2020年02月05日
最先端技術
研究員
米村 大介
「量子力学を応用したコンピューター」という概念を1982年に提唱したのは、米国の物理学者リチャード・ファインマン氏である。しかし当時は、実現するかどうか分からない、理論上の「夢のコンピューター」に過ぎなかった。どんな分野で強みを発揮するのかも分からず、実機の開発に取り組む研究者は少なかった。
潮目が変わったのは1994年。米マサチューセッツ工科大学教授の数学者ピーター・ショア氏が素因数分解を現実的な時間で解けるアルゴリズムを発表。その上で、「量子コンピューターが実現すれば、コンピューター通信の安全性を支えている暗号が破られてしまう」と警告を発し、注目を集めたからだ。さらに翌年、ショアは量子コンピューターの理論に欠けていた「誤り訂正機能」を実装する方法を提案。実機の作成に向けて大きく踏み出したことで、量子コンピューター開発の第1次ブームが幕を開けた。
このころ重要な役割を果たしたのが、日本の研究機関に所属する科学者たちだ。1998年、当時NECに所属していた中村泰信・東京大学教授と蔡兆申(ツァイ・ヅァオシェン)東京理科大学教授が量子コンピューターのハードウェアに欠かせない「量子ビット」(量子で情報を扱う際の最小単位)の開発に成功。同年、ニコンの研究者だった古澤明・東大教授も、量子通信や光型量子コンピューターに応用可能な「量子テレポーテーション」(=離れた場所へ量子の状態を送る方法)を実現して世界を驚かせた。
ところが、2000年代に入ると第1次ブームは終息に向かう。量子コンピューターに必要なハードウェアの開発が予想以上に困難だったからだ。基礎技術の研究は細々と行われたものの、「冬の時代」が続く。
再び話題になったのは2011年。カナダのベンチャー企業D-Wave社が、「組み合わせ計算」に用途を限定した「量子コンピューター」(D-Wave One)を突然発表したからだ。ただし、当初は「本当に量子技術を使っているのか」と疑問視する声も少なくなかった。世間で広く「本物」と認められたのは、2015年にグーグルや米航空宇宙局(NASA)が同社と利用契約を結んでからだ。
そして、量子コンピューターの第2次ブームが2014年に始まる。きっかけは、米カリフォルニア大学サンタ・バーバラ校のジョン・マルティニス教授らが非常に安定した5量子ビットの量子チップを開発したことだ。それまでの量子ビットは頻繁に壊れたり、値が書き換わったりといった欠点を解消できなかった。この発明により、困難とみられていたハードウェアの実現性が一気に高まる。
こうした中、開発に乗り出す研究者や企業が徐々に増えていく。2019年に入ると、1月にIBMが世界初の商用・汎用型量子コンピューター「Q」を発売。さらに、グーグルも10月、独自開発した量子チップ「Sycamore(シカモア)」(53量子ビット)により、「スーパーコンピューターが現実的な時間で処理できない計算を短時間で解いた」として「量子超越」の実現を発表した。研究者だけでなく、世間でも量子コンピューターへの関心が急速に高まり始めた。
量子コンピューターの歴史
(出所)リコー経済社会研究所
米村 大介