2017年06月23日
最先端技術
研究員
倉浪 弘樹
海水浴シーズンを迎えた。ところが、楽しい海に突如現れる「厄介者」がいる。そう、クラゲである(傘部が海中では月に見えることから「海月」とも表記する)。その代表格のミズクラゲは東京湾だけで毎年50万トンも発生するという。沢山のミズクラゲが浮いていれば、泳ぐのをためらう人も少なくないはず。ましてや、刺されてしまったら大変だ。
ところが、それは筆者の大いなる誤解だった。クラゲから特殊な成分を抽出し、様々な製品を創り出す海月研究所(神奈川県川崎市)の木平孝治社長が次のように教えてくれたのだ。「ミズクラゲが刺すことはほとんどないし、刺されても人はほとんど痛みを感じませんよ」―
株式会社海月研究所 代表取締役社長
1954年生まれ、63歳。広島県出身。京都大学を卒業後、外資系製薬会社に入社。臨床検査分野の技術者として勤務した後、2000年に退職し独立。コンサルティング業務などを経て、2009年に株式会社海月研究所を設立。
(写真)平林佑太
刺されると危険なのは実はカツオノエボシだ。本体は10cm程度でミズクラゲの1/3~1/4程度だが、10m以上の触手を海中で広げている。もし人間が刺されると激痛が走るため、通称「電気クラゲ」と呼ばれる。だが、電気クラゲに刺されても、近くに浮かんでいるミズクラゲを見て「犯人」と勘違いする人が多いらしい。「濡れ衣」を着せられる、ミズクラゲには同情したくなる。
木平氏が創業した海月研究所はミズクラゲやその他の種類のクラゲを原料にしながら、抗菌・保湿作用があるとされる「ムチン」や、美肌効果が指摘される「コラーゲン」を抽出する。ムチンの商品化にはさらなる研究開発が必要なため、現在はコラーゲンを化粧品や研究用試薬などに加工して販売している。クラゲ由来のコラーゲンは、牛や豚などの哺乳類由来のものと異なり、BSE(牛海綿状脳症)などの感染症のリスクも無くて安全性が高いという。
木平氏とクラゲの出会いは12年前にさかのぼる。技術コンサルタントとして活躍していた時、大学の後輩から相談を受けた。理化学研究所の研究員を務めていた彼は「クラゲからムチンを発見したので、事業化を検討したいのですが」というのだ。
その2005年当時、日本海沿岸ではエチゼンクラゲが大量発生していた。毒性が強くて魚類の皮膚を溶かしてしまうため、漁業に深刻な被害をもたらす。木平氏の後輩はその「厄介者」を有効に活用できれば、社会問題が解決できるかもしれないと直感する。
相談を受けた木平氏は、独立行政法人科学技術振興機構(現国立研究開発法人科学技術振興機構)の「大学発ベンチャー創出推進事業」に応募するよう提案した。翌2006年に首尾良く採択され、研究開発費の一部を支援してもらえることに。木平氏も理化学研究所に所属し、後輩と一緒に事業化に踏み出す。そして2009年4月、海月研究所を設立した。
だが、事業化までに幾つもの壁にぶち当たった。最も困難な問題は、コラーゲンやムチンの材料となるクラゲの安定調達だった。クラゲは大量には流通していないため、仕入先を自ら開拓する必要に迫られたのである。前述したようにエチゼンクラゲは大量発生していたが、会社設立直前の2008年に激減。このため、供給量が不安定なエチゼンクラゲだけに頼ることはできなくなった。
そこで木平氏が目をつけたのが、日本全国の沿岸のどこにでもいるミズクラゲ。調査を進めていくと、ミズクラゲが意外な場所に集まっている実態が分かった。それは電力会社の発電所だった。
発電所では、電気をつくる過程で発生する蒸気を冷やすため、海水が利用される。その海水を汲み上げる取水口に、大量のミズクラゲが吸い寄せられて集まるのだ。このため、電力会社は取水口が詰まらないようミズクラゲを回収し、産業廃棄物として処理する。実際、富山県では2016年にミズクラゲの大量発生が原因で発電所が停止する事態が起こっている。
だから電力会社にとって、「厄介者」のミズクラゲを引き取りたいという木平氏の提案は「渡りに船」。一方、木平氏も最大の経営課題だったクラゲ安定調達に目途が立ち、事業は軌道に乗り始めた。
ところが、木平氏は再び難題に直面する。2011年3月の東日本大震災である。原子力発電所の事故によって、ミズクラゲの調達を依存していた東京電力に期待できなくなったのだ。木平氏は気を取り直して調達先の変更を考え、照準を漁師に合わせることにした。
定置網漁で生計を立てる漁師にとっても、ミズクラゲは「厄介者」だったからだ。定置網にはシラスや小イワシに混ざってミズクラゲも入ってしまうため、その重みで網を引き上げられないこともある。ミズクラゲが大量発生すれば、漁師は船を出すことさえできない。そこで木平氏は漁師を集め、「ミズクラゲが多い日は構わず、ミズクラゲを獲ってきてほしい」と依頼した。漁業協同組合の設備を使えば、ミズクラゲの下処理もできる。漁師にもメリットが大きいこの提案は受け入れられ、今では多くの漁協から協力を取り付けている。
最近はミズクラゲに加え、ビゼンクラゲの仕入先も確保した。有明海に面した福岡県柳川市一帯の海域では、食用のビゼンクラゲが生息する。そのクラゲ漁は長い伝統を誇り、競りも行われてきた。木平氏が柳川に通い出してから5年。ようやく最近、地元の企業から協力を得てビゼンクラゲの調達から下処理、輸送までの仕組みを整えることができた。
木平氏に今後の事業の展望についてうかがうと、意外な答えが返ってきた。「売れる商品を作ればそれで良いとは思いません。今の自分の役目は、資源としてのクラゲの価値を高めること。そして、その価値を次の世代につなげることです。それこそ、ベンチャー企業のあるべき姿ではないでしょうか」―。クラゲの安定調達に木平さんが汗を流してきたのは、クラゲを産業として発展させたい、その一心からなのである。
「クラゲの新しい価値は、これからいくらでも生み出せる」―。木平氏がこう力説するように、クラゲ由来のコラーゲンは再生医療などにも応用される可能性があり、海外でも注目を集め始めた。もはやクラゲは「厄介者」ではない。もしかすると数年後には、世界中でクラゲ争奪戦が繰り広げられているかもしれない。
倉浪 弘樹