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1滴の謎を基礎研究から解く!

 インクジェットを東工大と極める―リコー

2024年02月28日

最先端技術

主任研究員
伊勢 剛

 宇宙航空研究開発機構(JAXA)が打ち上げた小型月着陸実証機「SLIM」が1月20日、日本初の月面着陸に成功し、月面生活への大きな一歩となった。将来、月面での生活が一般的になれば、すべてを地球から輸送するのは難しくなる。月で調達できる材料を使い、足りないものは地球から運び、インクジェット技術を生かしたプリンターで食料や衣類、住宅、機械などを作る日が来るかもしれない。

 このような夢のある世界に向けて、リコーと東京工業大学(東工大)はインクの1滴1滴の特性を解析する共同研究を進めている。この共同研究により、オフィスや産業向けプリンターに使われているインクジェット技術の利用範囲を広げ、さまざま製品の開発につなげることを狙っている。

微細な液滴を吐出

 インクジェット技術は微細なインクを吐出し、紙にドット(点)を作って画像を作成。紙質の違いによってもきれいにプリントできるかどうかが変わってくる。年賀ハガキにインクジェット専用があるのはこのためだ。インクの液滴(表面張力でまとまった液体のかたまり)が空気中に噴き出す際の仕組み、対象で起きる蒸発、乾燥、紙などへの浸透といった現象を解明すれば一段と鮮明な画像を生成できる。

 この現象を解明していけば、幅広いシーンに利用が広がる可能性を秘めており、紙以外の布や金属、プラスチック、木材など異なる素材にも印刷できるようになる。 

基礎研究を応用、製品に反映

 リコーはインクジェット特有の現象の解明を進めるため、東工大とタッグを組み、2019年に「リコー次世代デジタルプリンティング技術共同研究講座」を開設した。東工大の担当教員代表は、熱流動や電子機器実装などが専門の工学院機械系、伏信一慶教授。大学の幅広い基礎研究を活用し、次世代の製品開発に生かしてしていくのが共同研究の狙いだ。門永雅史特任教授、加藤弘一特任講師が研究をリードし、リコー共同研究員や学生など約20人が在籍している。

画像1.jpg共同研究講座の学生メンバー【1月25日、東京都目黒区】

粘度の違い

 社会の幅広いシーンでインクジェット技術を生かすための一つのポイントは「インクの変形と流動に関する特性をしっかり解析し、高粘度の材料の挙動などを分かるようにすること」と、リコー先端技術研究所IDPS研究センターの太田善久所長は語る。そのためには、インク液滴の詳細な現象解明が不可欠。同講座で表面張力モデルや流体力学モデル、動的接触角モデルなど基礎研究を応用してインク液滴の分析を進めている。

 具体的には、学術的なモデル解析シミュレーションと実物での実験結果を突き合わせていく。インクの粘度の違いによって液滴の挙動がどのように変わるのかについて、シミュレーションと実験を何度も繰り返していく。

比較図.JPG計算モデル(左)と実際の現象の比較例(出所)リコー共同研究講座(参考文献1)

 同講座の加藤特任講師は「産学連携の新しい課題共創型技術循環モデル(参考文献2)として、大学に実験室を設置して大学の基礎研究と企業の製品開発を橋渡しできるように進めている」と語る。現在期待されている応用の一つは、ペロブスカイト太陽電池の製法にインクジェット技術を活用することだ。

画像2.jpg加藤特任講師【1月25日、東京都目黒区】

1層1層積み重ねる

 ペロブスカイト太陽電池は有機材料で作られているため、発電層の薄型化や太陽電池の軽量化が可能。さらに、シリコン系太陽電池と同じように複数のパネルを接続すれば発電容量の大幅拡大もできる。薄くて軽く、曲げて使用もできるため設置場所が現在よりも大幅に広がることから、太陽光発電の一段の拡大に向けて開発が急がれている。

 リコーが開発中のペロブスカイト太陽電池は、高速で連続印刷するインクジェット・プリンティング・システムで培った技術を応用し、数万カ所のノズルから太陽電池となる材料を吹き付け、これを1層1層積み重ねて太陽電池を作る。太陽電池の材料を含むインクは粘度が高いため、東工大と共同研究しているインク液滴の挙動解析が太陽電池生成に役立つ。これが実現すれば大面積と低コストを両立する革新的な工法になる。

電子を効率よく移送

 インクジェット技術で吹き付けて作るのは、光を吸収してマイナス電荷の「電子」とプラス電荷の「ホール」を発生させる「ペロブスカイト層」と、電子とホールを別々の離れた電極に移動させる二つの「輸送層」であり、ペロブスカイト層が挟まれる形となる。この電子が離れた電極に輸送されたホールに引き付けられて移動する過程で電気が発生するのが太陽電池の仕組みだ。

最後のフロンティアへ

 インクジェット技術は紙以外へのプリント、太陽電池の生成、さらには最後のフロンティアと言われる月や宇宙での活用まで想定した幅広い研究開発が進んでいる。

 重力が地球の6分の1しかない月面における、射出した液滴の挙動は未知数。また低重力下でも微細なインクを強く噴き出す技術の開発が必要になる。当面は、地上における基礎的な液滴の挙動解明を進め、その上でシミュレーションや月面での実験が進んだあかつきに、実現する可能性が出てくる。無限の宇宙の開発に向けて、インクジェット技術が貢献する未来を期待したい。


参考文献1
Riki Kawano, K. Yamazaki, S. Kuramoto, K. Kato, K. Fushinobu, WETTEING BEHAVIOR OF DROPLET ON INCLINED SURFACE, Proceedings of the ASME 2023 International Technical Conference
https://doi.org/10.1115/IPACK2023-111666

参考文献2
産学連携の新しい課題共創型技術循環モデル
https://doi.org/10.1299/transjsme.21-00339

伊勢 剛

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