「油断」していないか

 小説「油断」で堺屋太一氏(故人)は半世紀前、ホルムズ海峡の封鎖に伴い石油危機がぼっ発、停電して凍死者、さらには餓死者が出るなどして日本経済が崩壊する姿を描いた。1973年のオイルショック前に書かれたが、出版は75年に遅らせた。実際にイスラエルとアラブ諸国の間で第4次中東戦争が起き、石油輸入が途絶える事態が現実味を帯びたためとされる。

うわさが不安を増幅

 当時、オイルショックで世の中が騒然としたのを子供心に覚えている。石油製品が買い占められ、その影響でトイレットペーパーが店頭から消えるといったニュースが盛んに流れた。しかし、ホルムズ海峡は実際には封鎖されておらず、日本への原油供給は続いていた。そんな中、なぜパニックが起きたのか。

 日本の石油備蓄は当時60日分程度しかなく、エネルギーに占める石油の割合は約75%。「石油がなくなる」「紙製品がなくなる」といううわさが拡散し、それが不安を増幅。正確な情報が不足する中、人々が日用品の買いだめに走った。

縮小AdobeStock_565805322.jpg石油備蓄タンクが立ち並ぶ東京湾の沿岸 

 日本がパニック状態に陥っていた中、米国のキッシンジャー国務長官が来日して田中角栄首相と会談。イスラエルを支援する米国の立場に配慮して中東からの石油輸入をやめてほしいと要請した。これに対して田中首相は、米国が石油を肩代わりできるのかと反論し、応じなかった。そして、政府はアラブ寄りの官房長官談話を出し、石油の禁輸対象から日本が外れた。1974年には買い占めなどの騒ぎが収束している。

苦い経験

 その後、こうした苦い経験から石油備蓄法ができた。2025年末の石油備蓄は民間と国家、産油国共同備蓄を合わせた総計で国内需要254日分相当に増加した。さらに、天然ガスや原子力、自然エネルギーなどの利用が拡大し、エネルギーに占める石油の割合は約35%に低下し、過度の依存から脱却している。

 オイルショックから半世紀が経過し、イランと米・イスラエルは今年2月、戦争に突入。今月11日から12日未明にかけてパキスタンで停戦協議が行われたが、合意に至らなかった。これを受けてトランプ米大統領は、イランの港を出入りするすべての船舶の航行を阻止すると宣言した。ホルムズ海峡はイランによって管理され、事実上の封鎖が続いている中で、米国はイラン経済を支える同国の石油輸出を止める"逆封鎖"によって一段と圧力を強める考えだ。

 現在、日本は石油への依存度が低下したものの90%以上を中東から輸入。燃料価格の高騰に悲鳴を上げ、操業停止に追い込まれる業種が出ている。こうした事態に対応して比較的豊富な「備蓄」の放出も始まった。さらに、ホルムズ海峡を経由しない海運ルートの開拓や他の地域からの石油輸入も模索している。石油輸入が途絶える事態は当面想定されておらず、かつてのようなパニックは起きていない。政府による消費者への使用抑制の要請も検討段階で、どこか「油断」していないだろうか。

縮小AdobeStock_1951088650 (1).jpgホルムズ海峡に足止めされた船舶

「たかをくくって気を許す」

 「油断」の語源には諸説あるが、仏教経典「涅槃(ねはん)経」の説話に由来するとの説が有力だ。ある王がなみなみに油の入った鉢を臣下に持たせて「一滴でもこぼしたら汝(なんじ)の命を断つ」と命じ、臣下は細心の注意をはらってこぼさず歩いた。「油」をこぼすと命が「断」たれるという因果関係が熟語「油断」となり、「注意を怠る」「気を抜く」「たかをくくって気を許す」という意味、そんな心の状態を指すようになった。

 イラン情勢は今後も予断を許さず、戦闘が再開される可能性も否定できない。イランの港から出向した可能性が高いインドや中国など一部の国のタンカーがホルムズ海峡を通過しているが、これも今後は米国による"逆封鎖"で止まる事態があり得る。また、日本が関与するタンカーなどの船舶はほとんどが足止めされたままだ。

 既に、燃料・電気の節約、車の利用規制に乗り出している国も多い。石油備蓄が十分でないアジア諸国の事態は深刻でフィリピンは「国家エネルギー非常事態」を宣言。韓国ではゴミ袋の買い占め騒動が起きた。アジア経済の混乱は日本に大きな打撃を与える。先のコロナ禍でアジアからの部品供給が滞り、操業停止した工場が多数出た事態が、それを証明している。

 原油供給への懸念が払拭(ふっしょく)される状況にはない。経済サプライチェーンに欠かせないアジアなどの諸国が石油不足に陥り、これがアキレス腱(けん)になって日本企業の歯車が止まる事態は絵空事ではない。小説「油断」で描かれた世界が現実化して日本経済が苦境に陥らないよう、一瞬の気のゆるみや怠りがなきよう肝に銘じたい。アジア諸国などとの協力・支援も必要になろう。

縮小AdobeStock_313201397.jpg公海を航行する石油タンカー

 そして、当面の石油確保や使用抑制の先にも目を向け、今回の危機を化石燃料に依存しない社会への転換に向けた一里塚と位置付けられないか。地球温暖化対策は世界的な課題。脱炭素が不可欠な中、石油に代わって石炭の利用にかじを切るようでは、二酸化炭素の排出が増加してしまう。戦争という悲劇、非常事態の中にあっても、「たかをくくって気を許す」ことは時代の要請に逆行する。そんな姿勢は地球の将来に「注意を怠っている」と言えよう。

《おさらい》

Q 第4次中東戦争時に日本でパニックが広がったのは、なぜ?
A ホルムズ海峡は封鎖されず、原油輸入は止まっていなかった。しかし、石油備蓄が乏しく、正確な情報が行き渡らなかった中で「石油や生活物資がなくなる」といううわさが不安を増幅させ、買い占めが連鎖したのが理由だった。

Q 苦い経験から何を学び、どう備えてきたか。
A 石油備蓄を254日分まで増やし、天然ガスや原子力、再生可能エネルギーの利用を拡大。石油依存度を大きく下げた。

Q 今の中東情勢で何が懸念される?「油断」はないか。
A 日本は石油備蓄があり、かつてのような脆弱(ぜいじゃく)性は改善された。しかし、中東依存は高く、アジア経済の混乱が日本を直撃する恐れもある。加えて、脱炭素への転換を怠れば将来への責任を果たせない。 

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舟橋 良治