2016年07月01日
地域再生
HeadLine 編集長
中野 哲也
奄美大島出張の途中、8年ぶりに鹿児島市を訪れた。九州新幹線の終着駅となったJR鹿児島中央駅は改装され、大観覧車付きのモダンな駅ビルに生まれ変わっていた。その一方で、百年以上の歴史を誇る市電が「市民の足」として健在。一番の繁華街である「天文館」は平日昼でも人通りが多く、老舗の百貨店もにぎわっていた。変わるべきものと、そうではないもの...。その調和のとれた街は、洋の東西を問わず、歩きながらの取材が楽しい。
JR鹿児島中央駅と鹿児島市電
城山から桜島を望む
西南戦争の銃弾跡
西郷は薩摩藩の下級武士だったが、藩主の島津斉彬に能力を見いだされ重用された。ところが、斉彬以降の島津家とはしばしば衝突し、奄美大島と沖永良部島に二度流されてしまう。だが、決してくじけない。歴史のパラダイムが転換し始めた幕末、西郷は再び薩摩藩の中枢に復帰する。長州との同盟(薩長同盟)の成立に向けて奔走し、勝海舟との対幕府交渉では江戸城の無血開城をまとめ上げた。
薩摩藩を大企業になぞらえると、ノンキャリアの社員が時の社長に抜擢されて、異例の昇進を果たしたことになる。しかし、新社長や周囲からは妬まれ、二回も辺境の支店に左遷されてしまう。それでもめげることなく、スーパーサラリーマンは心身を鍛え、知識と教養を磨き上げながら、チャンスを待ち続ける。そして会社は危機に直面すると、この社員の卓越した能力と胆力に頼らざるを得なくなり...。といったところか。
「何事も経験」と開き直れる人間は強い。恐らく、西郷は島流しさえもポジティブにとらえ、南海の異文化を最大限吸収するため、日々研鑽に努めたのだろう。これに対し、インターネット社会では仮想現実が横行し、リアルな経験が軽視されがちだ。そのせいか最近、現実と仮想の境界が曖昧になった人間が犯す凶悪犯罪が増えたように感じる。満員電車で吊り革を必死につかみながら、スマホでゲームを続ける乗客も不気味に見えるが...
液晶画面からは決して見つけられない「何か」が、依然として世の中には数多く存在する。だから、オフィスを出て街を歩くと、必ず新しい発見や洞察を得られるはず...。いや、こんなことを言っているオヤジがまず、人工知能(AI)に駆逐されるのだろう。どうやら早く生まれてきて良かったようだ。
城山の麓に立つ西郷隆盛像
(写真)筆者 PENTAX K-S2 使用
中野 哲也