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「米粉」発祥の地、洋上風力発電に挑戦/胎内市(新潟県)

コンパクトシティが地方を救う (第17回)

2019年01月11日

地域再生

副所長
中野 哲也

 新潟県北東部の胎内(たいない)市は、旧中条町と旧黒川村の合併で2005年に発足した。市名は市内を流れる胎内川に由来し、豊かな自然と肥沃な土地に恵まれる。「コシヒカリ」で有名な稲作が盛んで、日本の食糧自給を支える重要な穀倉地帯である。また、コメを微細粉に加工して作る米粉(こめこ)発祥の地として知られ、それを使ってパンや菓子、麺など多彩な食品が続々と生み出されている。この街を歩いていると、市名が示す通り、母なる大地から新たな「命」が生まれる予感がしてくる。

20190115_01.jpg市内平野部に広がる稲作地帯

 新潟県は国内有数の稲作地帯を抱えるため、1970年代以降、国民の米食離れや国の減反政策(=コメの生産調整)への対応に苦慮してきた。コメの一人当たり年間消費量は1962年度の118キロをピークに減り続け、2016年度には54キロまで半減した。だが、必要こそが発明の母。新潟県農業総合研究所食品研究センターが、従来の米粉よりも微細で滑らかに製粉する画期的な技術を開発。それが今日の米粉産業の基礎となる。

 胎内市内の米粉関連の工場は、中条中核工業団地の一角に集積する。その中心となる新潟製粉(本社胎内市)の藤井義文・常務取締役は「ミスター米粉」というべき存在。農業高校で甲子園を目指した後、旧黒川村役場に就職。スイスで1年間研修を受ける機会を得て牛の世話をしながら、「スイスでは農業が強く、農作物を作る人が食べる人からリスペクトされている。なぜ日本では... 」という思いを抱いた。

20190115_02.jpg新潟製粉の藤井義文・常務取締役

 村役場に帰任した藤井さんは、減反対策の一環として米粉事業を担う。スイスで学んだことを胸に秘めながら、その育成に全身全霊を傾けた。前述した微細粉技術を活用した新型米粉を世界で初めて実用化するため、新潟製粉の工場設立に尽力。それだけでなく、生活の安定が保証されていた村役場を辞め、同社へ転職を決断した。

 藤井さんら関係者による必死の努力が実り、米粉で作ったパンや麵などの「ふんわり」「しっとり」といった新鮮な食感は徐々に消費者の心をつかんでいく。新潟県内外の学校給食にも採用された。また、米粉は小麦粉と比べると油の吸収率が低い。このため、揚げ物の衣(ころも)に使うと食感が「サクサク」になり、摂取カロリーも抑えられるという効果も注目を集める。

 普通のパンの原料となる小麦粉には、タンパク質の一種であるグルテンが含まれており、それが原因で食物アレルギーを引き起こす人も。一方、米粉はグルテンフリーのため、アレルギー対応食品として海外でも関心が高まる。藤井さんは「国内で米粉の知名度を向上させると同時に、海外でも勝負したい」と力を込める。実際、米国の有力スーパーが着目し、グルテンフリーのコーナーに米粉関連商品を導入する意向を示してきたという。

20190115_03.jpg米粉から食材が続々誕生

 この新潟製粉の隣が、タイナイ(本社新潟市)の米粉パン・米パン粉工場。「コシヒカリパン」や「玄米パン」を1日2000個も焼き上げ、東京都内の高級スーパーなどに連日出荷中。供給が需要に追い付かず、2019年春には隣に第二工場を着工する。また、向かい側で操業している小国製麺(本社山形県小国町)も米粉入り生パスタ「エチゴッティ」のほか、新潟県内の有名ラーメン店などとタイアップした米粉入りラーメン・焼きそばを開発。米粉で差別化を図りながら、中食(=食品を持ち帰って家庭で味わう食事形態)市場をめぐり、大手の食品メーカーやコンビニと競い合う。

20190115_04.jpgタイナイの大関勝彦・常務取締役

20190115_05.jpg小国製麺の齋藤公美・常務取締役

 このように胎内市においては、米粉が農業の6次産業化(=1次産業の農林水産業が2次産業の食品加工と3次産業の流通・販売にも取り組み、付加価値の高度化を目指す)の優等生である。

 近年はワインも急速に実力を付けてきた。市が直営する胎内高原ワイナリーは2007年設立と歴史は浅いが、赤も白も既に日本ワインコンクールで入賞。標高250メートルの急傾斜地の畑で、2.4万本に上るブドウの樹を育成する。日当たりが良く、昼夜の温度差が大きい上、吹き下ろしの風が空気を淀ませない。素人目には好条件が揃っているように見えるが、佐藤彰彦・栽培責任者は「結果的に土が良かったが、ワインは作ってみないと分からない。何よりも自然に対するリスペクトがなければ、良いワインは生まれない」という。

20190115_06.jpg出荷を待つ胎内高原ワイン

 農業の6次産業化について、胎内市の井畑明彦市長(57)に聞いた。米粉に関しては、「全国的にコメ余剰で過当競争が続く中、米粉はキラーコンテンツになった。小麦アレルギーの方も召し上がれるため、万能感のある食材としてPRしていきたい」―。ワインについても、「おかげさまで苗木が足りないぐらいの人気になり、クラウド・ファンディング(=インターネット上で不特定多数から事業資金を調達)を活用して山全体をブドウ畑にできれば...。そして夢のまた夢になるが、山の上から絶景を眺めるワインレストランを造りたい」と期待を膨らませる。

20190115_07.jpg胎内市の井畑明彦市長

20190115_08.jpgブドウ畑から望む絶景(胎内市街と日本海)

 胎内市内には、時空を超えて歴史ロマンを実感できるスポットも多い。古墳時代(3世紀後半~7世紀初頭)のこの地域は、現在の奈良県周辺を中心とするヤマト政権の勢力と、それに属さない北の勢力との境界に位置した。政治的に重要な地域だから、ヤマト政権は同盟関係を結んだリーダーには巨大な墳墓の構築を許した。その一つが4世紀前半に築かれたとされる「城の山古墳」(文化審議会が国の史跡に指定するよう答申)である。発掘調査を進めてきた水澤幸一・胎内市教育委員会生涯学習課参事は「文字が無い時代なので分からないことが多いが、それだけにロマンを掻き立てられる」という。水澤さんら関係者の尽力により、市内には中世の荘園遺跡「奥山荘」に歴史館や歴史の広場も整備されている。

20190115_09.jpg古墳時代前期の「城の山古墳」

20190115_10.jpg遺跡発掘調査を担う水澤幸一さん

 7世紀の日本書紀には、越の国から燃える水(=原油)が天智天皇に献上されたという記述があり、旧黒川村は日本最古の油田として発展してきた。今も原油の湧き出る池があり、「油壷」と呼ばれている。

20190115_11.jpg今なお原油が湧き出る「油壷」

 乙宝寺(おっぽうじ)は8世紀代聖武天皇の勅願による開山とされ、17世紀建立の優美な三重塔は国の重要文化財である。門前で1804年に創業した「乙(きのと)まんじゅうや」は、糀(こうじ)を発酵させる江戸時代からの伝統製法を守り続ける。朝5時から作業に入り、普段は1日1500個、元旦は参拝客向けに5000個の酒饅頭を作る。11代目の久世俊介さん(30)は地元をこよなく愛し、乙宝寺のガイドを無料で引き受ける。「この地区も人口が減り、ウチ以外の土産物店は消えてしまった。これからは観光客など関係人口を少しでも増やしていきたい」―

20190115_12.jpg乙宝寺の三重塔

20190115_13.jpg「乙まんじゅうや」11代目の久世俊介さん

 江戸時代、市内の桃崎浜地区は北前船の寄港地として大いに栄えた。当時の航海は命懸けだから、船主や船頭は有名な絵馬師に自分の船を描いてもらい、海上安全を祈願して神社に奉納した。桃崎浜文化財収蔵庫には80枚を超える「船絵馬」が保管されており、国の重要民俗文化財である。管理・説明員の伊藤貞夫さん(84)は「この地区は江戸時代に250戸あったのに、今では150戸まで減って限界集落になりつつある。船絵馬や北前船をPRすることで、一人でも多くの方に訪れてほしい」と熱く語ってくれた。

20190115_14.jpg史料価値と芸術性の高い「船絵馬」

20190115_15.jpg船絵馬の宝庫を守り続ける伊藤貞夫さん

 市の中心部にある旧中条町の本町通りは江戸時代、米沢街道の宿場町として繁栄した。その一角にある荒惣(あらそう)は1824年に両替商として創業した後、現在のOA・IT機器販売に至るまで時代の変化を先取りしてきた。その一方で、店舗兼主屋や海鼠(なまこ)壁の見世蔵、内蔵を大切に守り、2017年に国の有形文化財として登録された。

 この街も少子高齢化の荒波に呑み込まれ、荒惣7代目の須貝隆・代表取締役は「歴史の街として観光案内板などを整備し、再び人が集まるようにしたい」と話す。また、胎内市(旧中条町、旧黒川村)出身者が郷土の発展を願い、親睦を深める「中条郷会」は2018年に創立100周年を迎えたが、小野武司会長は「実に良い街なのに、これまでPRが上手だったとは言えない」と指摘する。

20190115_16.jpg国の登録有形文化財「荒惣」の店舗

 2005年の町村合併で発足した際、胎内市の人口は約3万3000人だったが、2018年10月末時点では3万人を切っている(住民基本台帳)。人口減少に伴い、上下水道などインフラの老朽化もこれから深刻化する。井畑市長は「今は過渡期で見定めないといけないが、市民にある程度集まって住んでいただくコンパクトシティの考え方も必要かもしれない」と話す。

 2018年夏、胎内市はJR中条駅舎を橋上化し、東西自由通路を整備した。踏切を渡る必要がなくなったため、利便性が一気に高まり、開発が遅れていた駅西口に飲食店が進出。井畑市長は「市民の移動経路が変わり、コンパクトシティのきっかけになるかもしれない」とみる。市は予約制乗り合いタクシー「のれんす号」(大人300円)を導入し、運転困難な高齢者らの「足」の確保にも努めている。

20190115_17.jpg東西自由通路が整備されたJR中条駅

 こうした中でも、次世代を担う人材の育成では明るい材料が出てきた。2014年に開校した開志国際高校は医学科進学、国際、アスリートという3つのコースを整え、各分野で未来を切り拓く人材の育成を目指す。寮を備えて市外からの学生、あるいは中国やベトナムなどからの留学生も多数受け入れている。

20190115_18.jpg開志国際高校

 また、2018年4月に開学した新潟食料農業大学(胎内キャンパス)は農・食・ビジネスを一体的に学ぶことで、世界をリードする食料産業の構築を目指す。井畑市長もこの2校に期待を寄せ、「学生には思春期に胎内市内で学び暮らした思い出が残るはず。卒業後に市内に住まなくても、旅行先やビジネスの関係先として選んでくれれば、関係人口の増加につながるのでは」―

20190115_19.jpg新潟食料農業大学(胎内キャンパス)

 さらに、井畑市長は「地球温暖化が進んでいることにはほぼ疑いがない。次世代に遺す付加価値あるいは地域の誇りとして、再生可能エネルギー事業に取り組んでいきたい」として環境政策を推進する。なお、胎内市とリコージャパンは2017年に地域活性化に関する「連携協定」を締結。両者の持つ資源を効果的に活用しながら、主に「環境にやさしいまちづくり」と「観光の活性化」に取り組んでいる。

 井畑市長が視野に入れる再エネ事業のうち、柱となるのが、胎内市沖合の日本海における洋上風力発電の構想である。庁内にプロジェクトチームを設け、導入決断の前提となる諸条件について調査・検討を始めた。市長は「ある程度の風に恵まれている上、海底部が砂浜だから(コストが比較的安価とされる)着床式の導入が可能といわれる。また、首都圏への供給距離も比較的短いため、需要と供給をマッチングできる。何としても実現まで漕ぎ着けたい」と力を込める。

 洋上風力発電を運営する民間事業者の採算確保や地元関係者との合意形成、自然景観の保護など課題も多いが、既に市内の砂丘では民間による風力発電が始まっている。井畑市長は「小さな自治体が取り組んでも、地球全体はどうにもならない。しかし微々たることでもきちんと行い、1世紀先の子孫のために種を蒔いておきたい」と力説する。

20190115_20.jpg陸上では既に稼働中の風力発電

 胎内市のゆるキャラ「やらにゃん」は、「やりましょう!」という意味の地元の方言。そのチャレンジ精神で洋上風力発電が実現するのか―。小さな街の大きな構想に対し、各方面から熱い視線が注がれている。

20190115_21.jpg胎内市ゆるキャラ「やらにゃん」

20190115_22.jpg胎内市は食の宝庫!グルメも満足

(写真)筆者 PENTAX  K-S2

中野 哲也

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※この記事は、2019年1月1日発行のHeadLineに掲載されました。

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