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支持率・失業率でみる戦後の米大統領選(第1回)

=アイゼンハワー、ケネディ、ジョンソン各大統領=

2020年08月18日

内外政治経済

研究員
芳賀 裕理

 2020年11月3日投開票の米大統領選まで残り3カ月を切った。前回サプライズ当選を果たした共和党のトランプ大統領が再選に成功するのか。それともバイデン前副大統領を擁する民主党が政権奪還を果たすのか。新型コロナウイルスが猛威を振るい続ける中、世界最大の経済と世界最強の軍事力を誇る超大国の大統領選は米国のみならず、ポストコロナの世界秩序を左右する。

 そこで第二次世界大戦後の米大統領選の歴史を4回に分けて振り返り、歴代大統領の支持率と失業率が選挙結果にどう影響したかを分析した(調査対象は米ギャラップ社の世論調査結果と、米労働省の雇用統計を入手できたアイゼンハワー大統領以降の12人)。

 結論から言うと、総じて失業率が低い(=景気が良い)と支持率が高くなり、当選する確率も高いことが分かった。第2次大戦後に現職大統領で敗れたのはフォード、カーター、ブッシュ(父)の3人だけ。いずれも50%未満の低支持率と7%超の高失業率に苦しみ、政権を明け渡している。

 第1回は1953~1969年の間のアイゼンハワー、ケネディ、ジョンソンの各大統領をとり上げる。第2次大戦で勝利を収めた米国は好景気に沸き、社会インフラの整備を推進。世界のリーダーの座に就く一方で、ソ連との冷戦が深刻化し、ベトナム戦争の泥沼に突入していく。

大統領支持率と失業率図表(注)ピンク線は大統領選投票日
(出所)支持率は米ギャラップ社、失業率は米労働省

①第34代大統領ドワイト・D・アイゼンハワー(共和党、テキサス州出身、在任1953年1月~1961年1月)

写真(出所)ホワイトハウス公式サイト

 アイゼンハワー氏は、第二次大戦の欧州戦線で連合軍を勝利に導いた英雄。戦後はコロンビア大学総長や北大西洋条約機構(NATO)軍最高司令官を経て、1952年大統領選に共和党から出馬。民主党のスティーブンソン氏に圧勝した。「アイク」の愛称で国民に親しまれ、1956年選挙でも80%近い支持率を背景に同じ相手を寄せ付けず、再選を果たした。

 最前線で戦争の悲惨さを体験したアイゼンハワー氏の外交政策には、冷戦下でも軍事衝突を回避する慎重さが目立った。就任直後の1953年、朝鮮戦争の休戦協定を成立させた。再選を目指した1956年大統領選の直前に起こったハンガリー動乱では、ソ連の軍事介入に対し、同氏は介入を回避。スエズ動乱でも同盟国の英国に同調しなかった。

 こうしたアイゼンハワー氏の穏健な外交政策は米国に平和をもたらし、国内総生産(GDP)は1950年の2940億ドルから1960年には5260億ドルに急拡大。1920年代以来の好況となり、1950年代半ばの失業率は4%前後で低位安定した。中間層の生活が豊かになり、全米で高速道路網が充実したのもこの時期である。

②第35代大統領ジョン・F・ケネディ(民主党、マサチューセッツ州出身、在任1961年1月~1963年11月)

写真(出所)ホワイトハウス公式サイト

 プロテスタント教徒が主流の米国において、ケネディ氏はカトリック教徒初の大統領。アイルランド系の名門出身で父は実業家として財を成し、駐英大使などを歴任。ケネディ氏はハーバード大学で政治や国際関係を学び、第二次大戦の太平洋戦線では魚雷艇艇長として活躍した。

 戦後のケネディ氏は上下両院の連邦議員を経て、1960年大統領選に出馬した。共和党のリチャード・ニクソン氏(後の第37代大統領)との大接戦を制し、43歳の若さでホワイトハウス入り。支持率が一時80%超えるなど、熱狂的ともいうべき人気を誇った。

 1962年のキューバ危機でケネディ氏は、米ソ核戦争勃発の瀬戸際まで追い詰められたが、ソ連の最高指導者フルシチョフ共産党中央委員会第一書記との直接交渉で危機を回避した。しかし、1963年11月、遊説先のテキサス州ダラスで凶弾に倒れた。在任期間わずか2年10カ月。暗殺の真相も未だ厚いベールに包まれたままだ。若き指導者の突然の死は世界中に衝撃を与えた。

③第36代大統領リンドン・B・ジョンソン(民主党、テキサス州出身、在任1963年11月~1969年1月)

写真(出所)ホワイトハウス公式サイト

 ジョンソン氏はケネディ氏暗殺を受け、副大統領から急きょ就任した。就任前には史上最年少46歳で上院院内総務を務めるなど、連邦議会の実力者として長く君臨した。議会対策における卓越した手腕によって、就任後はケネディ政権よりスピーディに法案通過を実現していく。

 ジョンソン氏はケネディ氏の遺志を引き継ぎ、「偉大な社会」政策を推進。公共施設の雇用で黒人差別を禁じる公民権法や、黒人の投票権を保障する投票権法を相次いで制定。65歳以上への医療保障制度や低所得者向け医療扶助制度を導入するなど、今日の米国の社会保障制度の基礎を築いた。

 このように内政で着実に実績を重ね、支持率は70%台を維持し、失業率も5%台に低下する中で迎えた1964年大統領選。ジョンソン氏は共和党右派のゴールドウォーター候補を大差で破り、再選を果たした。

 順調に2期目を迎えたジョンソン氏だが、外交・軍事政策でつまずく。1964年8月に起きたトンキン湾事件をきっかけに、ベトナム戦争への関与をエスカレート。北ベトナムの指導者ホーチミンが展開したゲリラ戦によって米軍は守勢に回り、ジョンソン氏は1968年3月、北爆中止と再選出馬断念を発表した。支持率は2期目当初の70%台から30%台前半まで急落していた。

写真ベトナム戦争で撃墜された米爆撃機B52(ベトナム・ハノイ市内「戦勝博物館」)
(写真)中野 哲也


【参考文献・資料】
米ギャラップ社・世論調査結果
米労働省・雇用統計
「アメリカ史(上)」(紀平栄作編、山川出版社)
「アメリカ史(下)」(同)
「大統領でたどるアメリカの歴史」(明石和康 著、岩波書店)
カリフォルニア大学サンタバーバラ校「The American Presidency Project」
ホワイトハウス公式サイト
日米の各種報道など

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芳賀 裕理

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