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西日本豪雨被災から得た5つの教訓

=息の長い復興支援を願う=

2018年10月17日

地域再生

研究員
久木田 浩紀

 今年7月上旬の西日本豪雨から3カ月...。平成で最悪の豪雨被害をもたらした。中国・四国地方を中心に土砂崩れや河川の氾濫が相次ぎ、犠牲者は200人を超えた。筆者は現在、東京で勤務しているが、今回の豪雨では広島県呉市の実家と妻の愛媛県西予市にある実家がともに被災した。近年、異常気象による風水害や大地震による被害が増えている。今後、対策の参考になるよう、筆者が得た教訓をまとめてみた。

【教訓1】早めの避難は「声がけ」がカギ

 7月6日午後7時ごろ、筆者と妻の実家がある地域に警報が出ていることをネットニュースで知った。それぞれが親の携帯電話に連絡し、どちらもすぐにつながった。ただ、これは運がよかったといえる。時間が経てば、携帯の電池切れや回線の混雑などで連絡がとれなくなる可能性もあったからだ。

 広島の両親は避難所が山裾にあるため、自宅に残ることにしたとのことだった。体力も考えると、雨が強く暗い時間に外出するほうが危険だという判断だ。一方、愛媛の義母はすでに高台の中学校に避難していた。

 結果として広島の実家は被害を免れた。しかし、交通網が土砂などで寸断されたため、食料品が届かないなどの不便を強いられた。被害が大きかったのは愛媛の実家。近隣の河川が氾濫して2階まで汚水に浸かってしまった。とはいえ、近所では避難が遅れたり、自宅が気になって戻ったりして犠牲になった方々がいる。義母は間一髪で難を逃れたといえる。

 避難の成否を分けたものは何だったのだろう。筆者の両親は警報が出ていたにもかかわらず、避難しなかった。事態の深刻さが分ったころには暗くなっており、雨脚も強まっていて移動は難しくなっていた。これに対し、義母は暗くなる前に身の回りのものをまとめ、自動車で避難所に行くことができた。

 カギを握っていたのは周囲の「声掛け」かもしれない。義母の場合、地区の消防団が各戸訪問し、早めの避難を呼び掛けてくれた。これで危機意識が高まり、迷わず避難に踏み切れた。一方広島の実家の場合、筆者がその場にいたとしても自宅で待機していただろう。警報が出ても「避難は大げさ過ぎる」と感じたのではないか。当事者ほど危険から目をそらす「正常性バイアス」が働き、そう考えがちだ。そんなときは、第三者の働き掛けが重要になる。今後はもっと早い段階で連絡を取り、避難を促そうと思った。

【教訓2】ネット情報は信頼性に注意

 今回の災害で困ったのは現地の状況が分からないことだった。災害発生直後は交通が寸断されて現地に行けなかったためか、テレビや新聞も具体的な情報を伝えていなかった。報道が始まっても、当初は取材陣が入りやすい地区が中心だった。

 東京では、日が経つにつれ報道が目に見えて減っていった。地元の新聞やテレビは災害報道一色だったようだが、東京では見ることができない。こうした中、インターネットは重要な情報源だった。自治体のホームページや地元紙のサイトなどからは、信頼性の高い情報を得ることができた。

 FacebookなどのSNSも便利だった。特に友人や知人が発信者の場合はリアルタイムで細かい情況の変化を知ることができる。ただし、ネット情報は玉石混交であり、デマや事実誤認が拡散されているケースも少なくない。

 例えば、広島のコミュニティサイトでは「被災直後の泥棒を発見、〇〇県ナンバーの白いワゴンに注意!」という書き込みがあり、複数の人にシェアされていた。しかしこれと同じ書き込みは、愛媛のコミュニティサイトにも載っている。調べるとどちらも地元警察が、虚偽の書き込みだと注意喚起していた。災害後は、こうしたデマが必ず出回ると考えたほうがよい。それらを拡散して自分も加害者にならないよう、発信元が信用できるか確認し、複数の信頼できる情報と照らし合わせて判断する必要があると痛感した。

【教訓3】支援物資は「ニーズ」を確認して準備

 豪雨から一週間後、愛媛の被災地に向かった。出発前、義母に持ってきてほしいものを聞いて用意した。意外だったのが、「小分けになったお菓子の詰め合わせ」だ。自宅を片付けに来てくれた方に振る舞うためだという。これは聞かなければ分らないニーズだ。

 こちらで勝手に用意した中で喜ばれたものはウエストポーチや筆箱、印鑑だった。復興期には役所の手続きや連絡事項が多く、これらを身につけておく必要がある。また、手作業も多いのでウエストポーチは便利だ。

 逆に、用意し過ぎたものが飲料水だった。避難所で場所をとり過ぎてしまう上、飲料や食料品は足りていたからだ。市のホームページには不足している物資や過剰な物資が公表されている。物資によっては受入れを停止している場合もあるので、必ずチェックしておきたい。

【教訓4】段階的に変わる被災者心理

 実家の罹災が分かってすぐ、ネットで東日本大震災の体験談などを読んだ。こうした情報の中に「被災者の復興フェーズ」という話があった。被災者の心理が、「茫然自失期」→「ハネムーン期」→「幻滅期」→「再建期」と段階的に移り変わっていくという指摘だ。

 自宅が浸水した義母は、実際にこうした経過をたどった。気持ちが浮き沈みを繰り返しているようだった。しかし、筆者と妻は心の準備ができていたおかげで、冷静に対応することができた。復興は長丁場になり、被災者も支援家族も気持ちに余裕がなくなりがちだ。自分たちの状態を冷静に判断するためにも、こうした事前情報はたくさん得ておいたほうがよい。

【教訓5】手伝いは自分ができる範囲

 復興支援と聞くと、瓦礫の撤去などの力仕事がすぐに思い浮かぶ。しかし、実際に参加して分ったのは、さまざまな仕事があるということだった。言い換えると、どんな人でも手伝える分野が必ずある。

 実家の片付け一つとっても、泥の掻き出しや床板を剥がすといった力仕事から、お茶入れや罹災証明の申請の手伝いまでと実に幅広い。軽トラックや重機を持つ人が手伝いに来ると、片付けが一気に進む。昔ながらの友人が訪ねてくれるのも立派な支援になる。話せば気持ちが落ち着くからだ。泥にまみれたアルバムを持ち帰り、洗って乾かすといった現地に居なくてもできる作業もある。

 復興への道のりは長い。助けたい気持ちが強くても、無理をすれば続かなくなる。各自ができる範囲で手伝うことが、結局は息の長い復興支援につながるのではないだろうか。

愛媛県西予市野村町の実家

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(写真)筆者


広島県呉市:災害に係る寄付受付
https://www.city.kure.lg.jp/soshiki/8/donations.html

愛媛県西予市:義援金について
http://www.city.seiyo.ehime.jp/kinkyu/goshienitadaku/4973.html

久木田 浩紀

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