気候変動時代に生きるには

 今年は全国各地で尋常ではない「秋の長雨」に見舞われた。長雨と言えばシトシト降るのが定番だが、ザーザー、ゴーゴーと滝のような雨が降り注ぎ、千葉県のように繰り返し深刻な洪水被害を受けた地域もある。まさに「異常気象」である。ただ、最近の気候変動を単なる「異常」と片づけてよいのだろうか。心にふと浮かんだ疑問について考えたい。

 豪雨や猛暑など、異常気象を考える出発点となるのが、地球温暖化である。気温が上がると海から発生する水蒸気は増え、大量の雲ができる。一部は台風などになり、豪雨や暴風をもたらす。実際、今年はたくさんの台風が発生し、台風から流れ込む湿った空気で秋雨前線が活発化し、想定をはるかに超える大雨が同じ場所に降り続ける線状降水帯が各地に発生した。

 一方、欧州などでは今夏、カンカン照りが続いて過去に例のない猛暑・熱波となった。草木は乾燥し、山火事も相次いだ。このほか、ネパールと中国の国境地帯では、気温上昇による氷河の崩落が発端とみられる大規模な土石流で多数の犠牲者を出した。温暖化が引き金とみられる自然災害は、一段と甚大かつ多様になっている。

 ただし、気象現象のメカニズムは極めて複雑だ。日射量や水蒸気量、気圧配置などに加え、はるか上空を流れる偏西風の蛇行や、南米ペルー沖の海水温が上昇するエルニーニョ現象など、数えきれない要因が影響している。時間軸をもっと長くとると、太陽黒点増加の影響や、極寒の氷期と温暖な間氷期を繰り返す気候変動の長期周期など、さまざまな要因が絡み合う。

 その複雑さゆえに、異常気象に関する現状認識や原因には判然としない部分が残る。そのあいまいさを逆手に取り、次のような言説がSNSなどでまことしやかに流布されている。

 「地球温暖化で気候変動が起きているというのはフェイク(偽情報)だ」「二酸化炭素(CO2)排出量を削減しても意味はない」

 確かに気象現象は複雑だが、近年の異常気象の出発点に地球温暖化があり、影響を与えていることは、気象の専門家の間でおおむね一致した見解である。地球温暖化の影響が「フェイク」だと示すエビデンス(証拠)は乏しい。さらに、一つ一つの気象災害に地球温暖化が影響しているかいないか論じている猶予などない。その間にも災害は起き、多くの命が失われている。不毛な論争に終止符を打ち、温暖化防止と気候変動への対処に全力を挙げるべきだ。

 異常気象という言葉にも、やや違和感を覚える。例えば千葉豪雨の被災者の中には、「異常」が「常態化」してしまったと感じた方もいるだろう。想定外の不幸な出来事と片付けるのではなく、いつでも起こり得る「差し迫った危機」と受け止めるべきではないか。

 例えば千葉豪雨の被害をもたらした線状降水帯が、ほんの十数キロ西側に発生していたら、都心を含む東京都東部は大きな被害を受けたかもしれない。多数の自動車や住宅、コンビニまでもが水没した豪雨被害は、都民にとって決して「対岸の火事」で済ませられる問題ではないのだ。

 電気も水道もガスも途絶し、トイレやお風呂も使えない。当たり前の日常生活が破壊されるリスクは、自分にも迫りつつあると考えた方がいい。何もせず災害におびえて暮らすのも、「私は逃げ切れる」という根拠なき楽観論にすがるのもナンセンスだ。新たな気候変動時代に生きていく覚悟を決め、できる範囲の備えを固めることが大切だ。

 それには、防災・減災のインフラ整備を着実に進めるのはもちろん、災害後の経済復興を見据えた準備が欠かせない。早急なサプライチェーン(供給網)の復旧計画の策定や、災害時における友好国との相互経済援助の約束など、事前にやるべきことはある。対策にかかる費用をどう工面するか、国民的な議論が欠かせない。

 こうした対策を支えるのが、われわれ一人ひとりの意識改革や行動変革である。気候変動を他人事とせず、自らの問題として考える。それこそが、気候変動時代を乗り切れる社会を作る第一歩となるだろう。

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帯川 崇