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ストレスの見える化で健康に

=画像技術で疲労大国に挑む=

2018年08月24日

最先端技術

研究員
伊勢 剛

 ストレスや疲労は自分でも気付きにくい。ほかの人に分かってもらうのはなおさら難しい。疲れた状態がしばらく続くと心や体の病気につながる場合が多い。こうしたストレスや疲労を測定し、見える化できる技術をリコーが開発した。

 疲労の測定には汎用のカメラを使う。顔を撮影し、画像の色を解析すると、脈拍の間隔を高精度で計測できることが分かったのだ。

 この色解析はリコーの主力商品である複合機(MFP)やプリンターで培った技術を活用している。きれいにカラー印刷ができているか評価する技術を顔色の解析に応用したのだ。

 脈拍間隔のゆらぎが分かると、自律神経のバランスを導き出せることはよく知られている。自律神経とは、自らの意思に関係なく体の機能を調整する神経だ。血管や内臓の動きはこの自律神経が支配している。自律神経には心身を緊張させる交感神経と、リラックスさせる副交感神経の2種類がある。この二つのバランスの乱れがストレスや疲労に大きく影響しているのだ。そのバランスの乱れから、疲労度が見える化できる。

20180801_01.JPG疲労計測システムの撮影シーン
(提供)リコー研究開発本部APT研究所

20180801_02.jpg疲労計測システムの画面イメージ
(提供)リコー研究開発本部APT研究所

 今回、世界で初めて医学的なデータに基づいて、カメラで疲労度が分かる技術を確立した。ポイントは非接触で疲労度を測れるということだ。従来は指先でセンサーに触れたり、シート状のセンサーに座ったりして脈拍を測定していた。身体に触れなくても測れると、これまでなかった利用方法が見えてくる。

 最初に想定している利用シーンはトラックなどの運送事業者による乗務前点検だ。法令では、交通事故撲滅のため乗務者のこうした点検が定められている。この点検項目の中には、酒気帯びの有無などに加えて健康状態の確認がある。

 酒気帯びの有無はアルコール検知器で確認できる。しかし、睡眠不足や疲労などについては管理者が運転者の様子を目で確認しているのが現状だ。この疲労度を客観的な数値で示せれば、点検の効果が高まり、作業の効率化もできる。

 リコーは現在、いくつかの運送事業者と実証実験を進めている。客観的な判断がしにくい疲労度の判定は、大きなメリットがあると評価されている。カメラの前に座るだけで計測できる点も、乗務員の計測の手間が少ないため評判がいい。

 しかし、開発を進めていくうえで課題も見つかった。例えば、測定に2~3分かかる点だ。乗務前点検にはたくさんの項目があり、疲労の確認にあまり時間を割くことができないのである。

 この点について、システムの開発責任者、リコー研究開発本部APT研究所の船橋一樹スペシャリストは、「ノイズ信号の低減や解析アルゴリズムの改善で解決への道筋は見えてきた」と話し、測定時間短縮に向けて開発を進めているという。

 この研究に欠かせないパートナーが理化学研究所だ。同研究所の「健康生き活き羅針盤リサーチコンプレックス推進プログラム」では、将来にわたり健康で前向きな人生を送るうえでの「羅針盤」の提供を目指している。100を超える地方自治体や大学・研究機関、企業と連携。異分野融合による最先端の研究開発や成果の事業化、人材育成を一体的に展開している。

20180801_03.jpg理化学研究所・融合連携イノベーション推進棟(神戸市)

 同プログラムで融合研究推進グループ健康計測解析チーム/新規計測開発チームを率いる水野敬チームリーダーに、理化学研究所の技術の特徴や異分野融合イノベーションについて聞いた。




20180801_04.jpg水野 敬氏(みずの・けい)

 理化学研究所健康生き活き羅針盤リサーチコンプレックス推進プログラム 健康計測解析チーム/新規計測開発チーム・チームリーダー
 大阪市立大学大学院医学研究科 疲労医学講座・特任准教授、大阪市立大学健康科学イノベーションセンター・センター副所長
[経歴]
2007年大阪市立大学大学院博士課程修了、博士(医学)。
2004年日本学術振興会・特別研究員、2009年理化学研究所分子イメージング科学研究センター・研究員、2013年理化学研究所ライフサイエンス技術基盤研究センター・基礎科学特別研究員、2016年より理化学研究所生き活き羅針盤リサーチコンプレックス推進プログラム・副チームリーダー、2017年より現職


水野チームリーダーインタビュー

 ―疲労に関する研究に長年取り組んでおられますが、理化学研究所での研究の特徴を教えてください。

 世界最先端の脳科学の研究から、世界で初めて疲労のメカニズムを解明したことが一番の特徴です。実は日本は疲労大国で、日本人のおよそ4割が慢性疲労といわれています。疲労大国であるがゆえに、疲労の研究も世界をリードしてきました。

 もう一つの特徴は疲労メカニズムだけでなく、疲労を改善する解決策も研究していることです。多くの製薬会社や食品会社と連携し、効果がある薬や食品などを開発してきました。少し変わった研究では、住宅メーカーと協力し、どのような家に癒やし効果があるか、暖炉やペレットストーブの火が疲労回復に役立つか―なども調べました。

 疲労を計測するシステムや疲労回復に効果がある製品を開発しても、医学的なデータで裏付けることが重要です。これには実際にヒトの状態を計測する必要があり、私たちはその役割も担っています。昨年度の健康計測臨床試験では720人が参加しました。そこで得られたデータは医学的に信頼性があると認められ、新しい製品やサービスの開発に使われています。

 ―異分野融合イノベーションの良い点、難しい点を教えてください。

 さまざまな業種の企業と連携していると、私たちには思いもつかないようなアイデアや提案をいただくことがあります。ペレットストーブに疲労回復や癒やし効果があるという研究は私たちだけでは想像もできませんでした。

 難しい点は研究機関が学術的に知りたいことと、企業が事業的に知りたいことの間にズレが生じる場合があることです。これは連携を進めていうえではある程度仕方のないことで、議論を重ねて解消していくほかないと思います。研究員の確保も課題です。共同研究の話を多くいただくのですが、予算や研究員の雇用期間の問題などがあり、対応に限界があります。

 リコーとの共同開発は順調に進んでいます。この中では、私たちの研究から分かった自律神経バランスの乱れと疲労との関連性を指標として活用しています。また、優秀な研究者に担当していただいているので、データ解析などには自発的に取り組んでもらっています。結果についてのコメントや議論に多くの時間を割くことができ、とても楽しいです。

 ―今後の展開や夢などを聞かせてください。

 現代医療では、病気の人を治療することに重点が置かれてきました。しかし、これからは病気が発症する前の段階で予防する考え方が重要になります。慢性的に疲れている「未病」の段階で手を打てば、「生き活き」とした健康な人生を送れるはずです。

 リコーとの共同研究テーマも非常に興味深く、「未病」状態での健康把握に役立つと期待しています。現在は目を閉じて静かにしていないと疲労度が計測できません。しかし将来は、目を開けたり動いたりしていても計測できるようになると思います。そうなると生活の中で広く使われるに違いありません。

20180801_05.jpg共同研究を進めている理化学研究所の水野氏(右)とリコーの船橋氏

インタビューを終わって

 リコーの船橋氏は「動きながら計測できると、リコーの主なお客様であるオフィスなどで働く人向けのシステムに展開できる」と語る。

 例えば、在宅勤務者向けのストレス・疲労計測システムへの応用が考えられる。ノートパソコンのカメラなどを使えば、簡単に疲労度が計測できる。在宅勤務では、上司が部下と顔を合わせる機会が減り、ストレスや疲労の把握が難しくなる。システムが実用化されれば、在宅勤務者と管理者の双方にメリットがあるだろう。

 理研の水野氏は、超小型カメラがメガネに内蔵されると、生活している長い時間、疲労度が計測できると指摘。「どのようなデータが取れるのか医学的にもとても楽しみだ」と実現に期待する。

 当面は運送事業者による利用など、ニーズが明確な利用シーンに向けて商品化を進めることが大切だ。しかし、それだけでは大きな夢を持つことができない。その技術が持つあらゆる可能性を想像しながら、パートナーやお客様と協業して研究開発を進めていくことが重要だろう。

(写真)提供以外は筆者 RICOH GR

伊勢 剛

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※この記事は、2018年6月29日発行のHeadLineに掲載されました。

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