2017年08月21日
最先端技術
研究員
伊勢 剛
山中伸弥・京都大学教授が2012年にノーベル生理学・医学賞を受賞して以来、人工多能性幹細胞(iPS細胞)が難病を治す「再生医療」への期待が一気に高まった。ただし、技術的な課題も多く、実用化までの道のりは平坦でない。それを待たずとも、工業製品の基幹技術を医療分野に応用しながら、人の命を救う人工臓器の開発が進められている。
一口に人工臓器と言っても、いろいろな種類がある。iPS細胞などを使って人間の体内で再生する高度なものから、学校の理科室で見かける人体模型まで様々だ。
今回紹介するのは、医療機関で手術前のシミュレーションや研修医のトレーニング用に使われる人工臓器モデルである。形状を本物の臓器に似せるだけでなく、メスで切った時の「柔らかさ」といった微妙な感触も求められる。また、臓器に不可欠な中空構造の血管の再現まで必要なケースもある。だが現在、医療機関に提供される人工臓器モデルは十分でないものが多い。
そこでリコーは今まで複合機(MFP)やプリンター用のトナー・インクで培ってきた材料技術を活かし、人工臓器モデルを作る研究開発に着手した。リコー研究開発本部APT研究所の法兼義浩(のりかね・よしひろ)スペシャリストは「その中核となる材料が、独自開発したナノコンポジット・ハイドロゲル。これは水分や無機材料、有機高分子をナノ(十億分の一)レベルで混ぜ合わせたものだ」と語る。
人間の体内では、水分が約60%を占める。水分を多く含む材料を使えば、臓器に近い感触の人工臓器モデルができる。また、無機材料は人工臓器モデルの柔らかさのカギを握る。代表的な無機材料はガラスやセメントであり、その割合が少なければ人工臓器モデルは柔らかくなる。逆に多ければ硬くなってしまう。また、有機高分子は水分と無機材料をつなぎ合わせる役割を果たす。リコーはこうした材料の配合割合を精密に制御しながら、柔らかさを自由に設定できる人工臓器モデルの製造技術を確立した。
(写真)リコー研究開発本部APT研究所提供
この材料技術に加え、リコーはMFPのインクジェット(ノズルからインクを吹き飛ばす)技術を活用し、3Dプリンターを使って3次元構造の人工臓器モデルを開発した。その結果、困難とされていた中空構造の血管モデルも作れるようになった。
(写真)リコー研究開発本部APT研究所提供
リコーが医療分野で人工臓器モデル向けなどの材料開発を進めていく上で、医療機関との連携は欠かせない。例えば、名古屋大学医学部放射線医学教室と協力し、カテーテルを挿入できる血管モデルの開発を行い、手術前のシミュレーションや若い医師の訓練へ役立てようとしている。名大からは、「従来では作成が難しかった細いカテーテル(マイクロカテーテル)を挿入できる血管モデルであり、脳や腹部の血管内手術の訓練・シミュレーションにも使えるのではないか」といった評価を受けている。
オフィスで生まれた技術が医療現場で人の命を救う。そんな時代が間近に迫る。先入観にとらわれず、柔らかな頭で柔らかな人工臓器モデルを...。法兼スペシャリストをはじめ、リコー技術陣の夢は果てしなく広がる。
伊勢 剛