2023年02月22日
働き方改革
研究員
小川 裕幾
少子高齢化で人手不足が続く日本では、たくさんの外国人が働いている。近年、特に増えているのがベトナム出身者だ。日本企業で初めて働く人たちは、どんな思いや課題を抱えているのか。留学経験もなく来日し、リコージャパンのサービス部門で働くチュオン・タイン・トウンさんに、採用担当だった筆者がインタビューした。
(写真)筆者
チュオン・タイン・トウン氏 1996年、ベトナム生まれ。理系の大学を卒業後、中国や韓国の大手企業を経てリコージャパンに入社。 |
―初めて来た日本での生活は大変だったのでは。
すごく大変で、恥ずかしい失敗もたくさんしました(笑)。来日直後はスーパーで買い物をしても小銭の使い方が分かりません。レジで支払いをする時、もたもたしていると後ろで待っているお客さんの視線を感じます。それで買い物をするたびにお札を出していたら、財布がお釣りの小銭で一杯になってしまいました。
コンビニで支払いをする時、レジの店員さんがビニール袋はいりますか、と聞きますよね。その日本語が聞きとれず、とっさに首を横に振ってしまったことがあります。支払いを済ませたあとも、店員さんが商品を袋に入れてくれない。私は理由が分からず怒ってしまいました。店員さんも困ってしまって...。今思うと、本当に申し訳ないことをしました。聞き取れなかった場合は聞き直すか、ゆっくり話してもらうようお願いすることが必要だと学びました。
あとは電車です。これは何度も間違えました。ベトナムに比べて東京都内の路線はすごく複雑です。降りるはずの駅で電車が止まってくれず、高速で目の前を通り過ぎていく(笑)。何度も冷や汗をかきました。
―そういえば入社2日目の朝、自宅から職場まで1人で来ることにチャレンジした時、始業時間に間に合いませんでしたね。電話したら「今、違う駅にいます」と。
懐かしいですね。いろいろな人に迷惑かけました。でも、学んだこともたくさんあります。乗る電車が分からなければ駅員さんを探して質問する、事前にネットで行き方を調べる、とか。私は一人っ子なので、いつも両親がすぐに助けてくれる環境でした。日本に来てからは、そうはいきません。毎日が挑戦でした。でも、職場は親切な先輩や上司が多くて助かりました。プライベートでも、ベトナムで知り合いだった女性が茨城県で働いていることを偶然知り、会っているうちに彼女になりました。日本各地を旅行できたこともよかったです。
―そもそも、日本企業に興味を持ったきっかけは。
日本での仕事に関心があったからです。日本の企業や仕事について調べていて、チームワークを重んじている、と知りました。これは自分の経験から、とても大切なことだと思います。実は、大学卒業後に中国や韓国の大企業で組み立ての仕事をしたことがあります。その勤め先だけかもしれませんが、いわゆる報連相、つまり報告・連絡・相談がなく社員同士のコミュニケーションが良くないと感じていたんです。それがあればもっとミスが減り、みんな気分よく働けるのにと思いました。
日本の皆さんには当たり前かもしれませんが、そうした文化が根付いていない企業はたくさんあります。私はそのような働き方を日本で学び、将来ベトナム企業に浸透させる役割を担いたいと思っています。
日本のオフィスワークにも関心がありました。一般にベトナムの若者は職場として工場での組み立て作業をイメージします。しかし私は、仕事でパソコンを使ったりシステムツールを使いこなしたりする、先進国では当たり前の働き方に興味がありました。
日本のカルチャーも好きでした。学生時代は『ワンピース』や『ナルト』などの漫画が好きでした。日本は憧れの国だったのです。きっとベトナムの若者なら同じことを言うと思いますよ。
―日本に来てつらかったことは。
母のことです。来日して少し経ったある日、ベトナムの実家で知人を招いてパーティーが開かれました。ベトナムでは家族や親戚、近所付き合いを大切にします。だから、よくそうした交流会を開くのです。
そのとき私は、1人だけ日本からテレビ電話で参加していました。パーティーが始まると、みんな楽しそうに画面越しに私に手を振ってくれます。でも母だけ、部屋の隅にいたのです。よく見ると、下を向いて泣いていました。きっと参加者のうち、母だけが自分の子どもに直接会えず、寂しかったのでしょう。私はコロナ禍の影響で、来日してから丸2年間、1度もベトナムに帰っていません。パーティーが開かれるたびに母は泣いています。その姿を見ると、私もつらいです。
―家族のきずなが強いのですね。
ベトナムは外国と比べても家族や親戚、ご近所付き合いを大切にする文化があると思います。日本へ出発する朝もそれを感じました。一緒にハノイ国際空港に向かう途中、いつもは元気な母が静かなんです。話しかけても、ずっと下を向いたまま返事をしない。とうとう出発ロビーに着いてしまいました。母の顔をのぞき込むと、大粒の涙がこぼれ落ちました。その姿を見て、私も涙が出ました。結局、横で手を振る父と、ずっと下を向いたままの母を見ながら、私は日本に旅立ったのです。
来日してからも、毎日両親と電話します。母はよく途中で涙声になります。そして絞り出すように「これは将来のためだからね。お互い頑張りましょう」と言うのです。ただ、私は心に決めていることがあります。それは絶対に泣かない、ということです。私が泣いたりすれば、母は余計心配するからです。
この2年間、弱音を吐いたことは一度もありません。吐けなかった、といった方が正しいかも知れません。恋人に対しても同じ。彼女に言えば、彼女の両親が心配するからです。どんなにホームシックになったとしても、心の内をありのまま話せる相手は、いませんでした。さみしくなったときは、いつも両親の顔を思い浮かべて、自分を励ますようにしていました。
―なぜそこまでして頑張るのでしょう。
夢があるからです。それは親孝行です。私を育ててくれた両親に好きなものを買ってあげたり、好きなところに連れて行ってあげたりしたい。そして将来ベトナムの大企業に入り、先進的な働き方の伝え手になり、その姿を両親に見てもらいたいのです。
親戚も近所の人も家族同然の関係なので、彼らは私が日本で働いていることを誇りに思ってくれています。近所の子供は、将来私のように日本で働きたいと言ってくれているようです。恥ずかしいですが、ちょっとしたヒーローなんですよ(笑)。私の頑張りを家族だけでなく、親戚も近所も自分のことのように喜んでくれます。自分で決めたことを達成せず帰国するなど絶対にあり得ません。
メンテナンス中のトウンさん
(提供)チュオン・タイン・トウン氏
小川 裕幾