhar, A., Malacrino, D., and Presbitero, A., "Investing in Friends: The Role of Geopolitical Alignment in FDI Flows.", CEPR Discussion Paper 18434, September 2023.
(注10)Gopinath, G., "Cold War II? Preserving Economic Cooperation Amid Geoeconomic Fragmentation", Plenary Speech at 20th World Congress of the International Economic Association, Colombia, December 11, 2023.
竹内 淳