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そそられて行動が変わる

=新たな学問「仕掛学」をご存知ですか?=

2019年04月23日

最先端技術

研究員
新西 誠人

 ある大学の一室。足を踏み入れると、本棚に収められた数冊のファイルボックスの背表紙に、赤い斜線が一直線に引かれているのが目に留まった。また部屋の片隅には、不釣り合いなバスケットボールのゴール。その下にはメッシュ状の鉄製のくず籠が据えられていた。

20190423_01.jpg揃えたくなるファイルボックス
(提供)大阪大学大学院経済学研究科

 ここは、大阪大学大学院経済学研究科・松村真宏教授の研究室だ。松村教授は、人間の行動を仕掛けを使って変える新たな学問「仕掛学(しかけがく)」の提唱者である。タネを明かすと、赤い斜線はファイルボックスを順番通り並べてもらうための仕掛け。「職場で『きれいに並べましょう』と張り紙で呼び掛けても、効果が無いかもしれません。でも斜線を引くと、順番違いの乱れが気になるので、みんな一直線になるように並べたくなるのです」―

 バスケットボールのゴールも、狙いを定めてゴミを捨てたくなるように仕掛けたもの。ゲーム感覚をとり入れたことで、周辺に落ちているゴミをわざわざ拾う、あるいはゴミをかき集めてシュートを決めたくなるかもしれないと言う。松村教授によると、仕掛けとは「人の行動を変えるためのきっかけ」。さらに重要なのは、「人々に選択肢を与える」ということだ。

 つまり、人を知らず知らずにある行動に誘導するのではない。仕掛けに気付いてもらった上で、それに「そそられて」行動するかどうかは、各人の意思に任されるのだ。

 松村教授が挙げる仕掛けの要件は①公平性(=仕掛けによってだれも不利益を被らない)②誘引性(=行動を誘うのであり、行動変容を強制しない)③目的の二重性(=仕掛ける側と仕掛けられる側の目的が異なる)―の三つがある。

20190423_02.jpgゴールの付いたくず籠

 行動経済学を知る人ならば、2017年にノーベル経済学賞を受賞した米国シカゴ大学のリチャード・セイラー教授らが提唱する「ナッジ」を連想するかもしれない。ナッジとは英語で「ひじで軽く突く」という意味。強制することなく、自発的に人々の行動を変容させるアプローチである。

 松村教授によると両者の最大の違いは仕掛学が自分の意思で選択するのに対し、ナッジは人間の惰性やバイアスを利用し、知らない間に行動を変えてしまうことだという。前述のように、仕掛けはパッと見て分かるからこそ、「そそられる」わけであり、逆に一目で分からないものは仕掛けとしては失敗作なのだ。

 では実社会で、仕掛学はどのように応用できるのだろうか。例えば、子どもの手を消毒させたいとしよう。松村教授の研究室で考案したのは、ライオンの口に手を入れると消毒液が出てくる装置。大阪市にある天王寺動物園の100周年(2015年)に合わせ、段ボールで作成したライオンの顔を動物園の入口に設置したのだ。

 すると、最初に口の中に手を入れた子どもは「ライオンにツバをかけられた!」と大騒ぎ。それを聞きつけてどんどん集まり、手の消毒が進んだという。ライオンの口の下には「勇気の口」と書かれているが、これは大人へのメッセージ。「勇気があるならば手を入れてみな」と挑発し、大人の手も消毒させる仕掛けなのだ。

20190423_03.jpg消毒液が出るライオンの造形

 この結果を受け、松村教授は同様の仕掛けを大阪府吹田市にある大阪大学医学部附属病院の入口に期間限定(2018年10〜12月)で設置した。こちらはイタリアのローマにある「真実の口」を模したもの。「真実の口」設置前は消毒液の利用率はたった0.5%。だが設置後は、一時20%にまで上昇した。効果のほどが知れ渡ったため、他の病院からの引き合いもあるという。

 こうした仕掛けによって変化した行動は、仕掛けを取り除いても習慣付けられるものなのか。

 ある会社では、社員の健康増進のために自転車通勤を奨励し、一時的に高価な自転車を貸し出したという。すると、一部の社員からは「車体が軽くてペダルも軽快なため、快適に漕ぎ続けることができた」と性能の高さを絶賛する声が続出。ダイエット効果もあり、自ら自転車を購入して今も通勤に使っている人が多いという。仕掛けがきっかけで習慣化が実現したケースといえるだろう。

 さらに一歩進めて、仕掛けを街づくりに組み込めば、効果は絶大かもしれない。実際に導入を計画しているのが、肝臓がんの死亡率で全国1位の佐賀県。その原因は運動不足とされる。このため県は健康増進を目指し、JR佐賀駅前の再開発で仕掛けを使って歩きたくなる街づくりを検討。松村教授はアドバイザー役として参画している。

 今後、仕掛学が発展するためにはどうすればいいのか。松村教授が説くのは積み重ねの重要性だ。「仕掛ける側が仕掛けられた側の行動や反応を見て、改善したり新たな仕掛けを試したりする。こうした試行錯誤を進めることで、全く新しい仕掛けのアプローチも生まれてくるでしょう」と語る。

 仕掛学を学問として認知してもらうことも必要不可欠だ。このため松村教授は、若い世代に仕掛学を広める活動も精力的に行っている。例えば、地元の大阪府豊中市を巻き込んで小学生の夏休みの宿題に仕掛けを入れるという。

 松村教授は「社会的なしがらみの少ない若い世代が仕掛けに出会い、その有用性に気付けば、われわれが思いもつかない自由な発想で仕掛けを考えるかもしれない」と期待する。「小、中、高の総合学習の時間で、社会問題の解決に仕掛けを用いようと考える人も出てきた」と笑みを浮かべる。実際、松村教授の主催する「仕掛学研究会」では高校生の発表もあり、着々と若い世代が育ち始めた。将来、どのような仕掛けが花開くのか、今から楽しみだ。




20190423_04.jpg松村 真宏氏(まつむら・なおひろ)
 大阪大学大学院経済学研究科教授。1975年大阪生まれ。大阪大学基礎工学部卒業。東京大学大学院工学系研究科博士課程修了。博士(工学)。
 2004年大阪大学大学院経済学研究科講師、2007年同大学准教授。2017年現職。2004年米イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校客員研究員、2012~2013年米スタンフォード大学客員研究員。専門は仕掛学と行動変容の理論と方法。

(写真)提供以外は筆者 PENTAX Q-S1

新西 誠人

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※この記事は、2019年3月29日発行のHeadLineに掲載されました。

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