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ビジネス文書に「文才」は必要?

=読み手の視点に立った気配りを=

2021年09月30日

働き方改革

主任研究員
古賀 雅之

 最近、ビジネスでやり取りする文章の書き方を指南する本の出版や、雑誌の特集が相次いでいる。コロナ禍をきっかけに広がったリモートワークによって、文字を介したコミュニケーションのニーズが一段と高まっているのだろう。

 同僚と離れて自宅で働くようになり、雑談のような気軽さで上司に相談する機会は減ってしまった。チームメンバー同士がちょっとした空き時間を見つけ、打ち合わせをするのも難しい。営業活動をはじめ、社外の人とのやり取りもメールが主になった。そうした環境変化の中で、情報伝達手段として文章を書く機会が増えたのだと思う。

96%の企業が「ビジネスに文章力は必要」

 「漢検(日本漢字能力検定)」でおなじみの日本漢字能力検定協会が2020年に発表した、企業の人材育成担当者を対象とする「社員の文章力に関する意識調査」では、実に96.4%が「ビジネスに文章力は必要」と回答した。

 同じ調査によると、文章力が必要だと思う理由の第1位は「生産性の向上」(67.4%)。企業にとって、リモートワークの生産性がオフィス勤務と比べて高いか否かは大きな関心事なのだろう。リモートワーク中、メールやチャットなどのやり取りでミス・コミュニケーションが発生すると、仕事の効率は大幅に低下する。社員の文章力は、withコロナ時代における生産性向上のカギを握っているのだ。

文章力が必要であると思う理由(n=530、複数回答)

図表
社外や社内におけるコミュニケーションに関して実際に課題として生じていること(n=117、複数回答)

図表(注)リモートワークを導入している会社に対する質問
(出所)公益財団法人 日本漢字能力検定協会を基に筆者

 とはいえ、そもそも良い文章を書くには才能が必要ではないだろうか。名文家とされる小説家やエッセイストには、言葉を自在に操るセンスが生まれつき備わっているとも言われる。筆者自身もある年齢までは、文章の上達に「文才」が必須だと思っていた。

 ライター・コラムニストの佐藤友美氏は文章を書く上でためになる、ちょっとしたテクニックを紹介している(東洋経済ONLINE)。その中で、ビジネス文書については文才がなくても書けるようになると指摘する。ビジネスで求められる「間違っていない文章」と「わかりやすい文章」を書く技術は、だれでもマスターできるというのだ。確かに、文の美しさ自体が価値を持つ文学作品と、情報を誤解なく伝えることが目的のビジネス文書は、全く別物だと考えたほうがよいのかもしれない。

敵機襲来は「多数」でなく「9機」と書け!

 問題は、ビジネス文書などの実用文を書く「技術」を学ぶ場が、意外に少ないということだ。筆者は中学や高校の現代国語で、いわゆる「文章術」を教わった記憶がない。せいぜい、読書感想文を書いて添削してもらったぐらいだろうか。大学でもそうした授業はなかったので、本格的な教育を受けないまま、社会人になったことになる。恐らく、筆者のご同輩も概ね同じかと推察する。

 われわれの世代が文章を書く訓練を受けたのは就職してからだ。筆者は入社間もないころ、議事録の作成を任された。上司に提出すると、しばらくして自分の書いた文章が、「赤ペン」で判読できないくらい修正されて戻ってきた。見ると、「てにをは」まで直してある。そんなことが1度ならず2度、3度と続いた。

 別の上司からは、読み手が短時間で正しく理解できる文章を書くには、読み手の視点に立った気配りが必要だと指導を受けた。文章の一部を箇条書きにしたり、図表を挿入したりといった工夫が重要だというわけだ。中でも、数字を用いて可能な限り定量的に伝えることの重要性を説いた言葉は、腹にストンと落ちた。「あなたが兵士だとして、戦闘中に上官に対し『敵機が多数襲来!』と言いますか。『敵機が9機襲来!』と報告するでしょ」...

 2人の上司とのやりとりは、今でも鮮明に覚えている。最大の理由は、文章力に多少自信のあった筆者の自尊心が大いに傷付いたからだ。今思うと当時は、上司による添削や指摘を「人格否定」のように捉えていた。同じ理由で、他人から文章指導を受けることに抵抗を感じる人は多いのではないか。

文章は「人格」の一部なのか?

 これには筆者の世代が学校で受けた教育も影響している気がする。当時は、「作文は心に浮かんだ言葉をそのまま文字にすればよい」と教わった。教科書に載っていた文章も作者の人柄がにじみ出ているものが多く、単なる情報の伝達手段としての文章はほとんどなかった覚えがある。

 そうした教育を受けるうち、「文は人なり」という言葉の通り、文章は書き手の思想や人柄を含む「人格」の一部というイメージが刷り込まれたのではないか。本当にそうなら、文章がうまくなりたければ才能や精神修行を必要とすることになってしまう。

 そうした反省もあるのだろう。2022年度から高校の国語に、論理的に「話す・聞く」「書く・読む」能力を育成する「現代の国語」が導入される予定だ。実用文の書き方もこの教科で扱うそうだ。一方、古典や近現代の文学作品を読む授業は「言語文化」として分離され、授業時間も減る。「名文を読まずして文章が書けるか」と反発する文学者も多いようだが、筆者の経験からすれば、実用的なノウハウを教えることは時代の要請にかなっていると思う。

ビジネスでますます増える「書く」機会

 どれだけビデオ会議システムが進化しても、メールやチャットといった文字による意思疎通がなくなるわけではない。それどころか、企業がSNSやオウンドメディア(自前の媒体)を情報発信に活用するようになったことで、ビジネスで文章を書く機会はこれからますます増えていくだろう。

 一方で、筆者が社会人になってから受けたようなマンツーマンの指導は、コロナ禍の影響で難しくなっている。それが文章力に自信がない人の不安を高め、最近の「文章術ブーム」につながっているのかもしれない。

 ただ、過度に恐れることはない。ビジネスの場で人の心を震わせるような「美文」を書く必要はないからだ。ちょっとしたコツを知り、練習を重ねていけば上手くなる。「文章は才能がなければ上達しない」―。そんな先入観を捨て、英会話やエクセルと同じ「技術」だと捉え直すことが、文章力向上への第一歩ではないだろうか。

写真「文章術ブーム」の背景には...
(出所)stock.adobe.com


古賀 雅之

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