排出量取引は脱炭素の起爆剤か
脱炭素社会の実現に向けた日本版排出量取引制度(GX-ETS)が、2026年4月から義務化された。対象は、二酸化炭素(CO2)などの温室効果ガス(GHG)を大量に排出する企業で、日本のGHG排出量の8割を占める企業部門の脱炭素化に弾みがつくと期待されている。ただ一方で、温暖化対策のコスト負担の在り方や、制度の実効性を巡る課題も少なくない。

カーボンプライシングの一環
記録的な豪雨や極端な乾燥による山火事の多発など、地球温暖化の弊害が目立っている。対策推進は喫緊の課題である。特にGHG排出量の多い大企業の対策強化が急がれる。
そうした中で義務化されたGX-ETSは、排出量が年間10万トン以上の企業が対象だ。CO2排出量上限(排出枠)を割り当て、上限を超えた企業には他社からの排出枠の購入や、ペナルティーとして金銭の支払いを求める制度だ。CO2排出量に応じて税金を課す炭素税と同様に、CO2に価格を付けてコスト負担を求め、企業の行動変容を促す「カーボンプライシング」政策である。排出量取引も炭素税も、地球温暖化を食い止めるための効果的で公平な仕組みとして、世界各国で導入が進められている。
GX-ETSでは、排出量が排出枠を下回った企業は、2027年秋に開設予定の排出量取引市場で売却して資金を得ることができる。逆に排出量が枠を上回った企業は、市場で排出枠を購入しなければならない。市場に排出枠の在庫がなくて購入できない場合は、排出枠の上限取引価格の1.1倍を政府に支払い、排出枠の不足分を償却する必要がある。ただ、購入すればCO2排出量を削減したとみなす「カーボンクレジット」は排出量の10%までとする。クレジット頼みで削減努力を怠るのを防ぐ狙いだ。

排出量取引制度のイメージ(出所)経済産業省の産業構造審議会資料を基に作成
日本企業排出量の6割が対象
積極的な環境投資で排出量を大幅に削減すれば、余った排出枠を売却して投資資金の一部を回収でき、効率的、継続的な環境投資を促すと期待される。実際に、欧州連合(EU)では鉄鋼や化学などエネルギー多消費産業も参加して本格的な排出量取引が実現した。企業行動への影響だけでなく、消費者が省エネ型製品や再生可能エネルギーを選択する動機ともなり、社会全体で温暖化対策を推進する後押しになると言われる。
GX-ETSの実効性はどうだろうか。対象の企業数は当初300-400社と多くはないが、1社あたりの排出量は多い。対象企業だけで日本企業が排出するGHG全体の60%を占めており、排出量の上限を設けることでかなりの削減効果が望めそうだ。毎年の排出量は国への報告や届け出が必要で、その際は第三者機関の監査を受けねばならない。排出量の透明性が高まると期待される。
排出枠決定は2方式
企業に割り当てる排出枠の決定方法は、大きくベンチマーク方式とグランドファザリング方式の二つがある。ベンチマーク方式は、業種ごとに電気、ガス、燃料の使用量など企業の「活動量」1単位あたりの排出量(排出原単位)を基準に排出枠を割り当てる。例えば、排出原単位が低い、つまりGHG排出量抑制の状況が最も良い方から「上位50%水準」にあたる企業の原単位を目標基準とする。その場合、原単位が目標水準より高い企業はGHGを追加削減しなければならない。目標基準は業種ごとに異なり、追加削減を迫られる企業の数や割合もまちまちだ。
目標基準は今後5年間、毎年3.5%ずつ引き下げられ、当初の基準が50%の場合、2030年度にクリアできる企業は上位32.5%に絞り込まれることになる。当初は基準をクリアした企業であっても、削減努力を怠ればいずれ追加削減を求められる可能性がある。今後の目標水準引き下げのイメージを下記に示す。
ベンチマーク方式のイメージ
棒グラフは各社の排出量を示し、曲線グラフは各社の排出原単位を示す。
(出所)経済産業省の産業構造審議会資料を基に作成
一方、グランドファザリング方式は直近3年度平均で割り出す基準年度の排出量から、毎年の一定の削減率を設けて排出量の低減を進める方式だ。「扱う製品が少量多品種で原単位が製品ごとに大きく異なる」「工程が複雑で原単位の算出が難しい」「同業他社の原単位に差がほとんどない」などの事情で、ベンチマーク方式による線引きが難しいケースに適用される。
先行して排出量の削減に取り組んできた事業者には、通常の基準年度の排出量をベースとした排出枠ではなく2013年度を基準年度として従来の実績を認め、追加の削減義務を負いにくくする工夫もしている。いずれの方式も、早期から排出削減に着手した企業が不利にならないよう配慮した制度設計となっている。
グランドファザリング方式のイメージ
(出所)経済産業省の産業構造審議会資料を基に作成
排出枠価格に上限と下限
排出枠を売買する取引市場では、取引の安定性を担保する狙いから価格に上限と下限が設定された。上限価格は、GHG排出量の多い石炭火力発電から比較的少ない液化天然ガス(LNG)火力へ転換をするコストをベースに、1トン4300円とした。一方、下限価格はGHGの削減量や吸収量をクレジットとして国が認証する「省エネJ-クレジット」の取引価格(2023~24年)をもとに、1トンあたり1700円とした。この価格水準は、大企業が省エネを実施する際の平均コストに相当している。
そもそも排出枠の金銭購入は、脱炭素の遅れに対するペナルティーであり、カーボンニュートラルの達成のためには、脱炭素投資が着実に行われ、排出枠売買が減ることが望ましい。脱炭素の推進を目的に、排出枠価格は毎年約5%上昇させていく見込みとなっている。
排出枠の上下限価格の見通し
(出所)経済産業省「産業構造審議会 排出量取引制度小委員会 中間整理」
EU炭素税と「二重負担」の恐れ
実際に、排出量取引が日本より20年以上先行するEU-ETSは、2026年2月末の排出枠の取引価格は、1トンあたりのCO2が約1万2800円(1ユーロ=約184円)と、GX-ETSで予定される価格よりかなり高額だ。EU域内では排出枠価格を高くし、企業に厳しいGHG排出削減対策の実施を促している。EUは26年1月から、削減対策の緩い域外からの輸入品に国境炭素税(CBAM)を課し、域内エネルギー多消費産業の競争力が下がらないようにしている。対象は鉄鋼、アルミ、電力などで、28年には家電製品など一部の完成品も対象に加える計画だ。
日本からEUに輸出する場合、国内でGX-ETSのコストを負い、さらにEUにCBAMを支払う「二重負担」が懸念される。経産省は、GX-ETS義務化の対象となる事業者について、CBAMの免除や課税軽減に向けてEU当局と交渉を進めているという。その行方が注目される。
エネ多消費産業はなぜ同意した?
地球温暖化防止推進センターのデータによると、日本のCO2総排出量(2024年度)の34.4%を産業部門が占めている。このうち鉄鋼が37.7%、化学15.8%を占めており、これらのエネルギー多消費産業は、GX-ETSの義務化によって巨額の環境投資を迫られる。このため、事業の存続基盤を脅かされると反発し、排出量取引や炭素税などのカーボンプライシング政策に一貫して反対してきた。ではなぜ、今回は受け入れたのか。経産省によると以下の2点が背景にあるという。
一つ目は、脱炭素製品・サービスに対する需要の高まりだ。企業も個人も地球環境への意識が強まり、化石燃料に頼る企業の製品やサービスは将来的に敬遠されるリスクを意識している。
二つ目は削減努力を惜しめば、国際的なサプライチェーン(供給網)から締め出されかねないとの懸念が強まったことだ。例えば米アップルは2030年までに全製品をカーボンニュートラルとする目標を掲げ、部品メーカーなどにカーボンニュートラルの達成を要求している。
脱炭素に関連する市場の広がりを、化石燃料を大量消費する鉄鋼や化学などの業種も無視できなくなった。上記の2点の理由を踏まえると、GX-ETSによってCO2の市場価格が明確になった方が、脱炭素コストの製品価格への転嫁が円滑に進むという思惑もありそうだ。ETSの仕組みづくりから関わり、義務化のルール作りに関与した方が得策と判断したのだろう。
中小企業には間接的な影響
GX-ETSの直接の対象とはならない中小企業も、電気代や燃料価格の上昇、原材料や輸送コストの増加を通じて影響を受ける。取引先の大企業から排出削減の協力を要請されることもあるだろう。賃上げ圧力の強まりなどと併せ、中小企業の新たな負担になりうる。
ただ、省エネ設備の導入や業務の見直しが光熱費の削減につながる、環境に配慮した企業として対外的に評価され信頼が向上するなど、良い面にも目を向けてはどうか。早めに取り組めば結果的に競争力を高められる可能性もある。環境対応を、単に押し付けられた義務と捉えず、成長機会として生かす姿勢が求められよう。
脱炭素政策は日進月歩
政府は脱炭素社会の実現に向け、CO2排出量を、2030年度に13年度比46%削減、35年度に60%削減、40年度に73%削減という、野心的な目標を掲げている。GX-ETSはこの達成に向けた施策の一環との位置付けだが、経産省は目標達成にどの程度貢献するのかを明言していない。GX-ETSに対応するための環境投資や排出枠購入などのコストは今後、企業や消費者にとって大きな負担となり得る。施策の「費用対効果」が不明確では、国民の理解と協力を得ることは難しい。
政府は、排出量取引の導入がもたらす脱炭素社会実現への貢献度合いや、脱炭素化の進展による企業・消費者への恩恵についてさらに丁寧に説明する必要がある。イラン情勢の緊迫化で日本のエネルギー安全保障の脆弱(ぜいじゃく)性、特に化石燃料の中東依存がはらむリスクが再認識された。脱炭素政策は地球温暖化防止にとどまらず、エネルギー安全保障体制の強化を視野に入れながら推進していく必要がある。
≪おさらい≫
Q 地球温暖化防止の一環として4月に導入された日本版排出量取引制度(GX-ETS)とは。
A 対象の大企業などに、CO2排出量の上限である排出枠を割り当て、CO2削減を義務化した。
Q GX-ETS導入の狙いは?
A 排出量の削減を図るだけでなく、環境投資を促すことで成長の機会を拡大する狙いもある。
Q 企業ごとの排出枠はどのように決めるのか。
A 業種別に目指すべき排出量の目安となる「排出原単位」を定め、それを基準に排出枠を割り当てる。原単位の算出が困難な業種は、今後一律に一定割合で排出量を削減していくよう求める。
Q 中小企業や消費者への影響は?
A 電気・ガス料金や商品価格の上昇につながる可能性はある。ただ、温暖化被害の軽減のほか、省エネの進展や再生可能エネルギーの普及促進を通じて、長期的には暮らしの質向上に資すると考えられる。
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