2017年08月24日
地球環境
主任研究員
稲葉 清高
毎年、6 月が近づくと、私は日頃の暴飲暴食を少しだけ控える。というのも、この誕生月に健康診断を受けているので、少しはまともな数字を出すための、ささやかな努力だ。事前に自宅で体重計に乗ってみると、思っていたよりもかなり重たかった。しかし、胴回りを見ても、それほど体重が増えた感じがしない。5キログラムのコメ袋を体重計に載せてみると、1キログラム近く重く表示される。今度は、ペットボトルを使って10 リットルの水をバケツに入れて量ってみると、表示は12キログラム。どうも体重計が壊れて、2割増しに表示されるようだった。体重はさほど増えていないことが分かり、ホッと胸をなでおろし、健康診断もなんとか無事に乗り切った。
体重計に乗って一喜一憂している人は、私以外にも多くいることと思う。さて、この「キログラム」という単位の定義が、今まさに変わろうとしていることをご存知だろうか?
現在、世界中のほとんどの国が「国際単位系」と呼ばれる国際基準に基づく単位を用いている。国際単位系には時間(秒)、長さ(メートル)、質量(キログラム)、電流(アンペア)、温度(ケルビン)、物質量(モル)、光度(カンデラ)の7つがあり、さらにこれらを組み合わせることであらゆる単位が作られている。
計量基準を司る国際機関はフランスのパリ郊外にある国際度量衡局で、その地下には、「元・国際メートル原器」や「国際キログラム原器」が保管されている。
(出所)アメリカ国立標準技術研究所(NIST)
メートル原器に元を付したのは、既に「長さの基準」としての役割を終えているからだ。長さについては、1960年の国際度量衡総会で、ある光の波長を基準とすることが決まり、1983年の総会で「光が1/299792458秒間に真空中を進む距離」と定義された。時間の単位「秒」も、かつては天体の動きを基にしていたが、1967 年にセシウム原子の励起した振動数(周期時間)を基準にするよう変更された。基本単位の定義は、普遍的な自然現象や物理法則に基づいたものへと変遷しているのだ。
そんな中で、質量を表す「キログラム」だけは、人工物である「原器」に基づいて計測されている。
原器を基準にする際の最大の欠点は、原器が失われたり、破損したりした場合、計測ができなくなることだ。例えば、国際キログラム原器の複製である日本のキログラム原器は、1923年の関東大震災で「あわや」の危機に直面した。当時、日本の原器が保管されていた東京府内の中央度量衡検定所は震災で建屋が焼失。幸い、原器類は無事だったものの、多くの資料が灰と化してしまったそうだ。原器に依存する限り、今後も、自然災害や戦災などによる破損や遺失のリスクがつきまとう。
(出所)アメリカ国立標準技術研究所(NIST)
もっと本質的な問題は、国際キログラム原器とその複製である副原器や各国のキログラム原器との間で、ごくわずかではあるが質量の差が生じてしまったことにある。「国際キログラム原器こそが1キログラムの基準」なので、「質量が変化したのは副原器や各国のキログラム原器の方」ということになるが、実際のところ、どちらの側が変化したのかは定かではない。空気中の不純物が付着したり、使用の際に磨耗したりなどの理由が考えられるらしい。ちなみに、過去 100 年程度の測定結果を見ると、相対的な質量変化は 1キログラム に対して、100万分の75程度に収まっているので、ヤブ蚊一匹ほどの誤差ではある。日常生活には何の影響もないが、理学や工学などの精密分野では、こうした誤差を容認するわけにはいかないのだ。
このため、他の単位と同様に、キログラムの定義も「普遍的な物理属性」に基づくものに変更しようという声が強まっていた。2011年の国際度量衡総会は、原器ではなく、基礎物理定数に基づいてキログラムを再定義することに満場一致で合意。2018年に開催される総会でキログラムの新しい定義が決定される見通しだ。これによって、「国際キログラム原器」が約130年の歴史に終止符打ち、ついに国際原器としてはお役御免となる。
ちなみに、2011年に「脱・原器」を正式に決めてから、新たな定義を決定するまでに7年もの年月を要したのは、複数の測定法によるバラつきを「1億分の1程度のバラつき」に収めるためだ。この基準が決められた理由としては、現在の国際キログラム原器を洗浄する際に生じる、質量の変化が1億分の1のケタだったからというものだ。
当初、具体的な方法としては、1キログラム ぴったりに作った純粋な物質(球体)の中に含まれる原子の数を数え、「純粋な単位原子Xの質量のN倍」で1キログラムを定義するというものが有力視されていた。この測定を行うための国際的な研究プロジェクトが「アボガドロ国際プロジェクト」で、これには日本の産業技術総合研究所も参加している。
しかし、最近、「正確に作られた電磁石で一種の天秤を作り、釣り合った時に流れる電流から1キログラムを定義する」という、ワットバランス法が劇的に精度を高め、「1億分の1」のバラつき収束するようになった。
原子の数を数えるという方法は、純粋な物質の球体を作るため、非常にコストがかかり、現段階では国際プロジェクトとして1拠点でしか測定ができない。これに対して、ワットバランス法ならば複数拠点で再現することが可能だ。2018年に予定される次回総会では、再現性の高さからワットバランス法に由来する定義が採用される見通しだ。
稲葉 清高