2024年09月21日
内外政治経済
主席研究員
竹内 淳
11月5日の投票日に向けて大詰めを迎えつつある米大統領選。トランプ、ハリス両氏が掲げる通商政策や規制緩和、法人税改革などは日本企業のビジネスにも大きな影響が及ぶ。今回は、そうした政策の違いや論点、マクロ経済や金融市場に与える影響について検証してみたい。
トランプ氏の政策の目玉は関税の引き上げだ。主な措置としては、①全ての輸入品に対して一律10~20%の関税を課す②中国に対して「恒久正常通商関係(PNTR)法」を撤回し、最恵国待遇(MFN)を取り消す(注1)ほか、同国からの輸入品へ60%の関税を課す③貿易相手国に対して、関税などで米国と同じ条件を求める相互主義貿易法の制定―が挙げられている。加えてEU(欧州連合)やメキシコから輸入する自動車を関税の標的とする可能性を繰り返し述べている。
これらにより、トランプ氏は「貿易赤字は減り、製造業が国内へと回帰して雇用も増加する」と主張する。しかしトランプ氏が、どこまで本気なのか。いささか疑問がある。2016年の大統領選前にも似たような主張を展開したが、就任後に多くを見送っているからだ。
日本にも影響する①の一律関税は、議会の支持が得られるか不透明であり、大統領権限での実行には法律上の根拠が薄弱だ。
また中国をターゲットとした②のうちの高率関税は、通商法301条(貿易相手国の不公正な取引慣行への制裁)など既存の法律を根拠に大統領が実施することは可能であり、対中警戒感が強い議会でも超党派の支持が得られよう。しかし、iPhoneなどの消費財への高率関税の適用は米国民に歓迎されない。となると品目を限定する可能性が高い。
③は、大統領に貿易面で強大な権限付与を求めるもので、法律が成立する可能性は低い。米国の関税率が貿易相手国よりも高い品目をどう扱うのか、との問題もある。
ハリス氏は、トランプ関税を「トランプ税」と呼び、米国の消費者がその負担を負わされると批判する。実際、多くの分析が「トランプ政権が導入した関税の上昇分は、国内の価格上昇を通じて消費者にほぼ完全に転嫁された」との結果を示している(注2)。雇用増や貿易赤字削減の効果も、同様に証拠に乏しい。
一見すると関税により輸入品の価格が上昇すれば、米国内で生産する企業が競争上有利となるようにも思える。しかし実際は、国内企業も価格を引き上げている。便乗値上げとも言えるが、輸入部品などのコスト上昇を考えれば、すべてそう決めつけるわけにもいかない。
なお、富裕層よりも低所得者層の方が家計の支出において日用品などのウエートが高い。日用品は輸入品が多いため、関税引き上げは低所得層に重い負担を強いると言える。
ハリス氏はトランプ氏の関税政策を批判するが、そのトランプ氏は次のように反論する。「ならばなぜ、バイデン政権はトランプ関税を続けるのか」
関税は、経済的な効果はさておき政治的に人気がある。バイデン政権は、トランプ政権下でのEU向けの鉄鋼・アルミ関税の引き上げを停止したが、中国向けの高率関税は維持している。
また今年5月、経済安全保障上、重要な分野に絞った形で中国からのEV、半導体、医療品への関税引き上げを発表した。とはいえその関税対象額は、次期の「トランプ関税(3兆ドル)」と比べて150分の1以下(180億ドル)にすぎない。相手構わずやみくもに関税を増やすことは避けながら国益を守る戦略は、ハリス氏も継承。その一方で、バイデン政権の経済対策を基本的に引き継いで戦略的に重要と考える分野へと補助金を投入し、投資を促す構えだ。
ただ、安全保障上の脅威への対抗策と言えば聞こえは良いが、実態としては保護主義的な側面が大きい。関税にせよ補助金にせよ、保護主義は経済の効率性を損ない、最終的には誰も得をしない。どこかが始めれば、必ず報復合戦を招く。
トランプ氏は、2017年のトランプ減税で35%から21%へと引き下げた法人税率のさらなる引き下げ(国内で生産する企業は15%へ)を約束している。他方、ハリス氏は、28%への再引き上げを主張する。
米国を代表する企業経営者200人以上が加盟する「ビジネス・ラウンドテーブル」は、17年の法人税改革(トランプ法人減税)の効果として「海外から2.5兆ドルの資金還流を促し、国内への投資や雇用増へとつながった」「結果として法人税収入は足元で過去最高水準を記録している」として、税率引き上げに反対している。
ハリス氏は法人税引き上げを目指す一方、バイデン政権下で成立した2021年の「インフラ投資・雇用法」、22年の「CHIPS科学法(半導体産業育成)」と「インフレ抑制法」に盛り込まれた戦略産業への補助金などの産業政策を継続することで、企業の投資拡大を目指す方針だ。また、スタートアップ企業への税控除の拡大(5000→5万ドル)などを通じて、任期中に2500万の起業を目指すといった政策も発表している。
このうちインフレ抑制法に関して、トランプ氏は撤廃を約束しているが、同法の恩恵は連邦議員選挙で共和党が優勢な州に多く及んでおり、同氏が再選し、共和党が議会の両院を支配しても全ては破棄されないかもしれない。
またトランプ氏は、大統領の任期中に規制緩和を推進した。エネルギーや環境分野でオバマ政権下の規制を撤廃するべく、環境保護局(EPA)などの独立規制機関に対して行政命令を発出し、規制の策定を停止させるなどした。ただし、こうした措置の8割近くは裁判で敗訴しており、実体経済への影響は少ないとされる。トランプ氏は改めて排ガス規制など環境分野の規制緩和をもくろむ。「規制は、新たに1を作る度に10を廃止する」という姿勢だ。
これに対してバイデン政権下では、司法省や連邦取引委員会(FTC)が巨大IT企業への監視を強化しており、グーグル、アップル、アマゾンなどを反トラスト(独占禁止)法違反で次々と起訴している。そうした企業を念頭に、M&A(企業の合併・買収)審査の厳格化も打ち出されている。バイデン大統領は2023年12月、人工知能(AI)の安全性確保やプライバシー保護を求める行政命令に署名した。ハリス氏も、「便乗値上げ禁止」(「上」を参照)からうかがえるように、基本的に巨大企業の独占的地位の乱用を厳しく取り締まる姿勢だ。
対するトランプ陣営は、バイデン大統領が出したAIに関する行政命令を撤回すると約束。競争政策もより穏当なものとなる可能性が高い。ただし、FTCによる巨大IT企業締め付けに対しては、共和党議員の中にも副大統領候補のバンス氏を始めとして多くの支持者がいる。トランプ政権が誕生しても大きな流れは変わらないかもしれない。
どちらが大統領になる場合でも、ねじれ議会では、減税にせよ、関税率引き上げにせよ、選挙戦下での主張がそのまま実現する可能性は低い。とはいえ、与党が上下両院の多数を占めることも十分に考えられ、そうした事態に何が起こるのかを想定しておく必要はある。
しかし、それぞれの候補が掲げる政策の経済へのインパクトを見積もることは、現時点では非常に難しい。財源を含めて不明な点が多過ぎるからだ。有力シンクタンクなどの推計も、どのような前提を置くかで大きな違いがある。そうした中でもある程度共通した見方は、以下の三つだ。
第1は、いずれの候補の政策も財源の裏付けが十分ではなく、財政赤字の拡大により連邦政府債務の膨張を招く可能性が高いことだ。ペンシルベニア大学ウォートン校の「予算モデル」によれば、両候補の政策により向こう10年で増える財政赤字は、トランプ氏が5.8兆ドル、ハリス氏も1.2兆ドルだ(注3)。これだけの赤字予算が議会をそのまま通過する可能性は、与党が両院を支配するとしても低いだろう。
トランプ、バイデンと政権が2代にわたって極めて拡張的な財政政策を続けた結果、米国の財政状況は抜き差しならぬほどに悪化している。次期大統領はこうした負の遺産に向き合う必要がある。
第2は、トランプ氏の政策はインフレを加速させる可能性が高いということだ。財源の裏付けがない中での拡張的な財政は、需要を押し上げて価格上昇につながる。関税引き上げが国内の物価に転嫁されるであろうことは既に述べた。さらに移民の強制送還を強行する場合も、労働力不足がインフレをもたらす。
第3に、連邦債務の拡大やインフレ率の上昇といった懸念は、金利上昇や為替相場のドル高をもたらすと考えられている。トランプ氏が勝利する場合には、その蓋然(がいぜん)性が高まるだろうが、そのトランプ氏は金利高とドル高嫌いを公言している。連邦準備制度理事会(FRB)に対し利下げを求める圧力が強まるだろうが、FRBは強い独立性を有している。次期大統領が任期中に指名できる本部理事のポストも2人だけだ(注4)。
トランプ氏が「議長の罷免」「中銀法の改正」などを試みれば、金融市場の動乱は避けられない。ドル高阻止のために資本規制を導入することにでもなれば、投資を始めとしてあらゆる企業活動が萎縮することになろう。
今回の米大統領選は大接戦であるがゆえに、どちらの候補もポピュリスト的な政策アピールに傾斜している。「米国第一」をストレートに掲げるトランプ氏は言うまでもなく、ハリス氏にしても国内優先の姿勢は明確だ。それでもハリス氏が、日本やEUなど同盟国との連携を指向し、米国が先頭に立って構築してきた戦後の国際経済秩序を尊重しようとするのに対し、トランプ氏はそれを無視するのみならず、崩壊させることも厭(いと)わない。保護主義が際限なく進んでいった後に何が起こり得るかは、歴史が示すところだ(注5)。
今回の大統領選挙では、自由で公正な経済の守護神であった米国の良心が問われている。今年6月、16人のノーベル経済学賞者たちは、「経済の成功を決定づけるのは、法の支配と政治経済の安定である」「国際秩序を尊重し、他国と正常で安定した関係を保つことは、米国にとって不可欠だ」と記した異例の書簡を連名で発出している(注6)。
米国の存在が、自由で公正な経済を通じて安定や繁栄をもたらすのではなく、不確実性や不安をもたらすものとなれば、世界にとって大いに不幸な事態と言わざるを得ない。
トランプ氏 | 争点 | ハリス氏 |
すべての輸入品へ一律10~20%、対中国は60%、米国より高い関税の国はその分報復関税、EU・メキシコの自動車輸入へ関税 |
関税 |
バイデン政権下の関税を維持 |
2022年「インフレ抑制法」を撤回 |
産業政策(補助金等) |
バイデン政権下の政策を維持 |
減税(現行20→15%へ) |
法人税 |
増税(20→28%へ) |
環境分野などで規制を緩和、パリ協定から離脱、AI規制を撤回 |
規制、競争政策 |
バイデン政権の政策を維持、巨大IT企業の独占的地位の乱用を厳しく取り締まり |
ビジネスに関連する政策比較(出所)各種報道
トランプ氏は大統領の在任中に3人の連邦最高裁判事を任命した。現在、9人の判事のうち6人が共和党大統領の任命による保守派である。ちなみに米国では連邦最高裁判事に定年はない。最近の連邦最高裁は、中絶の合法性を否定するなど過去の判例を覆す保守的な判断を次々と下している。行政機関の規制権限についても否定したり、縮小したりする判決を出している。そのインパクトは大きく、大統領選後の行政にも影響しそうだ。
EPA、FTCなど行政機関は、既存の法律の範囲内で規制の権限を有するが、そこには解釈の余地が存在し、しばしば妥当性が争われる。電力会社に対する温暖化ガス排出規制をめぐって、ウェストバージニア州などがEPAを訴えた裁判で、連邦最高裁は2022年6月、「重要問題法理」に基づきEPAの規制権限を否定する判決を出した。(注7)。
この法理は、「経済的・政治的に重大な問題への対処では、『明確な議会の委任』が無ければ行政機関に権限は認められない」とするもので、従来から存在した法理論だが、連邦最高裁の判決文に初めて明記された。お墨付きが与えられた形で衝撃を与えた。
さらに今年6月に連邦最高裁は、「シェブロン法理」を覆す判断を下した(ローパー・ブライト判決、注8)。同法理は、「法律が曖昧である場合、その解釈は専門知識を有する行政機関に委ね、それが合理的であれば司法は異を唱えない」というものだ。1984年の連邦最高裁判決(シェブロン対天然自然保護協議会)で示されたもので、以来1万7000件以上の判決で採用され、行政機関の規制策定において、よりどころとなってきた。
それが撤回された今、誰が大統領となるにせよ、これまでと比べて自由度が失われるとの見方がある。その一方で、法廷に判断が持ち込まれる場合、連邦最高裁では保守寄りの判断が下される可能性が高いだろう。
(注1) 最恵国待遇とは、特定の相手国に関税の引き下げなど最高の条件を付与した際は、他の加盟国にも同様の条件を適用する決まりである。世界貿易機関(WTO)が定める無差別の原則を構成する要素の一つであり、中国のWTO加盟を受けて米国では「恒久正常通商関係(PNTR)法」により明記されることとなった。
(注2) Amiti, M., Redding, S.J., and Weinstein, D., "The Impact of the 2018 trade war on U.S. prices and welfare", NBER Working Paper 25672, March 2019.など多数。
(注3) University of Pennsylvania, Wharton, Budget Model, "The 2024 Harris Campaign Policy Proposals: Budgetary, Economic and Distributional Effects", published on August 26, 2024. なお、Bloomberg社は9月4日の"Trump Tax Cuts Would Cost More Than Almost All Federal Agencies"と題する記事で、トランプ、バンスの両氏の発言をすべて実現する場合、10.5兆ドルが必要となると試算している(対するハリス、ウォルツ氏の政策は2兆ドルとの推計)。
(注4) 本部理事(全7名)の任期は、エイドリアン・クーグラー氏が26年1月、ジェローム・パウエル氏が28年1月までとなっている。なお、パウエル氏のFRB議長としての任期は26年5月までである。FRBの議長、副議長、理事は、大統領が上院の同意を得て任命する。金融政策を決定する連邦公開市場委員会(FOMC)のメンバーは、本部理事に加えて地区連銀総裁(NY連銀+4地区連銀の輪番)の12名から構成される。
(注5) 自由貿易の意義については、当研究所ホームページ掲載の本年7月2日付拙稿「今こそブレトンウッズの原点に~国際協調を諦めるな」を参照されたい。
(注6) George A. Akerlof (2001), Sir Angus Deaton (2015), Claudia Goldin (2023), Sir Oliver Hart (2016), Eric S. Maskin (2007), Daniel L. McFadden (2000), Paul R. Milgrom (2020), Roger B. Myerson (2007), Edmund S. Phelps (2006), Paul M. Romer (2018), Alvin E. Roth (2012), William F. Sharpe (1990), Robert J. Shiller (2013), Christopher A. Sims (2011), Joseph E. Stiglitz (2001), Robert B. Wilson (2020), "Sixteen Nobel Economists Sign Letter About Risks to the U.S. Economy of a Second Trump". 書簡に日付は記載されていないが、報道では6月25日に発出されたとされる。
(注7) West Virginia et al. vs. Environmental Protection Agency et al., No. 20-1530, Supreme Court of the United States., June 30, 2022.
(注8) Loper Bright Enterprises et. el. vs. Raimondo, Secretary of Commerce, et al., No. 22-451, Supreme Court of the United States., June 28, 2024. なお、シェブロン法理の撤回を受けて今後、規制の有効性を巡る訴訟が激増する可能性があるが、裁判所が捌ききれず、審査が滞留する可能性がある。また、現在の連邦最高裁判事の構成を踏まえると、環境、公衆衛生、消費者保護、労働などの分野を中心に保守的な判断が示される可能性も高い。
竹内 淳