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民主派の疑問と懸念〔歴史に翻弄される香港〕(下)

 「一国二制度」と全人代の判断

2023年05月23日

中国・アジア

主任研究員
高橋 利明

 一国二制度を前提に香港特別行政府基本法が1990年に制定された。中国は新法令を整備することによって香港を統制するが、基本法は「50年間社会主義を香港に強要しない」との約束に基づいており、中国の法令に基づいてはいない。香港のために定められたとも言えるのだが、香港人に疑問と懸念を与えた。

 こうした疑問や懸念について、①香港特別行政区基本法(1990年7月1日施行)②逃亡犯罪人条例(2019年10月23日撤回)③香港特別行政区国家安全維持法(2020年6月30日施行)―の三つの事例からひも解いてみたい。

英国らしさはバスとトラムだけに

 一国二制度が打ち出された英中共同声明の翌年、1985年7月に香港特別行政区基本法起草委員会が立ち上がり、12月には中国と香港の代表者で構成される香港基本法諮詢委員会が設置された。2回の公開諮詢が開かれたが、その途中の1989年に天安門事件が起きた。これを受けて構成委員に大きな変更があったものの、1990年4月に基本法が可決・成立、7月1日施行された。

 これをもって香港が英国から中国に正式に返されると、"英国らしさ"はバスと路面電車(トラム)以外にほとんどなくなり、タクシー運転手も中国語を話す人々に置き換わっていった。

写真.jpg香港・太古を走るダブル・デッカー・バス(左)【2018年9月9日】
香港島・砲台山を走る路面電車(右)【2016年2月21日】(出所)筆者

 基本法の施行を受けて香港社会がどのように変わったか。司法などを例に見てみたい。裁判所は香港に関係する案件について判断はできるが、中央政府に関わる案件については全人代に解釈を依頼することになっている。司法判断など2005年までにあった三つの「全人代案件」が香港で論争に発展した。

覆された香港居住権の判断

 全人代案件の筆頭として注目を集めたのが、香港居住権の扱いだった。香港居住権を持つ人が香港以外で子供をもうけた場合、その子供は香港居住権を持つと基本法第24条に記載されている。これに基づいて香港居住権を持つとされた子女が1999年に香港の裁判所に居住権の確認を求め、いったんは認められた。しかし、香港行政府が全人代に法解釈を求めると判断は覆され、香港居住権が取り消された。

 背景としては、当時多数いた同じケースの子女が香港へ移住すると香港の労働需給バランスが崩れ、経済が混乱する事態への懸念があったとされる。裁判が争われていた時、香港人と中国人との間にできた子供は4万人に上る一方、香港の失業率が急上昇していた。また、工業化が進んでいた深センに香港の労働者が移っていた中での全人代の判断だった。

20230517_02.jpg香港の失業率 (出所)IMF

 香港の失業率のさらなる上昇を避けたかったとみられるが、香港人と中国人との間にできた子供は香港居住権を得られないのか。この問題はその後も議論が続いている。

 この他、香港民主派が2003年に求めた董建華行政長官の退陣と次期行政長官および立法会全議席の直接選挙実施も「全人代案件」になり、「2007年行政長官選挙と2008年立法会選挙では直接選挙を行わない」との解釈が2004年に出されている。

 直接選挙は実現しなかったが、民主派の要求を受け入れる形で董建華行政長官は5年任期のうち2年を残して退陣した。ただ、後任の任期が2年か5年かについて香港行政府は全人代に解釈を求め、2005年になって2年と判断された。

 このように、香港内の案件で中国政府が関わらないケースでも、全人代の意向が反映される形で決着している。

逃亡犯罪人条例は撤回

 一方、中国政府が推進するものの、4カ月にわたる香港市民の反対にあい、撤回をされたケースがある。それは、「香港でとらえられた犯罪容疑者を中国本土に引き渡すことができる」という条例だ。香港市民は「中国による恣意的な拘束や不当な裁判につながりかねない」「中国政府による香港統治が迫り、その高度な自治性が維持されなくなるのではないか」と、強い懸念を抱いて激しく抗議、2019年10月23日に撤回された。

 当時のデモ参加者は、この条例撤回に加えて四つの要求を掲げたが、その四つは受け入れられなかった。

・抗議行動に対する「暴動」という言葉の使用取消し
・逮捕されたデモ参加者全員への恩赦
・デモ参加者に対する警察の暴力をめぐる独立調査
・行政長官選挙での普通選挙の実施

 当時、筆者は香港の湾仔と旺角でデモに遭遇。多くの市民が参加していたのを記憶している。決して暴力的ではなく、無言の抗議だったが、世界に騒動として知れ渡った。これが後々のデモ禁止につながったとも言われる。

写真.jpg香港・旺角におけるデモ【2019年6月16日】(出所)筆者

国家安全維持法、欧米や日本も懸念

 欧米や日本政府などが強い懸念を示す法律も施行されている。

 それは、2020年5月28日の第13期全国人民代表大会第3回会議で制定された香港特別行政区国家安全維持法だ。全66条の中でも特に第9条と第33条3項が注目された。

・第9条:香港特別行政区は、国家の安全維持とテロ活動防止の取り組みを強化する
・第33条3項:他人の犯罪行為を告発する、または重要な手がかりを告発することで、減免の対象となる

 メディアやインターネットも法律の対象となるため、香港内では政府に対する表現に配慮する必要が出てくるのだが、次のような実例が既に報告されている。

 2021年1月6日に香港国家安全維持法に違反した容疑で米国人弁護士ジョン・クランシー氏や立法会前議員を含む50人以上が香港警察に一斉逮捕されたのだ。この一斉逮捕については日本でも2月10日に松原仁衆議院議員が政府に見解を書面で質問。2月24日に管首相(当時)が次のように回答している。

許容できず、重大な懸念

 香港は、我が国にとって緊密な経済関係及び人的交流を有する極めて重要なパートナーであり、「一国二制度」の下、香港において自由で開かれた体制が維持され、香港が民主的及び安定的に発展していくことが重要であるというのが我が国の一貫した立場である。御指摘の「香港国家安全維持法」施行後の香港の情勢をめぐる動向については、香港の繁栄を支えてきた「一国二制度」の根幹である言論の自由や報道の自由といった基本的な価値の尊重に対して深刻な疑念を抱かせるものであり、お尋ねの「一斉逮捕」は、我が国として、先に述べた立場に照らして許容することはできず、重大な懸念を強めているところである。我が国としては、こうした立場及び懸念を中国側に伝達しており、また、2020年6月18日に発出された「香港に関するG7外相声明」のようにG7を始めとする関係国と連携して対応してきたところであり、引き続き、関係国とも連携しつつ適切に対応していく考えである。

維持していた高度な自治

 中国本土との境にある豊かな自然と豊かな漁港を持つ香港は中国への返還という歴史に翻弄されながらも高度の自治を維持していた。金融街としての発展は英国統治時代から続き、世界的にも重要な拠点となった。新型コロナウイルス感染症のまん延により2021年度は観光客数が9万人まで落ち込んだが、2023年1~3月には441万人に回復。世界でも有数の夜景を誇る観光地として活気が戻りつつあるという。

 東京の半分の面積である香港はその40%が山間部で人が居住しておらず、60%の平野部に733万人が生活している。縦に伸びた居住地は夜になると静寂に包まれる。ほんの少し前まで激しいデモがあったことは想像が難しいほどだ。香港の特徴だった幼少期における英語教育が復活した。香港人の忍耐強い性格が行政府を動かしているのかもしれない。ポルトガルや英国、⽇本などにも翻弄されながら繁栄を築いた⾹港。その⼒強さやしたたかさが失われているはずはない。元々中国は広大で多様性に富む国家だ。その中で香港の進む⽅向をもうしばらく⾒ていようではないか。

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高橋 利明

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