2023年10月04日
地域再生
編集長
舟橋 良治
「大洲はあぐらをかき、努力を怠っていた」―。こう語るのは、2018年に設立された愛媛県大洲市の観光地域づくり法人(DMO)「キタ・マネジメント」(キタM)の髙岡公三代表理事だ。高度成長期の大洲市は工場誘致に加えて、鵜飼いや臥龍山荘など観光資源にも恵まれ、「何もしなくても食べていけた」。次の時代への努力をしていない中で時が流れていった。
「キタ・マネジメント」の髙岡公三代表理事【7月18日、大洲市】
その結果、大型観光バスで乗り入れて、臥龍山荘などを1~2時間でめぐった後にお土産を買って帰るのが普通の姿になっていた。これでは地域が得る観光収入は微々たるものだ。
近年は多くの地方で過疎化、少子・高齢化が深刻化し、人口が減少している。大洲市も例外ではない。歴史的な町並みや風情がある古民家は維持が難しくなり、空き家や空き店舗が増加していった。
所有者が高齢化して維持費がかかる建物の保存をあきらめ、更地にして売却する事例が増えた。
今はUターンして再生した古民家でオーガニックタオルなどを扱う「OZU+」を営む山鬼育子さんは「町が寂れていた時期は、和菓子『志ぐれ』屋が数件あるだけで夜は暗く、怖いくらいだった」と高校時代を振り返る。
改修した古民家で「OZU+」を営む山鬼育子さん【7月17日、大洲市】
歴史的な町並みが消えていくのが不可避で、2017年には代表的な古民家群の所有者などから取り壊しの話が出されるなど、城下町としてのアイデンティティーが失われそうになる。
空き家だった改修前の古民家【19年10月、大洲市=キタM提供】
そんな状況に歯止めをかけようと大洲市などが町並み保存に向けた研究や調査を進めた。従来は、町に誇りを持って「住みながら残す」を主眼にした公的支援が一般的。居住者への補助金などによって建物の外観を修復・維持する。
こうした手法で修復した町家・古民家などの活用は見学など一般公開が多いが、見学は今の時代のニーズに合わず、収入も限定的。建物の維持管理を賄うには不十分だ。
また大洲市の場合、既に空き家で所有者が市外、場合によっては県外に居住しているケースも多いため、「オーナーが住みながら建物を保存する」のは現実的でない。単なる保存ではなく、観光客をターゲットとしたホテルや店舗などとして古民家を改修、事業者に貸し出して町の発展につなげる手法が採用された。
改修した古民家の町を楽しむ観光客【7月17日、大洲市】
実現に向けて大洲市は2000万円を出資して一般社団法人「キタM」を設立した。地元の伊予銀行などと連携し、空き家となっていた古民家の利用が本格的に動き出した。ちなみに、「キタ」は明治期に木蝋貿易で成功した大洲出身者らの「喜多組」にちなんだ名称という。
古民家の再生は観光客の誘致戦略と連動して進められた。整備するホテルの利用ターゲットとして、欧米豪の旅慣れた知的旅行者を設定している。シンガポール、香港などアジアの富裕層の獲得も狙い、そうした旅行者の視点を意識して町の価値を高める形の改修を目指した。
改修前の古民家(左)【キタM提供】ホテルに改修された古民家(右)【7月17日、大洲市】
古い町並みは海外からのインバウンド旅行者に人気があり、外国人旅行者の趣向に合った改修を図っている。改修は「往時の姿を再現」を第一に施すが、単に美しく再現するのではなく、歴史的な風合いを意図的に残している。「歴史的風致」と言い、例えば年月を経てできた変化やきず、老朽化した風合いをあえて残すなどして歴史、別な言い方をすれば古さを感じ取れるようにしている。
外観はこうした「歴史的風致」を意識して改修しながら、屋内は現代の水回りに換えるなど快適さを重視する。
また、建物の一部もしくはすべてが失われていても、景観的に象徴的な意義があったり、住民が懐かしさを覚えるなど建物の存在自体に意義があったりする場合は、復元を通じてかつての姿を再現している。修復工事の進め方、施設の運営手法も従来とは少し趣を異にする。その仕組みは、こんな具合だ。
古民家を改修したホテルのバスルーム【7月18日、大洲市】
キタM設置の株式会社KITAが、大洲市の定めた「肱南エリア」にある歴史的建造物を所有者から借りるか買い取った上で、観光・商業的な活用を前提に改修する。このためオーナーの負担はなしで済み、賃貸収入などが入る。
改修費は最大3分の2について国や市の補助金を活用。官民連携で補助金を使うため一般への公開も求められるが、歴史的な古民家はかつて1階が商店、2階が住居として使われていたケースが多い。立地や建物の性格に応じて、①住宅はホテル②店舗はレストランやショップ③倉庫などはホールやホテル―などとして事業者に賃貸し、KITAは施設管理を担っている。
「知名度を上げるため何か面白いことを」「お城に泊まれないかなー」―。愛媛県大洲市の古民家を改修した高級ホテルのオープンを翌年に控えていた2019年、復元した大洲城天守閣での宿泊サービス「城泊」のアイデアが知名度アップの起爆剤として議論されていた。
古民家ホテルは全国にあり、「知名度が低い大洲には誰も来てくれないのでは...」との懸念があった中、城泊ならば全国初で注目を集められる。町の活性化を議論していた官民連携チームは、大いに盛り上がったという。
大洲城【7月17日、大洲市】
しかし、実現にはさまざまなハードルがあった。大洲城の天守は1596~1614年(慶長年間)に建てられたといわれる。老朽化のため1888年(明治21年)に解体されたが、四つの櫓(やぐら)は元のまま残されており、市民に親しまれてきた。天守の復元は1994年に検討が始まり、2004年に完成したが、木造で復元された四層四階の天守は戦後初だった。
大洲藩作事方棟梁の中野家に天守の木組模型が残されており、明治期に撮られた写真があったことも幸いした。復元には13億円かかったが、市民からの寄付が5億円、木材の現物寄付も4億円強が集まっている。市民の想いが集まった「俺たちの城」という意識が強く、城泊に対して「(古民家ホテルを経営する)大阪の会社がわしらの城で何しよんぞ!」と反対の声があがった。住民への説明会は延べ50回に及び、運営会社の社長が市議会に呼ばれている。「まるで証人喚問のようだった」(当時を知る関係者)という。
天守復元の大きな手がかりとなった木組模型【大洲市指定文化財、市立博物館蔵】
2020年に初の宿泊客を受け入れると「全国的に評判となり、雰囲気が変わった」(関係者)。
城泊は1泊2人で100万円(税別、最多6人)から。冷暖房設備がないこともあって、利用できるのは春と秋の年計30泊まで。今年3月までに18組94人が利用している。
滞在できるのも城の一般公開が終わる午後5時から翌朝9時までだが、火縄銃の鉄砲隊による"城主"の出迎えと実演。城内での神楽の鑑賞などが含まれている。このほかオプションで花火を打ち上げたり、宿泊に併せて結婚式を行ったりするサービスも可能だ。
大洲城に用意される寝室【2019年 11月、大洲市=キタM提供】
宿泊料金の2割は鉄砲隊や神楽の保存会など伝統文化・芸能の継承費に充て、約1割を文化財の使用料として大洲市に還元している。見る文化財から使用する文化財への転換とも言え、古民家の活用と同様に持続的な保全に向けた一つの考え方と位置付けられる。
大洲城の宿泊客にも演じられる神楽(左)【2019年 11月、大洲市=キタM提供】大洲城に宿泊する"城主"を出迎える鉄砲隊(右)【2019年 11月、大洲市=キタM提供】
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舟橋 良治