2021年04月12日
内外政治経済
主任研究員
新西 誠人
新型コロナウイルスの感染拡大は、各国政府・地方自治体間の危機対応能力の格差を浮き彫りにした。国民への給付金の支給や感染者数の把握、感染抑制のためのスマートフォンアプリの活用、職員の在宅勤務...。戦後最悪ともいわれる危機を乗り越えるため、さまざまな業務の電子化が脚光を浴びた。だが、そのパフォーマンスは千差万別。コロナ禍によって「電子政府」の実力差が歴然となった。
日本政府に関しては、10万円の特別定額給付金支給をめぐる騒動をはじめ、感染実態把握の混乱や新型ウイルス接触確認アプリ「COCOA」の不具合など、多岐にわたり問題が噴出した。デジタル後進国ぶりをさらけ出した政府は「各省庁や自治体の縦割りを打破し、行政のデジタル化を進める」(菅義偉首相)と宣言。その「司令塔」として2021年9月にデジタル庁を発足させる方針を打ち出した。
政府は中央省庁だけでなく、地方自治体の電子化も加速させる意向。だが、実現までの道のりは決して平坦ではないだろう。そこで電子政府の先進国や、デジタル化に意欲的に取り組む国内自治体などを取材しながら、日本が電子政府にどう取り組むべきかを考えてみた。5回連載で順次公開する。
第1回でとり上げるのは、2020年の国連電子政府ランキングで3位に輝いたエストニア。ロシアと国境を接するバルト3国の1つだ。今回、駐日エストニア共和国大使館の須原誠・特別補佐官に同国がデジタル先進国に躍進した理由などを聞いた。
エストニアの基本情報
(出所)外務省、IMF
現在の首都タリンは中世以来のドイツ様式の街並みが美しく、世界遺産に登録済み。その一方で、この国の歴史は「占領」の連続である。タリンとはエストニア語で「デンマーク人の町」を意味し、13世紀のデンマーク王による占領が由来。14世紀にはドイツ騎士団に売却され、当時建設された城塞などが今も残る。
エストニアの首都タリン
(提供)駐日エストニア共和国大使館
その後、エストニアはスウェーデン領を経て、18世紀には帝政ロシア領となる。日露戦争でロシアが敗れた後、エストニアは1918年にいったん独立するものの、再びソ連に支配される。ソ連崩壊後の1991年、エストニアは再び独立を果たす。須原氏によると、エストニア人には奴隷扱いされてきたとの屈辱感があり、「二度と占領されたくない」という思いがことのほか強いそうだ。
エストニアの電子政府化の歴史は1960年代にさかのぼる。当時、東西冷戦下で覇を競っていたソ連と米国は、月への一番乗りを争っていた。不凍港のタリンは軍事研究拠点として重要な役割を担い、ソ連が人工頭脳学などを専門とするサイバネティクス研究所を設立。このため、モスクワとの連絡を目的とするネットワーク技術などのハイテク化が進んだ。タリンは「ソ連のシリコンバレー」のような存在だったのだ。
エストニアは1991年に再独立を果たすと、電子政府への取り組みを本格化させる。しかしその歩みを振り返ると、必ずしも長期ビジョンがあったわけではなく、逆境や困難を乗り越えるための必要に迫られ、徐々に整備が進んだという印象が強い。
端緒となったのが、国家の基礎ともいえる住民登録制度の構築。それに伴い、エストニアは膨大な事務作業を迫られた。しかし、ソ連統治時代から物資不足に苦しんでおり、事務用紙などもほとんどなかった。
そこで、エストニア政府は電話回線の活用に着目する。これを活用してデータをやり取りすれば、紙を使う必要はないと考えたのだ。この時に規定されたのが、データ取り扱いに関する基本方針「データポリシー」である。日本では医療・学術目的に限って近年、データ利用の法律が整備されたばかりだが、エストニアは四半世紀以上前の1993年に制定しているのだから驚きだ。
再独立後のエストニアにとって、教育改革も喫緊の課題になる。当時の同国には、農林水産業を除くと目ぼしい成長産業がなかったからだ。そこで、政府は未来を担うIT人材の育成が必須と考え、1996年に「タイガーリープ(虎の飛躍)プロジェクト」を開始。すべての学校でインターネットを利用可能にした。当時教育を受けたITネイティブの子供は30~40代になり、今や社会の中核を担う。
VRデバイスを使う小学校の授業
(写真)駐日エストニア共和国大使館
IT教育が結果を出した後、エストニアは電子政府のフロントランナーとして世界に名を知らしめた。それが2002年のIDカードの導入である。
実は、エストニア政府が提供していたさまざまな電子化行政サービスは相互につながらず、縦割りの弊害をもたらしていた。これを解消しようと試行錯誤の末、政府は「住民ごとに管理」という解を見いだす。そして、全国民に付与した「通しナンバー」と、全行政サービスをひも付けるIDカードを開発したのだ。
現在、エストニアで現在販売中のウィンドウズ・パソコンには、本体の横にカード挿入口が常備され、このカードを挿すとパソコン使用者個人の存在を証明できる仕様になっている。本人がパソコンを操作している証明となるため、インターネット上で各種行政サービスの利用が可能になる。また、民間サービスでも本人確認として活用されるという。
こうして電子政府化を進めたエストニアだが、2007年に「近隣の国」からサイバー攻撃を受け、政府システムが一時停止する危機に陥る。すぐに復旧したものの、再び隣の大国に占領されるという悪夢がよみがえった。
しかし、エストニアは決してくじけない。米国が主導する北大西洋条約機構(NATO)軍のサイバーセキュリティ研究所を誘致し、自国を徹底的に防衛する。また、データを万一改竄(かいざん)されても改竄箇所を判別できるよう、ブロックチェーン技術を世界で初めて実用化した。さらに、電子市民制度を創設して海外在住のIT人材を市民として受け入れた。エストニアに移住しなくても、同国内での起業が可能であり、その数は約7万人に上る。ITを安全保障政策の柱に据え、国家を守るという姿勢を鮮明にしたのだ。
エストニアの電子政府戦略から、日本の行政は何を学ぶことができるのか。須原誠・駐日エストニア大使館特別補佐官にインタビューを行った。
須原 誠氏(すはら・まこと) 駐日エストニア共和国大使館特別補佐官 青山学院大学、米ノースウェスト・クリスチャン大学、米ウィラメット大学経営大学院、上海交通大学安泰経済与管理学院、南カリフォルニア大学マーシャル経営大学院を卒業。大手監査法人系コンサルティング会社などを経て2019年1月から現職。 青山学院大学大学院経営学研究科後期博士課程在籍、特別研究員 |
―日本の電子政府化への取り組みをどう見ているか。
本当の意味で日本が電子政府化するのは難しいと考えている。エストニアでは(歴史的な建造物である)市役所や銀行窓口が観光名所になっているが、人がいない。つまり、電子化とは人員削減ということだ。
一方、日本は既存の行政サービスのやり方を変えずに電子化を目指している。例えば、マイナンバーカードには自宅住所が記載されているので、道に落としたら問題になる。なぜ住所が記載されているかというと、マイナンバーカードや運転免許証などの身分証明書に記載の住所を、(人を介した)窓口業務で目視確認するというプロセスがあるからだ。このプロセスを機械がICカードの内容を読み取るように変えれば、住所を記載する必要はないのだが。
そして電子政府化が進むと、今まで一部の人しか知りえなかった内部情報が拡散するため、「ゼロ官僚主義」になる。一方、官僚主義は情報の小出しで成り立っていたが、電子政府化によってそれが崩れる。行政は透明になり、行政サービスがリアルタイムで実現する。となると、(権威や既得権が脅かされる)官僚サイドからの反発は相当大きいのではないか。
ただし希望はある。日本企業は電子政府に関する世界最先端の技術を持っている。これを活用すべきだ。IDカードは、エストニアでも最初あまり使われなかった。民間サービスへの開放などを経て、時間をかけて普及に成功した。日本でも、国民が使いやすいサービスを提供していくことが肝要だ。
―地方自治体の電子化はどうしたらよいか。
利用者目線で考えながら、電子化すべき業務だけにその適用を考えればよい。将来、国がデータの連携基盤を作る。地方自治体は当面、地域住民に感謝されるシステムを構築・運営し、いつでも国の基盤につなげられるようにしておけばよい。
現在、大阪府や山口市など複数の自治体でスマートシティ推進のお手伝いをしている。とりわけ大阪府に対しては、エストニアが蓄積してきた電子政府のノウハウを包み隠さず提供しており、他の自治体のお手本となるような事例を作りたい。
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新西 誠人