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家計支援の政策、軍配は?!-米大統領選

 激突「トランプ対ハリス」(上)

2024年09月20日

内外政治経済

主席研究員
竹内 淳

 米大統領選が大詰めだ。共和、民主の両党は党大会を経て、「大統領、副大統領」候補として「トランプ前大統領、バンス上院議員」「ハリス副大統領、ウォルツ ミネソタ州知事」をそれぞれ正式に選出した。11月5日の大統領選まで2カ月を切った今、重要となるのは政策だ。各種世論調査では、有権者が最も重視する点として経済が挙げられている。そこで2回にわたり、経済政策について両陣営の主要な公約(候補者の発言を含む)を整理し、その効果や留意点、副作用などを考察したい。1回目はまず、国民の家計に直結する分野を採り上げよう。

溜まるインフレへの不満

 米国経済は、他の先進国に先駆けてコロナ禍前の実質GDP(国内総生産)水準を取り戻し、過去の成長トレンドへ戻っている。足元の失業率も、4%台前半と歴史的に低い水準で推移する。にもかかわらず、米国民の大多数がバイデン政権の3年半で生活が苦しくなったと不満に感じている(注1)。背景にあるのはインフレだ。

スーパーで価格上昇に驚く米国人女性

 左下のグラフは、トランプ政権誕生時点(2017年1月)から現在までの消費者物価(CPI)上昇率の推移だ。総合指数は、22年6月に前年比+9.1%と40年ぶりの伸びを示したが、足元では+2.5%にまで低下している。ここ1年半は、賃金が物価を上回って上昇しており、冷静に考えればもはや悲惨な状況ではない。

 しかし、右下のグラフをみると、CPIの水準(総合指数<季節調整値>)は、3年半前より2割も上昇しており、食品やガソリンはさらに高騰している。こうした生活必需品の値上がりは、子育て世代や低所得者層を中心に深刻な問題だと捉えられている。さらにFRB(連邦準備制度理事会)の利上げを受けて住宅ローン金利は上昇しており、住宅取得も困難化している。

       米国の消費者物価伸び率(左)と消費者物価⽔準(出所)⽶国労働統計局

中低所得家計への支援強化―ハリス氏

 コロナ収束後のインフレには、需要の反動増、世界的なサプライチェーン混乱、ウクライナ戦争などが複合的に作用しており、バイデン政権のみを批判するわけにはいかない。そもそも物価安定は、金融政策を担うFRBの責務だ。しかし、こうした状況は、副大統領であるハリス氏に責任を押し付けられるという点で、トランプ陣営には追い風だ。

 そこでハリス氏は、インフラ投資や脱炭素産業の振興といったバイデン大統領の経済政策を基本的に引き継ぎつつも、低中所得者層への家計支援の強化を打ち出している。まず、40万ドル未満の所得世帯については、所得税増税を否定する(注2)。加えて、子ども税額控除を子ども1人当たり3600ドル、新生児は6000ドルへと大幅に拡充する。2021年にも同税額控除は拡大された(既に失効)が、米国勢調査局は「子どもの貧困率を9.7%から過去最低の5.2%へと引き下げる効果があった」と評価している(注3)。

 こうした措置は、子育て世代女性の労働参加を促進するほか、子どもの教育水準引き上げにもつながることが期待される。実は、バンス氏も「1人当たり5000ドルへの引き上げ」を提唱しているが、「所得制限を設けない」という点がハリス氏と異なる。

「チップ収入の非課税化」―トランプ氏

 トランプ氏は、全ての所得者層での2017年「トランプ所得減税」(減税・雇用法の所得税部分)の継続に加えて、「チップ収入の非課税化」を訴える。ハリス氏も支持するが、所得収入に上限を設ける、社会保障への充当分(給与税)は非課税としないといった点が異なる。どちらも激戦州のネバダ州で発表しており、ラスベガスのサービス労働者票の取り込みを狙ったことは明確だ。

 しかし、チップ収入がある職業に従事する労働者は全体の2.5%に過ぎず、そのうちの4割近くは所得水準の低さから所得税が免除されており、この措置の対象外だ(注4)。そもそも低所得者層の収入を増加させるためには、最低賃金の引き上げの方が有効との意見が多い。同じ収入金額に対して、チップか給与所得かで税額が異なるのは、公平性の観点から問題だ。収入をチップで受け取る形にして不正利用し、脱税を図ろうとするかもしれない。

社会保障給付への所得税の免除

 トランプ氏は、社会保障給付への所得税免除も主張する。米国では6700万人が高齢者・障害者向けの退職年金、医療保険(メディケア)を受給しており、そのうち4割が給付に対する所得税を支払っている。彼らからすれば朗報だろう。

 しかし、年金を支払う信託基金の収入の4%は、受給者の所得税から積み立てられており、その撤廃はただでさえ悪化している基金の財政を一段と苦しくする。基金の枯渇時期は前倒しとなり、最終的に給付額が強制的に削減されてしまいかねない。ただし社会保障の変更には上院で60票以上の賛成が必要とあって、トランプ政権誕生でもこの公約の実現は難しかろう。

「便乗値上げ禁止」

 米国民の不満の根幹であるインフレへの対応として、ハリス氏は食料品に対する「便乗値上げの禁止」を掲げている。この公約は、政府による価格統制だとの受け止め方が多く、トランプ陣営は共産主義だと批判する。1971年に当時のニクソン大統領が価格(および賃金)統制を実施した結果、生産者の利益が圧迫されて供給が減ることで物不足が発生、大混乱を招いた経験が想起されている。

 しかし、ハリス陣営は価格統制ではなく、連邦取引委員会(FTC)を通じた大企業のカルテル的行為の取り締まりを念頭に置いているようだ。バイデン政権の経済諮問委員会(CEA)バーンシュタイン委員長は、「大企業による市場の寡占が、利益追求のために高いマークアップ(価格転嫁)へとつながっている」と指摘する(注5)。

「売り手のインフレ」を抑制

 これは「売り手のインフレ」と呼ばれる現象だ。ホワイトハウスの分析では、四つの大企業が食肉市場の55~85%を支配しており、コスト上昇を言い訳にコロナ禍前後で値上げを進めた結果、粗利益が50%、純利益は300%増加したことが示されている(注6)。ちなみに世論調査でも、国民の大多数がインフレは大企業の責任だと考えている。ただし、何が便乗値上げなのかは定義が難しい。規制が厳し過ぎれば、企業が萎縮し、生産・供給を減らす可能性もある。

 ハリス氏は、価格統制を全て否定はしていない。バイデン政権は2022年の「インフレ抑制法」に基づき、製薬会社と交渉を進めた結果、高齢者向けのインシュリン注射の価格に月35ドルの上限を定めることに成功している。ハリス氏は、これを全ての患者へと広げると説く。

「インフレは敵失」と言うが...?

 トランプ氏はインフレを敵失(てきしつ)と考え、ハリス氏の無策を非難し、「自分が大統領に就任すれば物価はすぐに下がる」と主張する。トランプ氏は、化石燃料への規制を緩和し、生産・供給を増やすことで「半年以内に燃料価格を半分へ引き下げる」と宣言する。

 しかし、この政策の効果は疑わしい。バイデン政権下でも、米国の石油生産量は今や過去最大だ。掘削業者は、油田の開発許可を歓迎しても、収益への悪影響を考えると、需要とのバランスでしか実際の生産は増やさないだろう。

住宅取得の支援

 ハリス氏は、住宅価格高騰への対策として、一次取得者に住宅ローンの頭金として2万5000ドルを補助する方針だ。同時に、住宅建設を促進するために400億ドル規模の基金設立、規制緩和、連邦政府所有地の住宅地への転換、建設業者への優遇措置(税控除)などを進めて、4年間の任期中に「低中所得者層が手頃に購入できる300万戸の住宅完工」を目指す。一連の住宅供給促進策は、効果が期待される一方、「頭金の支援は価格上昇につながるだけ」との批判がある。

 トランプ陣営も、ハリス氏と同様に住宅供給の促進を目指すが、何よりも移民の強制送還により、住宅需要が減少して価格が下がると主張する。さらにトランプ氏には、発言に一貫性が無いものの、金利を引き下げさせるべく、FRBに圧力を掛けようとする意図が見え隠れする。

富裕層に手厚いトランプ氏

 こうした家計支援の政策は、いずれの候補も低中所得者層向けをうたうが、子細にみるとハリス氏と比べてトランプ氏は、富裕層に相対的に手厚い施策となっている。まず、20 17年のトランプ所得減税は、所得が高いほど率でも金額でも減税の恩恵が高くなっており、米シンクタンク「タックス・ポリシー・センター」は、同減税を継続する場合、「全体の5%にしか過ぎない年収45万ドル以上の世帯が、恩恵のほぼ半分を受ける」と指摘する。

年収40万ドル以上は増税

 対するハリス氏は、年収40万ドル以上の世帯は所得税増税を行う予定だ。加えて、「年収100万ドル以上の投資家に対するキャピタルゲイン課税を現行の20%から28%へと引き上げる」ことも提唱している。

 ハリス氏は、1億ドル以上の資産を有する富裕層に対して、収入の25%を最低課税率として課すと打ち出している(大富豪最低課税)。その収入には、保有する資産の含み益を算入するとされており、実現可能性や副作用などについて大きな批判を浴びた。ハリス氏が当選しても、この提案が日の目を見る可能性は非常に低いだろう。

 しかし、著名投資家のウォーレン・バフェット氏がかつて、「私が払う税金の率は、自分の秘書よりも低い」と述べたように、富裕層の多くが制度上の抜け穴を駆使し、極めて低い税率でしか納税していないのは事実だ。公平性から言えば、問題意識は正しいだろう。

次回はトランプ、ハリス両氏で違いが大きい通商政策や規制緩和、法人税改革などについて見ていきたい。

トランプ氏 争点 ハリス氏

2017年トランプ減税継続

所得税

収入40万ドル以上の未満の世帯は増税せず

1人5000ドル(所得制限なし)

子ども 税額控除

1人3600ドル(新生児は6000ドル、所得制限あり)

すべて非課税

チップ

所得税のみ非課税。上限あり

非課税

社会保障給付

 ー

油田開発の促進

インフレ対策

「便乗値上げ」の阻止、インシュリン価格に上限設定

移民強制送還(住宅需要が減少)
規制緩和など

住宅対策

2万5000ドルの頭金支援、建設業者への優遇措置などにより、4年間で300万戸の住宅供給を目指す

 ー

富裕層課税

収入40万ドル以上の世帯は増税。年収100万ドル以上の投資家へのキャピタルゲイン課税を強化。大富豪課税を画策。


家計に直結する分野の政策比較(出所)各種報道

◇公約の実現可能性
 注目される連邦議会選挙

 大統領選の行方は予断を許さないが、同時に行われる連邦上院議員選(全100議席中34議席)、連邦下院議員選(435全議席)の結果も今後に大きな影響を与える。結果いかんで公約の実現可能性が変わるからだ。現時点では、上下院共に共和党の優勢が伝えられているが、接戦区も多く、どうなるか全く予断を許さない(注7)。

米連邦議会議事堂

 上院では、過半数の議席を持っていても法案が成立しないケースがある。少数野党でも40議席以上を占めれば、審議を延々と引き延ばすことで、いわゆる「フィリバスター」(議事妨害)により、法案を廃案に追い込むことが可能なのだ(注8)。どちらの党にせよ、改選議席を含めて40議席を下回る可能性は低く、フィリバスターの脅威は残る。従って、移民対策や環境保護などに関する抜本的な法制度改革は、超党派の支持が得られない限り、実現困難となる。

 ただし、歳入・歳出、財政収支、債務残高などを定める予算決議とそれに基づく法案は、上院におけるフィリバスターが有効ではなく、上下両院の単純多数決で可決できる(財政調整措置)。従って上下両院を与党が押さえれば、減税や財政支出拡大などが可能となる。

 この仕組みは本来、財政収支の改善を目的とした例外的な扱いだが、近年は頻発している。その実例が、2017年の「減税・雇用法(トランプ減税)」、21年の「米国救済計画法(コロナ禍を受けた経済対策)」、22年の「インフレ抑制法(気候変動対策)」だ。財政調整措置では、10年を超えて財政赤字を拡大させる措置は禁じられており、トランプ減税も所得減税は25年末に失効する予定となっており、その扱いは今回の選挙の争点となっている。

 その一方で、大統領は行政の長として、憲法や既存の法律の範囲内でさまざまな権限行使が認められている。「TPPからの離脱」「パリ協定からの脱退・再加盟」「中国などへの関税の発動」「イスラム教徒の入国拒否(行政命令)」などはそれらに該当し、改めての議会の承認は不要だ。従って、トランプ氏が主張する高率関税の賦課は、野党による議会支配下でも実施できる可能性が高い。


(注1)    Financial Times/Michigan Rossの世論調査(24年8月24日時点)では、バイデン大統領による経済への対処について、「強く反対」(42%)、「幾らか反対」(16%)を併せて、米国民の6割近くが異論を唱えている。こうした状況は、過去1年以上一貫して変わっていない。
(注2)    ハリス氏は、「2017年のトランプ所得減税を継続する」とまでは述べていないが、25年末のトランプ減税の失効に際して、年収40万ドル未満の世帯への増税をどのように回避するのか具体的な方法を示していない。
(注3)    Creamer, J., Shrider, E., Burns, K., and Chen, F., "Poverty in the United States: 2021 Current Population Reports." US Census Bureau, Washington, DC, 2022.
(注4)    Tedeschi, E., "The "No Tax on Tips Act": Background on Tipped Workers", The Budget Lab at Yale, June 24, 2024.
(注5)    Bernstein, J., "Inflation's (Almost) Roundtrip: What happened, how people experienced it, and what have we learned?", Remarks by CEA chair at the Economic Policy Institute, July 30, 2024.
(注6)    Deese, B., Fazili, S., and Ramamurti, B., "Recent Data Show Dominant Meat Processing Companies Are Taking Advantage of Market Power to Raise Prices and Grow Profit Margins", The White House Blog, December 10, 2021.
(注7)    次期大統領の任期中、2026年11月には再び上院議員選(対象:33議席)、下院選(同:全議席)が予定されており、その結果によっても大統領の政策遂行の自由度は変化する。
(注8)    フィリバスターとは、オランダ語の「海賊」を語源に持ち、議事妨害行為を指す。米国連邦上院では、原則として議員の発言時間が無制限であることを利用し、議会の開催延々と討論を続ける(現在では、フィリバスターを宣言する議員が議場にいるだけで有効)で法案を廃案に持ち込むことができる。これに対しては、全100議席中60以上の賛成をもって討議終了(クローチャー)に持ち込むことが可能である。

竹内 淳

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